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ビデオゲームアラフィフ昔話Vol.1

どうも。なんやかんやと40年以上ビデオゲームを嗜んでいる、アラフィフおっさん”ひきまは。”と申します。

先日(といっても随分前ですが)、Twitterにて以下のようなタグが生まれまして。

「兄はともかく、父て!」と卒倒しそうになりましたが、今はそういう時代、時代……。というわけで、自分のゲーム経歴を振り返りつつ、昭和、平成、令和と連なるビデオゲームの昔話でもしようという算段です。

ファミコン前夜

わたしは1976年(昭和51年)生まれですので、まだインベーダーゲームブーム(昭和53〜54年)が起きていませんし、テレビゲーム機なんてまだ日本に来ていなかった。そんな頃です。

物心ついた頃から、流行り始めたLSIゲームが好きだったらしく、いくつか遊んでいました。LSIゲームといえば任天堂のゲーム&ウォッチなのですが、ウチにはファイアとドンキーコングがありました。このあたりが家にあったのは、親に感謝ですね。当時にしては結構高価だったので。

あと、親戚に玩具問屋勤務の人がいたので、ウチにテレビゲーム機が送ってくれたのが大きかったですね。あれはちょうど40年前の暑い夏。ソフト数本と一緒に我が家に来たテレビゲーム機。それは……

カセットビジョンJr.(5,000円)

お前か!
まぁ、楽しみましたよ!きこりの与作とか、ギャラクシアン(ナムコ版とは似ても似つかず)とか、パクパクモンスター(限りなくパックマン)とか、エレベーターパニックとか。大体の同世代がファミコン以降しか知らないのに、ちゃんと第2世代テレビゲーム機を体感できたのは良かった。前向きに。

伝統と格式を誇る”きこりの与作”

とはいえ、クラスメイトの家でプレイするテレビゲームとは違ったんです。ドットも粗い、ゲーム性も低い、コントローラーは本体に付いている。最後はあまり関係ないですね。ともかく、同時期に凄いゲーム機が発売されていたんです。ベースボール、ドンキーコング、マリオブラザーズ、ポパイの英語遊び。おわかりでしょう?任天堂ファミリーコンピュータですよ。

ファミコン襲来

任天堂ファミリーコンピュータ。1983年(昭和58年)7月15日発売で、価格は14,800円。ソフトも買うと2万円弱。当時の物価的に、かなり高い!同じ年の4月15日は東京ディズニーランドの開園日。入園料とアトラクションチケットがセットになったビッグ10が3,700円でした。これまた本題とは関係ないですね。

そんなファミコンは大ブーム。ソフトもだし、ハードとしての実力が違っていた。ただ、人気もあったし、生産数も限られるし、ネットも無いので、入手難度は高い。販売店は強気に出て、売れないソフト3本とセットで売ったりね。いわゆる抱き合わせ販売。ええ、買いましたよ。いっきと、ハイドライドスペシャルと、バイナリィランドがセットでね。よりにもよって、このタイトル……。あ!バイナリィランドは面白かったです。

地味に面白いバイナリィランド

その頃、ウチの地元には、ほとんどのファミコンソフトを持っていて、小学校の放課後になると家に招き入れてくれる中年男性がいました。通称:ファミコンおじちゃん。噂をききつけ、ファミコンおじちゃんの家へ向かいました。トイレ・風呂共用の文化住宅の中に、おじちゃんは佇んていました。振り返るとFANZAにありそうな小学生が行くにはやべぇ環境ですが。そこでプレイさせてくれたゲームソフトこそが、ゲームへの夢中度を一気に変えたのでした。ソフトの名は……

スーパーマリオブラザーズ

やっぱり!って感じですが、衝撃がすごかった。
大きなキャラクター!
種類豊富なステージの数々!
素直に動いてくれる操作性!

「これは、凄いゲームだ……。」初めて思いました、はい。もちろん貯めていたお年玉で購入し、遊び倒しました。いまでもプレイする、後世に残すべき名作。

当時印象に残っているゲームといえば、マリオシリーズを筆頭に、グラディウスやツインビーなどのコナミゲー、ドラクエⅢ・Ⅳ、ポートピア連続殺人事件、さんまの名探偵、ファミコンジャンプ。子供だねぇ。さんまの名探偵のミニゲーム(横山やすし師匠絡みの競艇)や、ファミコンジャンプのジョジョの波紋で滝登りとかは連射に苦労したよ。高橋名人じゃないから16連射出来ないので、素直にジョイカードを買ました。やらなきゃハドソン!

