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なぜ Figma だったのか

はじめに

どうも、Figma 好きの皆さん。

本記事は数多あるデザインツールの中から、なぜ Figma でなければならなかったのか、私の持論を山盛り書いたものです。きっといつか、急に恥ずかしくなって消すかも。
再現性や有用性はないと思ってください。それでも良い!と思った方の暇つぶしにでもなれば幸いです。


Figma を選択した理由

基本的には同じですが、大きく分けて 3 つあります。

・インクルーシブなプロセスに最適だから
・緩やかにデザインシステムを作りたかったから
・デザイナーを価値あるシゴトへ


インクルーシブなプロセスに最適だから

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(画像:https://www.figma.com/ )

Figma の大きな特徴である共創、コラボレーションや透明性、ウェブベースといった特徴は多様な人を巻き込んで作っていく方法を前提にしています。

これらは私にとって欠かせないスタンスであり原則、または宣言です。
デザインは思いつきではなく、相互に批判し続け、磨き、それでも正しかろうものだけを次の時代に残していく。
いわば研究に似た行為と位置づけています。
1 人で黙々とやり続けてもすぐ限界が来ます。全員の知恵を絞って、作り上げる方が遥かにいい物を作れるはずです。

サービスを作るとき、業務フローやドメイン知識を経験者と同じ解像度にするにはどれほどの時間がかかるでしょうか。
分析思考しか持ち合わせない人を、どう巻き込めば UX(と呼ばれる領域)を検討できますか。

マーケターにはマーケターの、営業には営業の、経営者には経営者の言葉があります。言葉は一致しているようで小さなズレが無数にあります。
我々は仮説思考と具体化力を使って、言語上のズレや机上の空論をすべて消し去る存在であるべきです。
そのためにはオープンで、誰でもアクセス(閲覧と編集)でき、理解できなければ、DESIGN とは呼べないのです。

我々は社会とデザインする未来に投資すべきです。おそらく長期的には個人や企業を越えて、第三者と作ることが一般的プロセスになるでしょう。


緩やかにデザインシステムを作りたかったから

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インクルーシブなプロセスが故に、仮説は常にアップデートされます。
これは言いかえると最終版がコロコロ変わる苦しみ、その時は完璧にみえたものを捨て続ける痛みと、常に戦い続けなければいけません。

また Figma は使えば使うほどファイルへの属人性が少しずつ減っていきます。それでもデザイナーとして、守りたいものがあるはずです。
細部へのこだわり、本質的価値のみにフォーカスし、可用性とスピードとのバランスを保つ・・・。
これらを同時に行える人がどれほどいるでしょうか。

Figma は設計をミスってもカバーできる手段があります。
各画面のインスタンスすべてを直す作業や、プロダクトのためのプロダクトを行き来する時間、それらのスイッチングコストと学習コスト。
そしてくだらない依頼(老害からのレイヤー整理しろ!も含めて)はもはや、我々の敵ではありません。

更に透明性、ウェブベースという点がエンジニアやビジネスサイドを巻き込む強力なトリガーになりました。
作ったものを評価される側から、レビューをする側になれるとしたら。作られたガイドラインを参照するだけではなく、自ら変えてもらえるとしたら。

「ちょっとした文言の修正なら・・・」が「ちょっとしたUIの整備なら・・・」とやっているうちに、プロダクトデザインにも手を伸ばしていく。そうやって周りを巻き込めます。

品質やブランド価値の担保のためにデザインシステムをデザイナーのみが奮起したところで、何が得られるのですか。
共に作るという作業の中から、非デザイナーがデザインを習得していく、そういった世界に私は憧れています。


デザイナーを価値あるシゴトへ

民主化

デザイナーの UVP、他者から求められているものとは。

これは生存戦略や趣味趣向があるので、意見が分かれます。
少なくとも私はデザイナーであれば、ともに価値を発見、生み出す力をコアにすべきと思っています。これらは前述の仮説思考と具体化力によって初めて裏付けられます。

とくに今後はビジネス(STP やタイミング、販売方法など)テクノロジー(ハードウェア、ソフトウェアなど)、コンシューマー(価値、意味、哲学など)の全領域でのイノベーションを 1 度にマネジメントできるスキルが高く評価されていくのでは、と捉えているからです。

デザイナーっぽい話に戻すと、UI デザイナーや UX デザイナーが評価されてきたのは、純粋なチカラだけではなく、Web のテクノロジーイノベーションが前提にあったり、iPhone 等の、BTC イノベーション領域に手を出せる機会が増えたからかと思います。

もしその金箔が剥がれたら。それでも普遍的に使えるものとは何でしょうか。伝える力や実装力はテクノロジーが部分的に助けられてきました。
過去のデザイナーは手書きでスケッチやレンダリングをしていましたが、今はパソコンを使わない人は少ないです。
しかし我々がそうやって働いてる時間分、実は成果が出ていません。仕組みを考えられない人はできることを切り売りするだけで、優れたスキルを持ってしても評価されません。

繰り返しになりますが私は『ともに価値を発見、生み出す力』こそコアであり、加えて、デザイナーはそこをやりやすいのではと考えています。なぜなら我々は抽象と具象を極端なまでに行き来できるからです。


なぜ Figma だったのか

わたしは憂いています。デザインためのデザインに優秀な脳のリソースが割かれず、プロダクトの品質のみに終始してしまう現状に。

職人芸的なデザインを除いて、デザインは端から民主化すべきものだったのです。(元来みんなのものだった説すら)
我々は職を失うのではなく、不要論でもなく、代替えが効かない価値に正直になれることを喜べないでしょうか。そのために Figma がブースターとして存在してくれます。
いつか我々は愛すべきプロダクトを捨てて、
「あのころは、Figma だった。」と言えるかもしれません。


( しかしその環境は整っていませんし、先の話ですね 🥰 )


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クリスマス & Figma Advent Calendar 2019 用なのもあり、
少々エモめ、思想強めでしたね🙇‍♂️

どうやったら理想の世界に近づけるか。
Figma の Slack コミュニティかTwitter でお話しましょう!
それでは。



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