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ケニアモノづくり紀行:土の色で見る貧富の差

アフリカ・ケニアでモノづくりを始めて6年目。観光では絶対に訪れない地域に足を踏み入れることで見えてくる世界があります。

下の写真に写っているバッグはORIKAGOで販売している「ベージュ」色と「グレージュ」色。実はどちらもケニアの土で染めています。

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左側の「ベージュ」は赤土で染めた色。右側の「グレージュ」は黒土で染めた色。あらかじめ小石などを取り除いた土を熱湯で溶かし、糸を染めてからかごを作ります。

現地では土で染めた色は「カーキ色」と呼ばれていて、モノづくりを始めた当初は「カーキ色」を注文しているのに時に赤っぽく出たり、時にグレーっぽく出たりする理由が分からず悩んだものです。

今回は、現地訪問時に教えてもらったこの土の色が持つ意味と、その意味を私が目の当たりにしたときのお話です。

注: これから書くことは私がケニアで現地の方々に教わった情報を基にしています。地学的、経済学的な統計や根拠は確認できていませんので「一つの視点」として読んでいただければと思います。

貧乏人がする仕事

ケニアに滞在するときは工房のある街で過ごすのですが、実際のモノづくりはほとんど農村部の女性たちが行っているため、滞在時は必ず女性たちを訪問するようにしています。

訪問を始めた頃に一つ気になることがありました。
それは、集会所がいつも辺鄙なところにあること。

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そもそも農村部なので辺鄙でも不思議はないのですが、それでも集落からかなり離れた場所だったり、ひと気の少ない建物の裏だったりで、便利な集会場がないのか、場所を借りると高いのか…?と気になっていました。

ある日、訪問担当者の男性に質問してみたところ、その人は笑って次のように答えました:

「そりゃあ、貧乏人の仕事をしているなんて知られたくないからだよ」

私たちがケニアで作製しているかごは、サイザルという植物の繊維を使って作るのですが、サイザルの手仕事を生業にしている、というのは現地では貧しさの象徴として見られているそうなのです。

思い当たる節がないわけではありませんでした。
サイザルの手工芸品は現地では時代遅れなものと見られていて人気がない。
サイザルの強い繊維を扱っていると手が荒れるので貧乏じゃなければその仕事を選ばない。

この辺りの理由は私にも想像が付いたのですが、その次に言われた理由がこちら:

「サイザルは貧しい土地に育つ植物だから」

サイザルはリュウゼツラン科の植物で、乾燥地帯や栄養が少ない土壌でも丈夫に育ちます。

どこにでも育つ植物だからこそ、価値が下がる。

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例えば、コーヒーの木は良い土がある地域に育つのでコーヒー農家は鼻が高いけれど、雑草のようにどこでも生えるサイザルで何か作ったところで自慢にならない、という理屈です。

更に細かく言うと、モノづくりの過程によっても微妙なランクがあるようでした。

最終製品を作り上げるかごの作り手さん達は花形。
売れない、と言ってもかごを販売すればそれなりの収入が得られるからです。

それに対し、サイザルの葉っぱから繊維を採取する採取係や、繊維を糸にする糸係の女性たちは貧乏人扱い。繊維や糸で得られる収入が労力に見合わないからです。

赤土に住む3人のおばあさん

そんな話を聞いてしばらく経った頃に、サイザル繊維の採取を担当しているグループを訪問することになりました。街からバスで1時間。更にバイクの後ろに乗せてもらって1時間ほど山道を登ったところで作り手さんの家に辿り着きました。

見渡す限り、青い空に赤い土。そして列をなす刺々しいサイザルの葉っぱ。サイザルのテーマパークのような場所に私は思わずテンションが上がりました。

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「このサイザル大きい!おお~、農家の垣根に使うのか、なるほど!!」とはしゃぐ私を苦笑しながら見つめる3人のおばあさん。彼女たちが繊維の採取係です。

おばあさん達は物静かでした。

私がサイザルの摂取を見たいと言ったら、無言で立ち上がって歩き出し、採取場で繊維の取り方を見せてくれました。私も一緒になってやってみたところ、見事にサイザルの強い灰汁にやられ腕がかぶれてしまったら、黙々と石鹸と水を用意し、土を使って洗う方法を見せてくれました。

