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20.ももいろのため息2/2

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2016年制作「モモイロの影」

フラミンゴという鳥は片足で立つ姿が印象的な鳥です。それが白鳥よりもバレリーナの姿に近いと思って並べて描くことが多い理由の一つです。

そして、もう一つの理由はピンク色だからです。

わたしはピンク色が嫌いです。バッサリ嫌いと言い切ってしまうと語弊があるのですが、ピンクがもたらすイメージや与える役割が嫌いです。

子供の頃はピンクが好きでした。ピンクのドレスに靴、プールバッグや鉛筆削までピンク色でした。しかしなぜピンクが好きなのかといえば説明できず、ただなんとなく選択肢があればピンクを必ず選びました。(そもそもわたしが子供の頃の女の子向けの小物はピンクか赤かオレンジばかりだったせいかもしれません)そんな幼少期を過ごしたものですから、母はわたしの持ち物はたいていピンクを買ってきます。ピンクがなければ赤色です。

年齢が2桁になってしばらくして、わたしはようやくピンクに疑問を持ち始めます。きっかけは少女向けの雑誌や漫画で、ピンクを纏う子はなんとなくこんな子というイメージが存在することに気がついたからです。なんというかざっくりいうと可愛い子の色なんじゃないかと悟ってしまって、それからわたしはピンクにふさわしいビジュアルじゃない正確じゃないと思うようになりました。もっというと、ピンク以外の色にもイメージや役割があって、それが似合う似合わないになっているのだと思いました。それからは、自分って何色が似合うんだろう?としばらく考えました。その結論は長いこと出なくて、結局高校を卒業するまで黒もしくはグレー、カーキ、ベージュのどれかばかりを選んでいました。でもときどき母はわたしにピンク色の服や小物を与えるのです。わたしがピンク色はもう好きじゃないと知っているはずなのに。

ピンクが社会的に与えるイメージとしては、春のように暖かでやさしくやわらかいイメージだったり、桃のように甘く愛おしいイメージだったりします。反面スケベで性的な意味合いにもピンクは用いられます。ピンクは女性向けの商品のカラーバリエーションに欠かせない色であり、実際とても需要のある色です。しかし一口にピンクといってもその種類はかなりの数があって、その選びようによってはダサピンクなどとも呼ばれたりしてとても扱いの難しい色です。

わたしは結局のところ、このピンクのイメージそのものこそが社会の女の子に求めるイメージに直結するのだと思っています。あたたかく、柔らかく、やさしく、あまく、愛らしく、エッチな存在。男性にとっては母親で妹で恋人のような。

前回の作品の「たいくつなハーレム」は女の子たちがピンク色ばかりで自分でもだれでもない何かに同化していくこと、そして最終的にみんなピンク色になってしまうことが退屈で面白くない、という意味合いの作品です。

「モモイロの影」は自分につきまとうピンク色のイメージの呪いをじっとりと寄り添ってくるフラミンゴで表現しました。

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これは2018年にわたしが主催・企画したグループ展「赤い靴」で発表した「いちぬけた」というタイトルの作品です。

これが一番最近描いたフラミンゴとバレリーナの絵です。わたしの絵にしては珍しく、少女は笑っています。これは、頑張ってキツい靴を履いて片足立ちすること、ピンクに呪われることを辞めた今までのとは違う晴れやかな気持ちの作品です。足を縛っていたリボンを緩めて椅子に座ってだらしなくしていることで、ほかのフラミンゴからの顰蹙は買っているのですが、それでも自分が楽な方へ生きやすい方へ変わっていく決意表明のような気持ちで描きました。


女として生きていくことは日本だけではなく世界中で困難で、生まれた瞬間から死ぬまでなんなら死んだ後も「女」というアドバンテージがついて回ります。結婚、出産、容姿、年齢、キャリア、病気、など。それに負けたくなくて強くありたい、自分らしくありたいと思っているのに、生まれながらにして決まった性別が自分の障害になるなんておかしなことだと日々感じます。フラミンゴとバレリーナの作品はそれらの障害に対するわたしなりの抵抗であり戦っていく手段です。

これからもまた描き続けるテーマであると同時に、死ぬまでにこのテーマから解放されたいなとも思っています。

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