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USB

まだ19のガキだが、
生意気にも、
時代は変わったと思うことがある。


今は、音楽はサブスクで聴くのが当たり前で、
CDはグッズ化している。


でも、僕が小学生の頃は、
ぎりぎり 音楽を聴くためにCDを買っていたし
TSUTAYAに借りに行ったりもしていた。


また、僕は電車に乗るときに
切符を買うという経験もしていた。


今ではPASMOやSuicaなどの交通系電子マネーが
当たり前だし、スマホにその機能を担わせることもできる。


でも僕は、
小さいころ親にどこかへ連れて行ってもらうとき、
改札前で一緒に切符を買っていた記憶がある。


そんなことを考えると、
たった19年の人生でも
少しは時代の変化を感じることができる。


他にも、時代の変化を大きく感じるものがある。


それは、ラジオの聴き方だ。


僕は深夜ラジオが大好きだ。


今でも
radikoというアプリで
スマホから毎晩ラジオを聴いている。


radikoにはタイムフリーという機能があるので
過去の放送も聴くことができる。


移動や作業の時は
基本的にこの機能を使う。

小学生の後半くらいから
ラジオが好きだったので、
過去の放送を聴くという習慣は
今までずっと続いていることになる。


でも、昔
といっても僕が小学生、中学生だったころ
まだradikoもなくスマホでラジオが聴けなかったのに
僕はどうやってラジオを聴き、
どうやって過去の放送を聴いていたのだろう。


一瞬 不思議に思うほど忘れていた。


そうだ。
小学生のころ、
僕はオーディオプレイヤーで聴いていたのだ。


CDも聴ける オーディオプレイヤーで
ラジオを聴いていたのだ。


今となっては、スマホとBluetoothで接続して
サブスクの音楽を 部屋に流す機能しか使っていない
この オーディオプレイヤー。


僕は このプレイヤーで
ラジオを聴き、
そして 大好きな番組は、そこに差し込んだUSBに
録音していたのだ。


今では、もはや
信じられないような過去だ。


でも、実際に そうしていたのだ。


なんだか恥ずかしいが、
そのことを思い出すと
胸の奥が熱く、そして くすぐったくなる。


そういえば
あの時のUSBって もうないのかな。


そう思い
思い当たる場所を探る。


日頃の生活では USBなんて使わないから
なかなか難航したが、
筆記用具の入っている引き出しの奥に
4つののUSBがあった。


これ、か?


とりあえず一つを
オーディオプレイヤーに差し込む。


”NO SONG”


ちがうな。


別のUSBを差し込む。


”NO SONG”


これでもない。


3つ目だ。


”NO SONG”


これでもない。


最後だ。


”Audio001”


目を見開いたと同時に、
鼓膜が揺れる。


スピーカーから
時報の音が鳴っている。


聴こえてきたのは、
「星野源のオールナイトニッポン」

時が止まった気がした。


いや、時間が巻き戻った。


radikoと違い
ノイズの入った音質の悪い音。


星野源の声にかかり続ける
ザァーっという音が、僕をあの時の夜へ引きずり込む。


小学生になり
親には内緒で
最小限の音量で深夜ラジオを聴いていた。


夜、布団にくるまりながら
真っ暗な部屋で一人
ラジオを聴いていた。


それによる睡眠不足は
翌日の授業中に補填した。


そして先生に怒られた。
そのうっぷんを
その晩のラジオを聴いて晴らした。


大好きな番組は
USBに録音した。


USBがパンパンになるまで
録音した。


勉強中も
ずっと聴いていた。


だから勉強は はかどらなかった。
それでもよかった。


古いオーディオプレイヤーだから、
たまに うまく録音できないこともあった。


当時はそれが ものすごくストレスだったが、
今となっては、いい思い出だ。


大好きな番組すぎて
一言一句 会話を覚えるほど聴いた放送。


うまく録音できなくて
フリートークのオチ前で
録音が終わってしまった放送。


リアルタイムで聴いて
夜 笑い声を出すのをこらえながら
必死に聴いた放送。


新曲解禁でわくわくしながら
聴いた放送。


学校で辛いことがあった夜に聴いた、
ものすごく くだらなくて
最低で最高の放送。


時代の変化で
忘れかけていた、
大切で 馬鹿げた思い出が
USBから溢れ出してきた。


せっかくだから音源を
パソコンに保存しようか。


いや、やめよう。


これは、このままのほうがいいな。


そう思えた僕は、
あの頃から変わらずにいられている。






















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