実は名作!”さんまの名探偵”

あと、当時いくつかあったテレビゲーム紹介番組で見たPCエンジンのTHE 功夫の映像に衝撃を受けました。「え?キャラクター表示でっか!」と。カトちゃんケンちゃんやビックリマンワールドの存在もあり、夢の存在だったPCエンジン。ファミコンより本体価格が10,000円も高かったからね。これから数年後、SUPER CD-ROM2にパワーアップした姿で我が家にやって来て、今後の人生を狂わせる事になるとは、思いもよらなかった。
そう、思っても……いなかったんだ。
(BGM:Second Flight / KOTOKO&佐藤裕美)

江口拓也さんが声優を志すきっかけとなる”おねがい☆ツインズ”

ゲームボーイの時代

元号が昭和から平成に変わった1989年(平成元年)、任天堂から登場したのはカセット交換式の携帯ゲーム機、ゲームボーイ。今思えば、携帯機なのにあの大きさで、画面も白黒。単3電池を4本も使うのに30時間も動かない駆動時間(なのに1日持たないこともあった)……。なんやねん、この仕様。でも楽しかったゲームボーイ。延々とやったテトリス。RPGなのにラスボスを一撃死させる武器があって、10時間かからずクリアできた魔界塔士Sa・Ga。謎の中毒性があったクォース。クイズ番組好きなので延々とやってたアメリカ横断ウルトラクイズ。プレイした本数の割には、よく遊びまくった印象。あ、ポケモンは最初の赤・緑が出たのが1996年2月27日なので、もうプレステやらサターンに夢中になってます。ゲームボーイ?カラーになったりスリム化してたの?生きとったんかワレー!……状態なので、その頃のポケモンはノータッチです。

エンドレスでやってしまうテトリス
これまた中毒性のあるクォース

スーパーファミコンがやって来る
ヤァ!ヤァ!ヤァ!

翌1990年の11月にスーパーファミコン発売。発売日に本体とスーパーマリオワールドとF-ZEROを買いました。振り返れば、本当に勝ち組。この2本を買っていたのは、本当に良かった。F-ZEROでの超高速レース体験は、ネット対戦やオンラインタイムアタックなんて当然の如く無いけど激熱だし、知っての通りマリオワールドの完成度よ!なんで、ローンチソフトがこの完成度……。任天堂の伝統だけど、頭おかしいやろ!(褒めてます)

やりごたえが十分すぎるマリオワールド
これまたやりごたえ十分なF-ZERO

追撃のように発売される、パイロットウイングス。拡大・縮小・回転というスーパーファミコンの特徴を活かしたスカイスポーツの体験ゲームなんですが、まさかまさかの展開に。マリオは当然として、F-ZEROもパイロットウイングスも任天堂作品。頭おかしい。

奥が深いパイロットウイングス

12月になるとサードパーティ作品が続々。しかも名作だらけ。”神ゲー”アクトレイザー、”さぁ、コナミコマンドを入れてみな?”グラディウスⅢ、”ゲーセンの興奮がお茶の間に……あれ?一人いない!”ファイナルファイト。覇権確定です。

任天堂のソフト攻勢はまだまだ続く。翌年の黄金週間(NHK的表現)を前に発売されたのがシムシティー(SFC版だけ語尾が伸びる)。パソコン版のややこしい操作やシステムを簡略化して遊びやすく。BGMも良き。中盤までは難易度も低めでお子様も安心。しかしながら、目標の50万人都市を目指すと一気に大変!という良移植作品。あれこれと工夫して、なんとか住民50万人達成したよ!面白かったー!

延々と遊べるシムシティー

そんな中、夏を迎える。時に1991年7月19日。私は高校受験を控えた身でした。2本のゲームが同日に発売されました。一つはゴエモンシリーズの最新作”がんばれゴエモン〜ゆき姫救出絵巻〜”。もう一本は人生観やら価値観を変えてしまう作品。その名は……

運命のファイナルファンタジーⅣ

ですねぇ!(ケイスケ=ホンダ)

