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時間の手綱

 今は午前何時ですか?丑三つ時を過ぎた時計を見て思う。文字盤に表示された数字を見ても、それがどういう意味を成すのかが分からなくなる時がある。午前二時、その意味は何?

 仕事に疲れたのなら寝ればいいのにと毎日思う。そして毎日失敗する。数字に急き立てられて八時間以上の勤務を終えると、そこに広がっているのは空虚な流れだった。電車に乗り、私の身体も時間も横並びに流れていく。音楽を聴いたり、SNSを見ているうちに一時間弱が通り過ぎ、私は最寄駅に吐き出されている。機械的に歩く。空気がつんと刺さるようになってきた夜を足早に過ぎ、家に着くと、そこは私のアジトです。次の日が仕事じゃなければ、なおさら何も気にしなくていい。ここで時の流れは止まる。

 現代社会は生産性を求め過ぎだと思う。時間は流れるものだと思い込み、一時間の中でどれだけ利益を生み出せるのかがあなたの価値になってしまう。そのために人は外国語を勉強し、数字に強くなり、そのくせ(英語や他の言語ができる人を優遇する割には)文学や文化への造詣は浅いまま(「あ、でも、それがビジネスに有利になるなら極めなよ」)。効率を上げてひたすら馬車馬のように働き、気づけば夜の九時、みたいな生活が常識である。仕事をしている間は、脳天に近いどこか右側の一箇所が妙にぴりぴりと痛い。気を張っているらしい。で、このぴりぴりに急き立てられて一時間ごとの作業を終える。

 けれど、家の鍵を回した瞬間、世界は豹変する。時の常識は通用しなくなり、ただひたすら、茫漠な流れが止まっているだけになる。巨大なプールのような時間の中を、ただひたすら泳ぎ続ける。夜の静けさの中を掻い潜って好きな男に連絡してみたり、静けさがあるからそこに浮かんでみたりする。夕方から夜にかけて聴くべきだった音楽を流したりして、微妙なミスマッチさに現実味を覚える。もう深夜の二時だ。さすがに、目が疲労感を覚え始めた。

 新しい私も、新しい明日も必要ない。ただ広がり続ける時間の真っ只中を歩き続けたかった。誰にも邪魔されない、誰も目の前にいない空間、ただあるのは私の思い出と不確かさだけ。時間の手綱を握りしめる。






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