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ゴリラ

「だから申し訳ないんですけど、食べたことがないんですよ」

スーパーのレトルトカレーコーナーで私は何度目かの謝罪をした。ここにはいつも常備しているレトルトカレーのストックが切れていることを思い出し、その追加を買いにふらりと訪れただけなのだ。そのコーナーで面見せされているレトルトカレーの中から、いつものカレーを選ぼうとした時、ふとゴーゴーカレーのパッケージが目に入った。ゴリラの描かれた印象的なパッケージは、特に用がなくても目に入ってしまうが、少なくとも私の常備品ではなかったし、何なら一度も食べたことがない。そのまま目を滑らせて目的のカレーを探そうとした瞬間、例のゴリラが話しかけてきたのだ。

「ちょっとすみません」

最初、何かの演出かと思った。人感センサーで宣伝を始めるような仕掛けも最近は多い。その手の類のものかと思ったが、明らかに違った。普通に手に取る商品としての、ゴーゴーカレーのパッケージに載っているゴリラが私に話しかけている。

「すみません、よろしければ一つお聞かせいただきたいのですが」

強面な見た目のゴリラにしては随分と丁寧な言葉遣いで話しかけてきた。状況の異常さにしては不思議なくらいに私も答えてしまう。

「なんでしょう」
「ここに並ぶレトルトカレーの中で、私はあなたにとって何位くらいに入りますでしょうか」

はて困った。私はゴーゴーカレーを食べたことがない。というか、いつも買っているカレー以外はほとんど食べたことがない。順位を付けようにも、そんなに色々食べていないのだ。

「すみませんが、順位をつけられるほど色々食べてはいないんです」

幾分申し訳なさそうに答えてみたところ、ゴリラは聞こえていたのかいなかったのか、質問の意図を語り出した。

「私どもは金沢を原点として様々な場所と形態で展開をしておりまして、時折こうしてレトルトカレーコーナーを訪れる方にお伺いして市場調査を行なっているんです」
「はぁ…。と言われましても、申し訳ないんですけど、先ほども言った通り色々食べてるわけではないので…ゴーゴーカレーも食べたことないですし。」
「およその順位で結構なんです。ぜひ一つのサンプルとしてお聞かせいただけませんか。」

ゴリラは丁寧な対応とは裏腹に、かなり強引に答えを引き出そうとしてくる。食べたことのないものに答えてくれなど、まるで無茶なアンケートのノルマを課せられた新入社員のようだ。私も別に適当なことを答えてその場を離れれば良かったのだが、色々は食べないにしてもレトルトカレーを常備するくらいには好んで食べているので、あまり適当なことは言いたくない気持ちが勝ってしまい、つい反論してしまう。

「だから申し訳ないんですけど、食べたことがないんですよ」
「何位でも結構です。素直な気持ちをお答えいただければ。」

これはもう話にならないと、私はゴリラが呼び止める声を無視してレトルトカレーコーナーを立ち去り、レジに向かって会計を済ませた。スーパーの店内を出て、外の空気を吸った瞬間、さっきのは一体何だったのかという疑問がようやく去来すると共に、目的だったいつものレトルトカレーを買い忘れたことに気づいた。今戻ってもまたあのゴリラに話しかけられたらと思うと、変な空間に入り込みたくないという気持ちよりも、あの厄介な喋り口調に付き合いたくない気持ちが勝って、いつものレトルトカレーは後日買いに来ることにした。

そんな奇妙な事態に遭遇したにも関わらず、私はそのことをすっかり忘れて過ごし、しばらくしてレトルトカレーが切れていることに気づき、例のスーパーへと向かった。そして、レトルトカレーコーナーの前に立った瞬間、急にふと前回の奇妙な事象と、厄介なゴリラのことを思い出した。いっそ思い出さなければ気が重くなったのに、と思うほど、恐る恐るレトルトカレーコーナーに足を踏み入れたが、ゴーゴーカレーは前回と同じあたりにあり、ゴリラが話しかけてくることはなかった。

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