ファイナルファンタジーⅣとの出会い

ファイナルファンタジーシリーズ、ファミコン時代は未経験でした。存在は知っていましたし、Ⅲのラストダンジョンがヤバい(「ゲームは1日1時間」なのに、セーブポイント無しで2時間以上かかる)とか、Ⅱのシステムがややこしいのは知っていました。と、どちらかといえばネガティブな印象。しかし、ゲーム情報誌とテレビCMでFFⅣの事を知り、激烈に欲しくなったのです。あと、インスピレーション的なのもあって。ピピピ。しかしながら、当時のゲームソフトはROMカセットなので、人気作は予約しておくか発売日に買わないと売り切れて入手困難になる。しかも、追加増産はディスクじゃないから中々出来ない。結局は、情報戦を制して、2週間遅れぐらいで梅田のキデイランドに土曜日の開店前から並んで確保。価格は税込み8,240円。高かったですが、このゲームには価格以上の価値がありました。それは、

ゲームをプレイしていて、
こんなに感情が揺れ動いた事は無かったから。


後にディレクターの坂口博信さんが”実生活で死と直面することが多く、それが物語にも反映されたかも”的なことをお話していたのですが(調べてもソースがない……)、別れが多いストーリー、ガッツリとした恋愛要素、高めの難易度など、「確かに……」とは感じますね。この間、PSP版以来久々にピクセルリマスター版をクリアしましたが、やはり来るものがありますね。これを中学3年生で味わっちゃうと……。あー、いい意味の中二病になりますよね。そりゃ、移植やらリマスターの度に買うわ!通算9回買いました!おかしい!!スクエニさんはFFⅦREMAKEクラスとは言わないので、DS版みたいな現代風アレンジで、月の帰還までを含めた完全版を何卒……。あ!HD-2Dでもいいんやで……。浅野チームさん、お願いします……。

SFCその他のソフト達

エリア88

良作STGなエリア88

1991年7月26日発売。新谷かおる先生の同名漫画を、カプコンがアーケード向け横スクロールシューティングゲームとしてリリースしたものの、家庭用移植作。原作通り主人公は傭兵なので、依頼を受けると乗る機体を買って、武器を買って準備をし、戦場へ赴きます。お金の使い方も大事。ステージ中は一度ダメージを受けるとデンジャー状態になり、そこで被弾すると一機消滅。一定時間で少し回復するので、立ち回りも大事。最高難易度の全キャラクタークリアとか、ガッツリとプレイしていました。ん?中学3年生の夏休みに受験勉強もせず何をしているんだ。

スーパー信長の野望 武将風雲録

マゾプレイが要求される姉小路頼綱さん

1991年12月21日発売。中学3年生の年末に受験勉強もせず何をしている(またか)。いや、ほら。戦国時代が舞台だから、歴史の勉強になるし……って、日本の戦国時代は大して入試に出ないし、飛騨・姉小路頼綱氏プレイ(隣接しているのが美濃[織田領]、信濃[武田領]、越中[上杉領]と強国だらけなので滅亡待ったなし!)とかしてたけど、姉小路頼綱の「あ」の字も出ない。というか、そんなマゾプレイすんな。攻め込まれた時に強い武将へ集中砲火しかけて捕獲→家臣にすると、少しは生き長らえます。忠誠度とかはなんとかしろ、なんとか。

四面楚歌

ストリートファイターⅡ

まだまだ性能差があまりなかった頃のリュウとケン

1992年6月10日発売。言わずと知れたアーケードで大人気な対戦格闘ゲームの移植作。ゲーセンに通っていた訳でないのですが、この時点でパソコンに触れていたので、マイコンBASICマガジン経由で知ることになります。というか、なぜ毎月結構なページ数を割いていたんだ、ベーマガ。アーケードゲームに触れているということは、もちろん”誤植王”ゲーメストも読み始めます。ザンギュラのウリアッ上。レバー入れ大ピンチ。ゲーセン関係(というかネオジオ)は後日まとめて。

ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁

オープニングもビックリしたよね?

1992年9月27日発売。表向きは”親子3代に渡る壮大な物語”なのですが、中盤に恋愛経験すら無い全国の男子が幼いながらにも結婚相手に悩むというイベントが待ち受ける壮絶なるゲーム。ルドマン!おい、ルドマン!お前や!なんやかんやと悩ませよって!そら、放送作家の伊福部崇さんとラジオMCの鷲崎健による音楽ユニットPOAROも、”SALABONA NIGHT”なんて著作権的にギリッギリのギリな歌を作るわ!

