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19.ももいろのため息1/2

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これは2013年冬に制作した「退屈なハーレム」というタイトルの作品です。

このタイトルにあるハーレムとは、トルコ語のハレムのことで後宮、「女性の集団社会」みたいなミュアンスで用いています。

前回の「木蓮鸚哥」に続いて、こちらも「花鳥園」という画集に収録した、なんなら表紙だった作品です。個人的にとても気に入っている作品であり、某コンペでも賞をいただいたり、わたしのバレリーナとフラミンゴというモチーフを多くの人に知っていただいたきっかけの作品でもあります。展示会などでお会いする方々に「なぜバレリーナを、フラミンゴを描くの?」と頻繁に尋ねられました。今回はその理由について書きたいと思います。(あまりに話が長くなるために、二回に分けて書かせていただきます)この作品の前にも後にもいくつかバレリーナとフラミンゴというモチーフの作品があります。

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2013年夏制作タイトル不明

有名なバレエの演目からバレリーナといえば白鳥というイメージがあるかもしれません。そもそもなぜわたしがバレリーナをモチーフによく絵を描いていたのかというと、わたしにはバレエをしていた友人がいることに由来します。彼女はいつも厳しいレッスンに加えて食事制限も行っていました。お菓子や甘いものを我慢するのは当たり前で、舞台の前になると食事がトマトスープだけになったり、とにかく体型の維持には気を使っていました。ダンサーやアスリートには当たり前のことなのでしょうが、わたしにはそれがとても衝撃的でした。そして彼女の足もよく見せてもらっていました。トゥシューズを履いて爪先立ちするために痛ましい形になった足を見るたびに、舞台の美しさの裏にいろいろな苦労や痛みがあるのだなと目に見えて感じました。

昨年からよく耳にするKuToo運動を見るたびにわたしは自分がバレリーナを描いていた頃を思い出します。わたしはこの運動を支持していますし、わたし自身も石川さん始め多くの女性が声を上げるのを見てヒールパンプスを履くのを辞めました。20代前半の頃はヒールのある靴を履くのが好きでした。足が長く綺麗に見えるし、何より可愛いデザインが多いし。でも足は痛いし疲れるし、よく道で転ぶし、走れないし、階段は踏み外すし、地面の穴にヒールをハメてガクッてなるし、マイナスなことの方が多かったのは事実です。それでも履いていたのは、自分の中でどこかヒールを履くことが女として生きることのプライドのように思えていたからでした。ヒールのない動きやすい靴を履くとどこか楽をしていることへの罪悪感すらありました。

女として生きることのプライドとは、別にモテたいとか美しく見られたいとかではなかった気がします。ただわたしを見る人に対して「ヒールを履いても楽しそうに振る舞える自分」を演出したかったのかもしれません。女の人であるなら、ああいった靴がどれだけ大変かたいてい知っています。その大変をこなせる事が「強い自分」を象徴するように思っていました。

しかしながら一方で、その大変さを男の人は知りません。それはバレリーナがつま先立ちで舞台に立つことが当然のように、あの靴を履くことは当たり前で女の子たちは苦もなく履いていると思っています。ましてや、社会はああいった靴をマナーというなかば法のような強制力で強いてきます。それってなんか納得いかね〜!と思ったのがきっかけでバレリーナを描き始めました。こんなにも痛い苦しいことをやってて大変なのに、それをデフォルトにされるのは嫌でした。わたしが「強さ」をアピールするつもりでしていることは社会的には当然あつかいで、強さでもなんでもないことを思い知った時、自分の水ぶくれや硬くなった皮膚や爪の食い込んだ足は世の中に蔓延する不可思議なルールやイメージに押し込められてこうなってしまったんじゃないかと思いました。

それから自分の作品に「生きづらさ」というテーマを落とし込むようになりました。日々感じる違和感、不快感、不自由さを表現することは自分の生き方の見つめ直しでもありました。ハイヒールの靴は減らして、ペタンコの靴や個人的にずっと禁止していたスニーカーを買いました。「生きづらさ」を誰かに知って欲しくてバレリーナを抑圧された女の子(自分自身)の象徴としてたくさん描くようになりました。

2/2につづく。

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