狸の筵

狸の筵を売って歩く背の高い男がいる。ヤニを常に吸っており、髪は鎖骨まで伸びているけれど肌色は美しい。ただ頬と顎の輪郭が少し崩れていた。白い黄ばんだシャツは左の腰の所がほつれていて、汗だくになりながら狸の筵を山ほど背負籠に背負っていた。見向きもされなかったわけではない。寧ろそれなりのあがりがあった。全部ヤニとパンに消えた。パンはそこらに転がってる浮浪者にくれてやっていた。要するに男は何も要らなかった。なのに狸の筵は絶えず手に入るから、暇と金のある限りはパンでも配って生活をやり過ごすことに決めたのだった。男は山でも登る様な姿で猫背に揺れ、狸の筵を売り歩く。同じ日が何年も続いた。男の髪は腰まで伸びていて、皺枯れて波のようにうねっている。破れた服の隙間から見える身体はみな骨がくっきり浮き出ていた。いつものように狸の筵を受け取りに行くと、それはもう別の男に渡してしまったのだと言われた。男は代わりにヤニだけを受け取り、いつからだったか分からない久方ぶりに一日中座り込んで、寝転んだりしてヤニばかりをただ吸い続けた。次の日また改めて狸の筵を受け取りに行くと、また同じく別の男に渡してしまったと言われ、ヤニだけを受け取った。そういう日が幾日か続いて、そして男はこれで生活は全うされたのだと了解した。男は最後に、貰えるだけのヤニを貰い、そこをあとにして寝床としている捨てられた厩舎へと帰った。男が死ぬまでそれ程月日はかからなかったが、それまで男はじっと寝転がってヤニを吸い続けた。貰ったヤニの八割ほどを呑み尽くし、丁度自分が埋もれるのに適う程度の山が出来る位の吸い殻を横目にした時、男は髪を掻き分けて八度ほど頭を搔いた。剥がれた髪の毛が指に絡み付いて来て、男はそれを握り抜き、ずるずると着いてきてからだらりと垂れさがった黒い糸の束を、ぼんやりと目の先で擦り落とした。糸を八本数えた。そこで男は目を閉じて、体の力を全部だらりと抜いて静かに眠った。川の流れる音と山雀の鳴く夢だった。
幾日か経って、幾つかの声が近づいてきた。
「やぁ、ここだここだ。」
「そうだな。頃良いな。有難や。」
「有難や、有難や。」
「これは全部載せられるか?」
「もう一台呼んでこよう。」
「ほんに霊妙なお姿で。」
「うむ。御蔵まではご丁重にな。」
「有難や。麗しい。けむの香りが今にも思われる。」
「神様も悦ぶだろうて。」
「とりわけ悦ぶだろう。」
「有難や。」
「有難や。」
「肌理も艶かしいだろうなぁ。」
「良い色が出る。」
「祭は明日か。」
「や、もう一日要るだろう。」
「明後日か。」
「待ち遠しい。」
「神様も悦ぶな。」
「我々も永らえる。」
「ほんに、有難や。」
「麗しい御身体だ。」
「うむ。永らえられよう。」
「有難や。」
声は遠のいた。厩舎には腐り切った積み藁と、吸い殻の余りが幾つか、はらはらと散り無くなっていった捩れた長い髪の毛がまだ数本、丸く細長い染みが黒く地面に残されていた。遥か遠くで喝采がする。どこか山の奥、道を教わらなければ辿り着かない深くで絶えず、煙は細く長く天へ伸びている。時に彩りを帯び、蒼く紅く末期までたなびいている。

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