親を亡くすということ

4ヶ月近くブログを更新していなかった間に、私の現実という世界が様変わりした。母を突然に亡くしたのだ。

突然に母が逝ってしまってから2ヶ月が経とうとしている。この2ヶ月の時間の経過は時空が歪んでしまったかのようで、非現実的なものだった。
こうして母親の死を体験したことを書こうとしている今のことを想像することは難しかったし抵抗も感じていたのだけど、どこかの誰かがこの記事を読んでほんの少しだけでも励まされたらいいなという願いも込める。
私自身、母の突然の死を受け入れられず混乱し恐怖と哀しみに打ちひしがれていた時に、同じような体験をしてる方の記事を読みながら自分を励ました。

私は一人っ子で、父親も7年以上前に他界しているので、母を失い「両親」をなくした。離婚していて子供もいないので自分自身が作った家族もいなく、両親は共に末っ子だったので付き合いのある親戚ももう居ない。
これほどまでに心細い思いをしたことは今までにない。誰もが両親を失う日がくるだろうけど、親戚付き合いもなく兄弟姉妹もなく配偶者や子もない立場の人は周りには居なかった。遠方に住む親友に随分と助けてもらった。それだけでも本当に有難いことだ。誰かに心から感謝することを随分と学ばせてもらった。

親の死。私は幼少期からずっと両親がいつか死んでしまうことを恐れていた。
だけど、それは必ず現実になるんだと痛感したと同時に、この先はもう親の死に怯えることはなくなったという安堵感も少なからずある。
もう体験してしまったのだ。

あれもこれもしてあげたかった、という悔い。
あんなことしなければ良かった、あんなこと言わなければ良かったという自責の念。
これはね、親が健在のときに完璧に後悔しないように親に接することができる人は限りなく少ないだろうなと思う。親子ってなんて切ない関係なんだろう。

ただ、存在してくれているだけで良かった。
生きていてくれるだけであんなにも支えられていたんだって…失ってから体感する。

葬儀をすませ、四十九日の納骨の法要をすませ、細かい事務的な作業をこなす。
この先、母が暮らしていた実家を整理し退居するという大掛かりな作業が待っている。母が生活していたそのまんまが残されている。このまま実家で私が暮らせれば良いのだけど、条件的にここは退去しなければならない。
母が使っていた食器、寝ていた布団、着ていた沢山の洋服。他にも沢山、だって生活していたのだから。どれもこれも処分するのは本当に辛い作業。どれだけのものを残せるかな。これだけは残してずっと持っていたいという母のもの父のものを整理しなければならない。
モノには思い出が残っているから本当に大変な作業。
少しずつ進めていかなければ。

私の現実世界は強制的に変えられてしまった。
当時はその苦しみしか体感できず、ひとりで人生の荒波に放り出されたような孤独と恐怖心しかなかった。
時間の流れって残酷で、だけど人を癒す力がある。
もちろん今だって不安だけど、それでも前に進んでいこうとおそるおそる一歩をふみだそうとする自分に気づく。
実家に置いておいた自分のモノがあるし、残したい両親のモノもあるし、お仏壇もあるし、新しい住む場所をみつける必要がある。
いつかまた、もう少し具体的にやらなきゃならなかった事ややった事などをまとめられると良いなと思う。心の動きも書けたら尚更良いだろうと思う。
どこかの誰かの役にたてるかもしれないから。


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