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生き残り方

希死念慮にて死にたいが暴走することが僕には多々あります。
ただ、実際自殺を試みて、僕の場合オーバードーズですが、地獄の苦しみがあっただけで、死には至らなかった。そして、苦しいときに出た言葉は死にたくないでした。矛盾はありますが、それが人間という物だと思います。
ただ、その後もまだ死にたいは消えておらず、本当は死にたくない。ではなく楽に死にたい、消え去りたいなのかなぁと思っています。
楽に死ぬ、消え去る以外、もう一つ方法があって、他人に殺してもらう。という事です。他者は自分と痛覚を共有していないので、殺すことが可能です。しかし、この法治国家でそのようなことはできません。してもらうには沢山の人を僕自身が殺さなければいけません。
要は国家に死刑にしてもらうという事ですね。
それをするということは方法論としては有りなのかもしれませんが、現実問題やりたくありません。その人達全員が死にたいと思っているならまだしも、その人達は生きたいと思っている人もいるのでしょうから。
人を殺してまで自身の願望を叶えることは僕にはできないです。
なので生き残り方を考えていきたい。そちらの方がとても建設的だし道徳的な感じがします。
しかし中年ひきこもりには中々生き残る術も限られてくる(ひきこもっていたせいではありますが)
少しずつ自分のやれることを探して行くしかないですね。

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