見出し画像

ちっぽけな私は、半径1メートルから幸せをつくりたい。

身長は156cm。靴のサイズは23.5cm。
手の大きさはちょうど文庫本くらいの大きさ。

ふだん生活している時には考えないけど、自分って結構ちっちゃいなあと思う。物理的に。

特にそれを感じるのはなかなか寝付けない時で、地球の裏側では誰かが一生懸命うごいてるのに、私は今畳一畳分もないベッドの上で寝っ転がって息してるんだよなあとか考え始めると、無性に何かしたいと言う気持ちになって余計に眠れなくなることがある。(結局起き上がるのも面倒だから何もしないのだけど)

寝れない時のわたし。絵心ください。


人の心臓は、握りこぶしくらいの大きさらしい。

、、、ちっちゃ。

私はこの両手で包めるくらいの大きさの心臓が止まったり誰かにあげたりしたら死んじゃうわけで、それまでに私は何ができるのかなあって最近よく考えます。
それは、もうすぐ20歳になるからかもしれません。

20歳になるからって何が変わるわけでもないはずなのだけど、なんかこわい。人生の大きな階段をいっぽ上がるかんじ。

周囲の"20歳になる"をすでに経験済みの方々に「20歳になるのがこわい」っていったら、
「お酒合法的に飲めるようになるんだよ、いいじゃん」とか、
「いい意味でも悪い意味でも自由ってかんじだよ」とか、
「責任が大きくなる」とか、
「それみんな言ってるけど、なんも変わらん」とか、
色々教えてもらえました。

なるほど。結局一度はたちになってみないとどうなっちゃうのかはわからなそうだ。

ちょっと脱線してしまったけど、100歳まで生きられるとして私の人生はあと80年。さて、私はその中で何ができるか。


私は中学生くらいの頃から、将来は誰かの幸せにつながる仕事に就きたいと考えていたように思う。
新学期や進路指導などことあるごとに聞かれた"将来の夢"は、パティシエ、幼稚園の先生、栄養士、保健室の先生といった自分の身の回りにあるな職業に始まり、調べていくうちに、新しくて素敵な職業もたくさん知ることができた。

どれもかっこよくて、誰かの幸せをつくっていて、でも結局どの職業も自分にはしっくりこなくて。結局大学生の4年間で学んだ後に"将来の夢"を決めることにした。

その判断は、結果的にはよかったんじゃないかな、と思っている。

なぜなら、たくさんの"人を幸せにする人"に出会うことができたから。
そして、たくさんの"幸せになってもらいたい人"の存在を知ることができたから。

コタキナバルのマーケットにて。
ここで、子どもの労働の現場に出会った。

たくさんの出会いがあって、私は今この時に私の知らないところで小さな「助けて」の声をあげている人が思っていたよりもたくさんいること、今すぐに解決しなければいけないことが山のようにあることを知った。

いや、「環境問題」「ジェンダー格差」「貧困」「難民」「孤独死」「いじめ」「人権」など、言葉としては知っていたけど、それらの課題がより自分ごととして感じることができるようになった、といった方が正しいかもしれない。

もしも3つだけなんでも願いを叶えてくれる青いランプのおじさんに会うことができたなら、今生きている人もこれから生まれてくる人も、誰もが幸せを感じられる世の中にしてくださいっ!!!ておねがいすると思う。
でも、実際にはそんなおじさんにどうがんばったら会えるのかわからないし、だからと言って自分が生きている間に自分の手でその願いを叶えるには、体も時間も勇気も知識も、何もかも足りないだろう。

自分があまりにも小さくて、もどかしい。

そんなことを考えていたらふと、いつかどこかでみたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんのエピソードを思い出した。
調べて出てくるといいなあと思ったら、出てきた。

例えば、苦しんでいる子どもたちの写真を撮るときに二つの願いを込めてシャッターを切ります。一つ目は、目の前のあなたが一日でも早く元気になりますようにということ。二つ目はこれからあなたと同じような思いをする子たちが現れませんようにということ。

でも、その二つの願いが砕けるたびに、なぜこの仕事を選んだのかと感じます。そのとき現地のNGOの人から声を掛けてもらったのは、「菜津紀さん、これは役割分担なんですよ。自分たちNGO職員には、個々に踏みとどまって人々を支えることができるかもしれない。けれども、ここで何が起こっているのかを世界に知らせるのは、時にはとても難しいことがある。あなたは少なくとも通い続けることはできるし、ここで何が起こっているのかを世界に広めることができる。役割を持ち寄ろうよ」ということでした。葛藤がこれでなくなるわけではありませんが、役割分担という言葉は気持ちにすとんと落ちました。

社会の問題を解決するために一人ひとりに何ができるかー「私」を軸に想像力を広げる他者とつながり、社会を変えていく, http://ictj-report.joho.or.jp/1801-02/topics02.html


私は安田菜津紀さんみたいに立派な人じゃないしおこがましいかもしれないけど、私にとっても「役割分担」という言葉は気持ちにすとんと落ちた。

私の、役割。

うむむ。

考えて、考えて、思いついたのが、まず"目の前にいる人を幸せにすること"だった。

私は本当にちっぽけで、今の私にたくさんの人を幸せにできるような力はない。大変おこがましい考え方かもしれない。でも、誰もが幸せを感じられる世の中を願うなら、まず自分なりに、私の半径1メートルから幸せにできるようにがんばってみたいと思う。

わたしには誰かを暗闇から引き出して守ってあげられるような力強さはないし、悩みなんてどうでも良くなっちゃうような太陽みたいな明るさもない。でも、寄り添い、耳を傾けることならできるかもしれない。

じっくり。ゆっくり。急がなくていいから。

そっとあなたを包み込めるような人になりたいと思う。





半径1メートルの世界から幸せの輪はおおきくなる。
半径10メートル、100メートル、1000メートル、、、。

輪を広げるためにできることはたくさんあると思う。


できることをもう少し深く考えてみたいけど、ちょっと長くなってしまったから今回はここまで。
書いているうちに、これから半径1メートルからその先の世界を想像してみるとりくみ(?)もしてみたいなと思いました。

お付き合いいただきありがとうございます!
また読んでくださると嬉しいです。

もしよかったら、コメントで"あなたにとっての幸せ"を教えてください!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?