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駄文#13 こだわりはいずこから

こんにちは、抽斗の釘です。

9月に入り、涼しいとまでは言わずとも、時たま抜ける風は爽やかな空気を帯びるようになりました。

そんな空気にうながされてか、自室の模様替えをしようと思い立ちました。

夏に間に溜まった埃や気分というのを外に出してしまって、心機一転も目論んだり。

目指すのはお洒落な大人の書斎。
ベッドや机の位置を変え、
ミニマリストよろしく、できるだけ物は戸棚に仕舞い込んで……

と、完成したのは殺風景な部屋。
まるで入りたての借家のようです。

そこでお洒落そうな部屋や文筆家たちの書斎をネットで検索。
ああ、そうか。遊び心がないのだと思い至りました。
つまり、私には部屋に飾るべき趣味の物やこだわりの品がないのです。

例えば音楽が好きなら部屋にギターが置いてあったりレコードが飾られていたり。
好きな画家の絵やイラストレーターのポスター。
心酔するブランドのラグやクッション。
陶器、植物、スニーカー、フィギュア。
それらが部屋にはひとつもありません。
私の部屋には、もとい私の性質には、統一したこだわりというものがないのです。
あらためて部屋を見渡せば、ニトリや無印良品の物ばかりが転がり、まるで通販の参考画像のよう。
だとしても、無印なら無印で統一されていればまだ救いようがあるものの、
その時々の気まぐれや安売りで買い求めたものばかりで、やはり統一感というものがない。
お洒落な大人の部屋というのは、何か好きな物やこだわった収集物、
もしくはそれらを統括する住人のぶれないセンスが成すものだと思いました。私にはまるでそれがないのです。

思えばもともと私の生活にこだわりが多くありません。
好きなブランド服もなければ、これだというコーヒーの銘柄もなく。
お酒のたしなみもなければ、没頭する趣味もない。
ただその時々にめぐり合うものや目に付いたものを手に取るから、
おのずと部屋には統一感がなくなります。
ふらふら選ぶ中でも「これと一生付き合っていく」といった強い感動もないまま、
ただ何となく「これ良さげかも」とあっちにいったりこっちにいったり。
自分を体現する、代名詞となる、ついぞそんなものと出会えず生きてきました。

とすると、「こだわり」とはそれだけ生きて来た経験の蓄積のように感じたり。
ならば生活にこだわりが見られないと、なんだかがらんどうな生活を送ってきたようにも感じたり。
すっきりとした部屋は一見洗練されているようにも見えますが、
その実、そのまま、何もない人柄を表すのでしょうか。
と、そんなことを思い、勇み足にも秋を感じてみたり。

ただそれは今更どうしようもないことで。
無理にこだわったふりをしてみても、やはり空虚なものでしょう。
むしろ「何にもとらわれず」の、色即是空「空の心」で。
などと強がってみたり。
ならばいっそ、部屋に「空」と書いた書を掛けてみようか。

しかしそれはそれで、矛盾しているようにも思えたり。
そんな、秋の始まりのことでした。

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