モチのロンで当時高校1年生陰キャオタクに恋愛経験があるはずもなく。年上の幼馴染と良家のお嬢さんとか、悩みに悩んだわ……(選んだ人を言うと戦争が起こるらしいので言わない)。他にも、戦ったモンスターを仲間に出来たり、育成要素もあったりと、後のドラクエモンスターズの礎的な作品でもあります。パパスと別れたぐらいまでしか記憶が鮮明じゃないので、久々にやりますか!デボラさん気になる。

美少女戦士セーラームーン/美少女戦士セーラームーンR

意外と本格派なセーラームーン

無印:1993年8月27日発売、R:1993年12月29日発売。当時の女児と大きなお友達(男)に大人気だった美少女戦士セーラームーン。
月に変わっておしおきされたり、
水でもかぶって反省したり、
火星に変わって折檻されたり
するアレ。ここまでのくだり(初期3戦士の口上)を調べずともちゃんと覚えていた自分が怖い……。まぁ、なかよし本誌を自ら買って読んでたガチだからね。
美少女戦士セーラームーン
 ↓
魔法騎士レイアース
 ↓
カードキャプターさくら

という、なかよしの流れで大体のオタクは負ける。ちなみに当時のりぼんはママレード・ボーイで、ちゃおは水色時代。3誌とも買ってました。ウチには妹も姉もいません。いません……。”大きなお友達”というパワーワードを初めて喰らったのは、劇場版美少女戦士セーラームーンRの舞台挨拶で久川綾さんからでした。大人になってから調べたら、久川さんが言い出しっぺらしい。恐るべし、久川金物店のお嬢さん。舞台挨拶は土曜の夜に、今はなき梅田の東映会館で開催。なんでや!女児先輩行かれへんやんけ!(多分隔離したんだと思うよ)
それはさておき、ゲーム自体はファイナルファイト的なベルトスクロールアクションです。友人とのパーティープレイで大活躍。当時から「これ、女児には難しいんちゃうん?」と思ってましたが、やはり難しかったらしく。なので、セーラームーンS(アニメ3作目)からは、ジャンルが対戦格闘になりました。待て!

幽☆遊☆白書/幽☆遊☆白書 特別篇

ファン歓喜のクソ濃い対決

無印:1993年12月22日発売、特別篇:1994年12月22日発売。週刊少年ジャンプ掲載、冨樫義博先生のホラー寄り漫画……だったハズが、案の定バトル漫画になって、最後は唐突に終わる。そして冨樫先生の嫁はセーラームーンの武内直子先生。いい流れ来てますね!対戦格闘になるセラムンと違って、こちらは十字キーの四方と4ボタンの組み合わせで行動を選んで戦うリアルタイム式ターンバトル。戦略性も高いし、キャラゲーらしく大きいキャラクター表示とスーファミでは珍しかったアニメオリジナルキャストによるボイス収録。流石はナムコさん、技術力が高い!この技術が、スーファミなのにオープニングソングがボーカル付きで流れるテイルズ オブ ファンタジアに行くと思うんだけどそこのところは正直よく知らないし、PC-9800シリーズの卒業〜Graduation〜でもキャラクターに声優さん付いたけど、ビープ音で無理やり喋らしてたから大変でした。マザーボードとディスクアクセス的にも。

スーパーロボット大戦EX

アカシック・バスターいいけどサイフラッシュ(超有能MAP兵器)も捨てがたい

1994年3月25日発売。遂に足を踏み込んでしまう、スパロボ沼。当時のメインストーリーだったDC戦争の外伝(第3次と第4次の間)なので、話としては入りやすかったです。幼少期からロボットアニメをほとんど観ずに育ったので(記憶にあるのはマクロスぐらいかな?)、様々な過去作品を知るきっかけになり、Vガンしか知らなかったガンダムにどっぷりとハマり、気がつけばスーパーロボット魂とかいうライブに行って、オリジナルシンガーによるマジンガーZやらボルテスⅤやらダンバインやらの生歌唱を喰らい、カラオケボックスで覚えたばかりの懐かしいアニソンやら特ソンを歌い倒し以下略。

続くんじゃ

え?スーファミまでで7,000文字超えたの?この間の彦根遠征記

も10,000文字超えになってしまい、読んでもらった妻氏から「話が長い!」と鱗滝左近次さんばりに怒られたので、続きは別にして書きます。プレステとサターンの次世代機戦争前にネオジオと、PCエンジンと、PC-9801シリーズの話をしないといけません。いつになったら現行機の話できるの!?

というわけで、今回はここまで。次回もお楽しみに!

続きを書いております。よろしくお願いします。

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