親を亡くすということ、あれから1年半②

前回の記事の続きで、このページでは実家を片付け手放し、引っ越しをしたことについて、簡単に記しておこうと思う。

前回の記事はこちら↓

実家を整理したこと。
これほど心に負担がかかる作業ってあるのだろうか。
もちろん人によっては、断捨離のデラックスバージョンとして心機一転の大きな機会になり得るものでもあるし、私にとってもその効果がなかったわけではない。それでも作業中は、心がとても苦しく辛く大変だった。
母がこの世に生きていた証となる多くの品々。どれを残しておけるか私が判断しなければならない。父のものもあるけれど、父が倒れて自宅での生活が出来なくなった時、母が随分と父のものを処分していた。それでも父が使っていたカメラや、残したアルバムや、メモ書きされた紙とか、最低限は手元においておきたいものが残っていたのは有り難かった。
重たいカメラやストロボ。自分の記憶がなくても幼少期の家族写真はすべて、父がこれらのカメラで撮り続けてくれていたんだ。この重たいカメラに父の思いが凝縮されているように感じ、ありがたさと恋しさでいっぱいになる。
両親と共に生活していた記憶が蘇る品々。両親の愛情を一身に受けて育った幼少期の思い出が沁み込んだ品々。
両親が生きていた証となるものを、「本人ではない私が処分する」という行為が耐え難いものだった。どんなに思い出深いものでも、自分が子供の時に着ていた服や使っていた雑貨などは、割と合理的な思いで処分できた。そう、自分のものを処分するのは楽なのだ。

母が暮らしていた住居は、高齢者の一人暮らし向けのUR住宅だった。母が亡くなる1年くらい前までの約10数年、URの許可を得て(私は所得がなく、許可を得る条件が揃っていたため)私は母と同居していた。契約者である母が亡くなった後は、私はそこから転居する必要があった。実家の3Kの部屋につまった品々を全て手放すことは不可能で、かつて一人暮らししてた1Kのような間取りに越すという考えは選択肢から外した。そもそも1K暮らしができていたのは、実家という存在があったからこそだった。
無職の自分に新たな転居先を決めることができたのは、母が残してくれた預貯金だった。裕福な家庭ではなかったものの、貧乏に感じることもなく、不自由なく育ててくれた両親のおかげであり、母がコツコツと私に残そうと貯蓄してくれたおかげであり、両親の世代は受給する年金が高額だったおかげでもある。
UR住宅の2DKの部屋に転居することが決まり契約を終えた時、両親が他界した後でさえ、私は両親に育ててもらっているのだと実感して胸が熱くなった
もちろん、今後を考えて循環する収入源を得なければならない。当然ながら、焦りも不安もある。それでも、その準備をする期間を与えてもらっていることに感謝の思いで一杯になる。

3Kから2DKへの移動という具体的なイメージを手にすると、ほんの少し気持ちが楽になり作業を進めることができた。転居先も、実家から電車だけの移動でいえば20分くらいだから近いし、同じUR住居だから部屋の間取りすら似たような感じだ。この程度の変化が私にとっての精一杯だった。

転居先を決めるまでに1年以上を必要とした。
母が亡くなった時点で実家を片付けなければならないことはハッキリしていたけど、自分にとっての実家がなくなると考えただけで怖くて仕方なかった。とは言っても、いつか必ず退去しなければならないわけだからと物件を検索し続けてはいた。両親と暮らしたこの街から離れることを想像するだけで怖くなるものの、どこを歩いても思い出しか蘇らないこの街にずっと居続けるのも怖かった。
少しずつ、少しずつ、自分の感覚がバランスを取り始めた頃に、今までになくピンと気になる物件を見つけ、トントン拍子で契約が決まった。そこに引っ越して、一人でそこに暮らすイメージがはっきり湧いたことが大きな決め手だった。

引越しが決まったら、もうそれに向けて動くしかなかった。
実家の片付けを業者に依頼するつもりはなかったので、実家にあるモノ全てを自分の手に取り確認し、自分に問いかけながら仕分けした。思い切って捨てたものは沢山ある。食器棚やタンスのような大きなものは手放した。とりあえず残しておきたい、と保管してるものも沢山ある。
可燃ごみ・不燃ごみは、ゴミ収集場所へ何度も何度も往復した。数回に分けての粗大ゴミ回収(粗大ゴミを外に出すのも、自分一人で重たいものを運ばなければならなくて大変だった)、リサイクルできるものを市役所に出しに行ったり、メルカリに出品したりした。エアコンの取り外し、不要になっていたスカパーアンテナの取り外し、大きな家具の引き取りは業者に依頼した(それらのコストが割高になった)。

引越し当日、引越し業者の手際良い作業はあっという間だった。
新居となる部屋や台所の作りが同じUR住宅ということで、ほとんど変わらないことが大きな慰めとなった。場所は変わったけど、まだ両親を身近に感じやすいように思える気がして。
実家を片付けて引越しするなんて考えただけでも無理だと思っていた。
それでも、ちゃんと実家を片付け手放し、引越しを済ませられた自分がいることに、不思議な感慨がある。新しい生活を始めて3ヶ月が過ぎた。もっと長い時間が経過してるようにも感じる。
実家のある町から離れたことは、私にとっては良い効果があるように思う。行こうと思えばすぐに行ける距離感だからだとは思うのだけど。今住む場所が、とても便利な場所なのも一人暮らしには必須条件なのだと痛感している。

もちろん、未だにとても寂しい。
ただの一人暮らしじゃないから。
この世に自分の両親がいないことが心細くてたまらない。

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