日記のようなもの
私は日記を書くのが日課になっています。
去年の11月1日にはじめて、それから毎日書いています。日によっては単語だけの日もあったりします。
たとえば、
朝4時に何を思いついてんだ。
という感じですがおそらく、夢に出てきたものを「これは大切だ!」と思い、寝惚けながらもいそいそとメモしたのではないかな。
二度寝から目覚めて、はじめてこのメモを見たときは「なんやこれ」と思いましたが、今となっては結構お気に入りのワードだったりもします。
ここまでくると日記になっていないですが、続けることに意味があると思っています。
日記を始めたキッカケは、
去年通っていた声優養成所で病み散らかしたことです。
決して上手かったとは言えませんが、お芝居が好きで、お芝居をやっている自分なら好きになれました。
自分が演じている役が最後に死んでしまうのなら、一緒に死のうと思って演じていましたし、それで良い評価を頂けたりもしました。
それくらいの熱量をもっていたので、お芝居をやるためなら、恥をかくことも、惨めな思いをすることもすべて、努力の範疇に収めることができました。
しかし徐々に、
業界が求める人材と私が求めるものとでは、違いがあることに気付き始めました。
自分を消して、あるいは新たに生み出した人格を本当の自分だと言い聞かせて、どうにか、どうにか、業界に自分自身をフィットさせようとしましたが、
心の中にある違和感や反骨心がなくなることはありませんでした。
常に、怒りに似た感情が身体中でグラグラと煮えたぎっていて、そうかと思えば「全部自分が悪い」と自分に刃を向けてたりしていました。
この頃から日記をつけ始めました。
いつか人に当たってしまうかもしれない
大切な人を傷つけてしまうかもしれない
という恐怖に襲われるようになったからです。
あの頃の日記をたまに見返すと、
人には絶対に言ってはいけない暴力的な言葉や
いかに今、苦しいか、どう苦しいかという気持ちを
感じたまま、思うがままに書いていました。
「ファインダー越しの私の世界」
なんてハッシュタグがありますが、
まさにそれのような面白さがあります。
空が青いことに対して、心が元気な日は
「空、青い🩵✌️」
と、
気分が更に盛り上がっていく様子を書いていましたが、
とことん陰の日は一言
「空死ね」
と、
時代が違えば私が北野武監督になっていたのでは?
と思わせる語感の言葉を使っています。
それくらい、日記は私にとって唯一、
自分自身に正直でいられる場所になっています。
最近の日記は、その日にやったことや起こったことなど、出来事の羅列が中心になっていて、それによって引き起こった感情の変化などの記載はあまりありません。
ぴかぴか笑顔で合図を送る車掌さんが、
爽やかすぎて素敵だった!という内容です。
読んでいて面白くはないですが、めまぐるしく過ぎてゆく日々に流されてしまわないよう、なんとか食らいついているのかなとも思います。
一本の線の上に、いくつものチャプターがあって、それが時系列で並んでいるような感じです。
苦しんでいた時期のものは、一つの感情をただひたすらに深掘りしていって落ちる所まで落ちるみたいな感じ。まるで絵画を見ているみたいです。
日記はそのまま引き出しになるので、
創作をする人は絶対にやるべきだなと思います。
かく言う私も、人生で初めて書いたネタは日記を参考にして作りました。
では最後に、先月あった小さな悲しみを晒して終わります。
馬場光
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