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ひきこもりが社会不適合者になるのか、社会不適合者がひきこもりになるのか?

こんにちは!
ひきこもりの生きる道@茨城です。

ひきこもり当事者や経験者は自分のことを社会に馴染めない「社会不適合者」だと思っている場合が多い気がします。

その事を考えていたら、ふと「ひきこもりが社会不適合者になるのか、それとも社会不適合者がひきこもりになるのか?」と疑問に思いました。

今回は「ひきこもりと社会不適合者はどちらが先か?」について書いてみました。

※あくまで個人の経験と体験に基づいて書いた記事なので、ひとつの見方として読んでいただければ幸いです。

社会不適合者とは?

最初に社会不適合者の言葉の意味を調べてみました。

社会不適合者
読み方:しゃかいふてきごうしゃ

社会の要求に応えて生活することが困難な者。社会に適合できない人。うまくやっていけない人。

weblio辞書 実用日本語表現辞書より

言葉のイメージでは「ダメ人間」ような意味で使われることがありますが、社会の要求に応えるのが困難、社会に適合できない人、が正しい意味のようです。


さらに僕の認識を付け加えると、社会にただ適応できないわけではなくて、今の社会に適応するのに苦労したり、適応するために物凄いエネルギーを使う人のことでもあると思います。ひきこもり当事者や経験者はそんな人たちが多いのではないでしょうか?

ひきこもりは誰でもなる可能性がある

ひきこもりはさまざな要因が複雑に絡み合って起きる状態像であると言われているので、誰でもなる可能性があると思います。

例えば…
学生時代にいじめ被害、社会に出てから職場でいじめ・パワハラ・セクハラ被害、ブラック企業の長時間労働、病気や障害、家庭の問題など

つまり普通に社会生活を送っていた人が、何らかの要因でひきこもりなることもありえるので、必ずしも社会不適合者がひきこもりになるわけではないと思います。

ひきこもりを経験すると社会不適合者になるのか?

これはひきこもり期間にも左右されます。半年~数年ぐらいならば、問題なく社会復帰している人も多いですが、期間が10年以上だと社会性が低下するのは避けられないので、社会不適合者に近い状態になる可能性があります。

なぜ社会性が低下するのか?
ひきこもると年単位で他人と関わることがなくなり、所属先もなくなるから。そうなると社会性を維持できなくなる。

長い期間ひきこもると社会性が低下する傾向はあると思いますが、社会復帰する時に比較的すぐに上手くいく人がいることを考えると、個人の特性や資質の影響もありそうです。

僕は社会不適合者ベースのひきこもりだった

ここで僕自身のことを見てみます。僕は15年以上ひきこもった経験があるので「社会不適合者→ひきこもり、ひきこもり→社会不適合者」の両方が当てはまる可能性がありますが、僕は元から社会不適合者だと自覚しています。

理由は…
・子ども時代から克服できない苦手を持っている(主に対人の問題)
・ひきこもり→社会復帰してからも社会に居場所がなくて迷走中

僕は15年以上ひきこもったという事情を考慮しても、子とも時代から人と接する時の違和感をずっと抱えていたり社会復帰した後もどこに行っても上手くいかない、など社会不適合者の要素が濃いです。


働いても苦手と上手くいかないことばかりです。

例えば、マルチタスクが極端に苦手
事務職では、パソコン作業しながら電話対応していると集中できない
接客・販売では、品出しをしながらレジの応援に入るのが難しい

どの職種でも…
不器用で物覚えが異常に悪い、仕事の指示を一度で理解できないなど

特に何をやっても不器用で物覚えが悪いと、職場の上司からの風当たりが強くなるので職場での居心地が悪くなります。

「当たり前が苦手」だと社会不適合者になる

僕は今の世の中で社会不適合者と呼ばれてしまう人は、単純に他の人が難なくやってしまう「当たり前のことが苦手」なだけなのでは?と考えています。

当たり前のこと、とは…
コミュニケーション能力、器用さ、物覚え、頭の良さ、体力、人前での振る舞い方、などなど
人として基本的なことが一定以上の水準で平均的であること

誰でも苦手なことは多少はあると思いますが、それでも一定以上の水準で平均的であれば問題になることは少ないと思います。僕のように当たり前のことが極端に苦手だと社会不適合者扱いされやすいような気がします。

そして日本では学校でも職場でも得意なことを活かすのではなくて、苦手と向き合い克服することを求められるので、僕のような人はそれだけにエネルギーを消費してしまい悪循環に陥ってしまいます。

苦手と向き合い克服しようとするのは、本当に正しいのでしょうか?

まとめ

僕自身は社会不適合者だからこそ、ひきこもりになったタイプだと自覚していますが、必ずしも社会不適合者がひきこもりになるわけではなくて、同時にひきこもりが社会不適合者になるわけでないと思います。

この記事の中で何回も「社会不適合者」という言葉を使っていますが、僕はこの言葉が嫌いです。そして今の社会に合わないために社会不適合者と呼ばれている人たちは、ひきこもり当事者と経験者を含めて悪くないと思います。

近い将来に社会が求める人の幅が広がって、苦手ではなくて得意が活かされる世の中になって「社会不適合者」という言葉が使われなくなればいいな…と願っています。

今回も最後まで読んでいいただいて、ありがとうございました!

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