8月1日
私の祖父は、2021年8月1日にお隠れになりました。
それ以降、毎年この日には必ず祖父のことを考えてしまいます。
今日は午前中に三回忌の法要をしてから、NSCの授業を受けました。
祖父はお笑いが大嫌いだったので、この現状を知れば怒り狂ってお盆が終わっても家に居座り続けるかもしれません。
絶対に茄子に乗っけて追い返そうと思います。
お通夜なのに真昼間にやったような記憶があります。
よく分かりませんね。
身近な人を亡くすという経験が初めてだったので、どうにも自分事だと思えませんでした。
しかし、祖父の亡き骸は本当に亡き骸で、そこにいるのにどこにもいないということを痛感しました。
何より、形が無くなることが一番恐くて、でも写真を撮るのはあまりにも不謹慎だし、そもそもカメラロールに残すのは普通に嫌すぎたので、ただひたすらに、目に焼き付けていました。
気を抜くと涙が出てしまう日々が続き、心が不安定になっていたのですが、その約2週間後に子猫を保護しました。
悲しんでいる私たちを見て、祖父が連れてきてくれたのではないかとご縁を感じ、一緒に暮らすことになりました。
それからは目まぐるしく時が流れ、
寂しくも温かい、新しい日常が始まりました。
また、ずっとオスとして大切に育ててきた子猫は、半年後に行なった病院での診察の際にメスであることが発覚しました。
そういえば、なんでこの子のことをオスだと思ったのかが分かりません。思い込みの恐ろしさを身をもって知りました。
親戚が苦手です。
何かにつけてマウントを取り合い、
「自分の方が上だ」「お前は下だ」ということを証明しようとしてくるからです。
それも、自分のスキルや知識で勝負するのではなく、自分の子供や孫のことで優劣をつけてこようとするので非常に厄介です。
私は「大卒にも関わらずフリーター」ということで
馬鹿にされています。
学生時代は成績も運動神経も良かったからなのか、ペコペコしてきていたくせに、この肩書きが付いてからはずっとこうです。
心底どうでもいいのですが、人を悪く言うときの人間の顔は本当に醜いということを知っておいてほしいです。
一周忌の法要は、そんな親戚が集まりました。
祖父のことを考えたいのに、そんなことはお構いなしで終始マウントの取り合い。なんだか、生きていることの方がよっぽど虚しいように感じました。
よくよく考えてみると、この3年間、8月1日は晴れが続いています。なので気温や外の景色の見え方が毎年同じで、余計にセンチメンタルになります。
祖父は生前、「選挙の投票は絶対に行け!」と口酸っぱく言っていました。
それもあってか、いや、それしかないのですが、選挙前になると高確率で夢に出てきます。
しつこい
そんなこんなで、今年も8月1日を迎えられました。祖父がいなくても何にも変わらない薄情な世界ですか、明日からも頑張って過ごしていこうと思います。
馬場光
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