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聞くところによると、リーダーのおばあさんは昔、旦那さんの仕事についていって何年も違う地域に住んでいたそう。旦那さんが亡くなり、生まれ育った村が恋しくて戻ってきたものの、長く離れすぎて頼れる人も親しくしてくれる人もいない。

そして、サイザルがたくさん育つ赤い土は、農業に不向きな栄養素が少ない、乾いた土で、育てられる作物がとても限られる

仕方なく、薪を割ったり家の周りにたくさん生えているサイザルの繊維採取で生計を立てていました。

他2人の内、一人はそのおばあさんのお母さん、推定80歳。もう一人は、数少ない友人と紹介されました。

色鮮やかな風景に囲まれながらも、何か悲壮感のようなものが漂う空気に今一つ心落ち着かない気分で過ごした朝でした。

ジュラ紀の道の先に見えた景色

おばあさん達と別れた後、バイクで次の訪問先に向かう予定だったのですが、「ここから近いから、歩いて行ってみないか?」と担当者に誘われ山を下って街まで歩くことになりました。

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散歩程度かと思っていたら、ガッツリ30分の山歩き。
滑りやすい赤土の道に生い茂る名前を知らない野生の植物たち。突如現れる大岩。そしてサイザル。
まるでジュラ紀にタイムスリップしたような気持ちになります。

ひたすら歩いていくと、急に目の前の視界が開けました。

そこにあったのは、黒い土に青々とした野菜が育つ農家でした。

牛を使って畑を耕す青年の向こうには立派な赤い屋根の家が建ち、更に遠くにはトラクターが見えました。赤い土埃にまみれて歩いたばかりの私は「なんて豊かなんだろう」と思わず足を止めてしまいました。

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黒土の農家から歩いて5分。大通りに近い学校の裏庭で、糸作りの女性たちが集まっていました。場所はやはり、通りから隠れた場所でしたが、今度の女性たちはおしゃべりでした。

年齢は、さっきのおばあさん達と大きくは変わらないのに、とにかく元気。「もっと値段を上げてよ~!」と大きな声で文句を言い、値段交渉の最中も笑顔。その明るさにまた戸惑いました。

同時に、最初に合った女性たちの悲壮感の原因が少し分かるような気もしました。

30分歩いただけで、土の色が変わるだけで、育つ農産物の種類が全く違う。隣の土地が青々と茂っているのを見てしまったら、自分たちの境遇をより不幸に感じてしまうのではないだろうか。

元気に値段交渉を続けるおばさん達の前で、つい数十分前に会っていた女性たちの気持ちを色々と勘ぐってしまう午後でした。

目に見える違い

誤解が生じてはいけないので書きますが、黒い土の地域に住んでいれば裕福、赤い土の地域に住んでいれば貧乏、という方程式があるわけではありません。

私が見た農家は確かに立派でしたが、糸作りをする女性たちも素材作りの女性たちと変わらず貧困に苦しみ、脱却するためにサイザルのモノづくりをしています。

そもそも、マチャコスという地域自体が半乾燥地帯で雨量が不安定なため、例え黒土の畑であっても農業が不安定な収入源であることに変わりはありません。

ただ、この赤土・黒土の経済の違いは元々スタッフから聞いていた話で、現地の方々はかなり意識している様子が伺えます。実際に、工房があるマチャコスの街では黒土しか手に入らず、他の地域を見ても、黒土の町の方が栄えている印象も受けます。

何より、赤い土から黒い土へ自分で移動し、実際に経験してしまった衝撃は大きい物で、未だにベージュとグレージュのバッグを見ると少し複雑な気分になります。

サイザルを誇れる仕事に

残念ながら、この訪問から一年後、様々な事情が重なってしまいあの赤土の3人のおばあさんとは契約が終わってしまいました。今もサイザルに関わる仕事を続けているか分かりません。

糸作りの女性たちは引き続き細く、きれいな糸を提供し続けてくれていますが、今でも周囲には糸作りをしていることを知られないよう気を付けているようです。

私たちのケニアでの取り組みはまだまだ始まったばかりですが、これからもサイザルを活用したモノづくりにこだわり続けていきます。

関わっている全ての作り手さんが胸を張って「サイザルでモノづくりをしている」と言える未来を創るのもまた、私の使命だと思っています。

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かご専門店ORIKAGO 代表 岡本ひかる
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ORIKAGOのHP:  https://www.orikago.com
運営会社アンバーアワーのHP:  https://www.amberhour.com

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