親を亡くすということ、あれから1年半①

母を亡くしてから2ヶ月後に書いた記事を、とても久しぶりに読み返した。
そうか。あの時の私は、なんか少しは大丈夫になって新たな一歩を踏み出したように感じていたらしい。いやはや、とんでもない。
母を見送り両親がこの世にいなくなったという現実は、あの後もずっと、じんわりと、そして時には凄まじく私を苦しめた。
むしろ、その後しんどい時期を過ごした記憶の方が今はっきりとしている。この記事を書いた当時は、ただ興奮(辛い思いが自分に与える刺激としての)が続いていたのだと思う。

その後の経過も書こうと思っていたらしいから、母が亡くなって1年半が経とうとしている今、どんな経過を辿ってきたか簡単に残しておこうと思う。

印象が強く残っている体験はこのような感じ。
  ・ スピリチュアル系のセッションや講座を受け続けたこと
  ・ お正月を乗り越えるために必死だったこと
  ・ 夜間のパニック発作
  ・ 実家の整理、片付け
  ・ 引越し

まず、スピリチュアル系のセッションや講座についてだけれど。とにかくもう、そのような類に接してなければ自分を支えられなかった。結論から言うと、一年が経過する頃には距離を置けるようになった。
亡くなった存在と話ができる方とのセッション、ミディアムシップ(霊媒)になるための講座、潜在意識に働きかけるセッション、エナジーワーク、見えない世界との繋がりを強くするためのヒプノセラピー的な講座・・・
私は仕事もなく、親しい友人は遠方にいて、とにかく一人きりの時間しか存在しなかった(今もだけど)。亡くなった親と繋がれる可能性があるなら、と藁をすがりまくった。結果的に、それらのセッションや講座からは、亡き親との繋がりは体感できなかった。ただそれでも、霊媒師や、講師やヒーラーたちは皆とても良い人達だったので、彼女たちと接する時だけは酷い孤独から離れられるという恩恵を受けた。
預貯金からの出費が大きくなりストップをかけた。下手をすると泥沼にハマるかのように散財する人も多いと思うし、私にはそのリスクが高いと客観的な判断ができていた。
収入が循環するようになり資金に余裕ができた時には、機会を見つけてまたセッションを受けたい気持ちはある。何事もバランスが大切で、それが整っているならば、こういった類のものは悪くはないと思うので。


昨年の年越しのことは忘れない。
大晦日、そしてお正月を「乗り切る」という感覚で緊張して過ごした。とにかく、普段の平日と変わらないように過ごすんだと意気込んでいた。友人や、結婚した相手家族と過ごす年末年始も経験しているけど、この世に親は存在していてくれた。大晦日やお正月の両親との思い出が愛おし過ぎて、両親が居ないお正月への危機感があまりに強かった。
年末年始にかろうじて開いているドトールで過ごした大晦日。夕方に家を出てドトールに入り20時閉店までを過ごす。スーパーのおせち売り場に意識を向けないようにして、正月を思わせるものは何一つ買わずに帰宅する。すぐに布団に潜り込み、テレビもつけずじっとして過ごした。
元旦は、一日中布団の中にいたように記憶している。もちろんテレビはつけず(普段からテレビはつけないのだけど)YouTubeだけ眺めて過ごした(と思う)。とにかく今日が正月だという意識を持たないように「意識した」。元旦の記憶がぼんやりしている。そして、2日からは、オープンしているカフェなどに出掛けて行ったように覚えている。気合いを入れて過ごしたことだけは、しっかり覚えている。


夜間、一人で過ごすことへの不安と恐怖が随分と長引いた。
今でも正直、夜間は緊張感が増す。
仕事を終えて美味しい食事をいただき、入浴を済ませリラックスして過ごす夜の時間・・・そんな時代もあったなんて嘘のように思ってしまう。夜時間が好きだったりもしていた時代があったなんて、おかしかったんじゃないかとさえ思う。
もともと両親が健在の頃からパニック発作には悩まされていたのだけど、環境が違うと事情も変わってくる。夜中にパニック発作が起きたら、一人きりでどうしたら良いのかと恐怖した。救急車を呼ぶ大事になることを恐れた。夜中は友人と連絡がつきにくいから、と不安になった。パニック発作の経験者には理解してもらえると思うのだけど。
誰かと一緒にいてもパニック発作を予期したり、起こった時は恐怖だったりするのだけど、夜間や真夜中はずっと予期不安の中で過ごしていたように思う。明け方まで眠りにつけず、明るくなった頃にやっとウトウトし始めて眠りに入る。不思議なもので、空が明るいと不安も和らぐ。
ここ最近やっと、なんとか真夜中の継続する予期不安はなくなったように感じている。もちろん緊張感はあるのだけど、「寝てしまえば大丈夫」という感覚も芽生えてきていて、上手に眠れるにはどうしたら良いかとそちらに意識を向けるように切り替わってるのかもしれない。


随分と長くなったので、実家の整理・片付けと引越しについては、分けて書こうと思う。

人は同じ立場に立たない限り、本当に他人のことは理解できないって痛いほどに感じる。同じ立場に立ったとしても、その人の置かれている環境やその人の価値観によって、体験することや感じることは全く変わってくる。
私と似たような人がどれだけいるのわからないし、今書いてることが誰かのサポートになるのかどうかもわからない。
だけど、経験をシェアすることの大切さに気づいてるからこそ、自分のことも書いてみようと思うのだ。


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