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不登校になりそうでならなかった話


今日は私の小学生時代のお話。


私は、昔から感情移入が凄まじい人間だった。
短時間のCMやニュースで心を揺さぶられ、しばらく引きずってしまうなんてことは、日常茶飯事。

そして、なんとなく他人の気持ちや感情をキャッチできる方でもあって
所謂HSP気質というやつ。

あ、あの先生機嫌が悪いな。
あの子悲しそうだな、大丈夫かな。
怖いな、ここなんとなくいたくないな。

私みたいな人間にとって、小学校は正直恐怖でしかなかった。

突然怒り出す先生、
無邪気に人の悪口を言う同級生、
突然静かに始まるいじめ、

こう書くと、多くの子どもにとっても怖いんじゃないかと思うんだけど
私はこの環境が怖すぎて、小学生ながらに人に本音を話すことを辞めちゃいました。
なにか言って、揚げ足をとられてある日突然いじめられるのではないか、誰かに嫌われて悪口を言われるのではないか。
小学生の私にとってはそれが一番恐怖で、自分を表現することなく、冗談抜きで空気になりたかった。

いつもニコニコ。
本音は話さず、よく笑う子。
何を考えてるかわからないけど天使みたいにいい子。

私、かつては本当にそう言われてた。笑 
そのせいで、本当の自分の気持ちがわからなくなってきて、後々苦労もするんだけど、、

でもいじめがはじまりそうな雰囲気を見て、
ターゲットになりそうなその子をトイレに誘ったり、
一緒にできるだけいて絶対に1人にしないようになどはしてた。

でも、はっきり
やめなよ!
って言う勇気は到底なくて。

なんだか自分が偽善者としか思えず、毎日家で泣いてた覚えがある。
いじめられてる当事者の方が辛いはずなのに、、なんで私が泣くんだ、と泣いている自分さえ責めていました。
ご飯の時、訳もわからず涙が止まらない日々が続いたり。
今思うと鬱っぽかったんだろうなと。
でも偽善者の自分を曝け出すのは怖くて、親には何も話せなくて、辛かった。


親も、突然涙を流す娘を見て辛かったんじゃないかと思うんだけど。
親を悲しませている、その事実もなんとなく理解しており、それで余計自分を責める時もあって。
でも、私には打開策がわからなかった。

そんな時の、親の対応で印象に残っていることがあります。
ある朝泣きながら学校の準備をしている時父親に、

「しんどかったら、もう無理に学校に行かなくてもいいんだよ。」

と言われて。
教育熱心な両親だったから、私は子どもながらにびっくりした覚えがあって。

それまでは、

みんな学校に行っているのに、行くのが怖い。
そんな自分は親を悲しませて、がっかりさせてしまうだろう。
なんとしても行かなくちゃ、でも学校に行くのは辛いし怖い、、。

と自分1人で戦っている気持ちで
追い詰められて逃げ場がない気持ちだった。
家でいくら楽しい休日を過ごしても、月曜になったら否応なく学校には行かなきゃいけない。
私にとっては本当に試練でした。考えたら涙が出るくらいには辛かった。

でも、親に

無理に学校に行かなくていいんだよ。


と言われて、私はなぜか逆に一気に心が軽くなり、勇気が湧いたんです。

いつでも家に帰れる。
私は別にここで1人で戦わなくたって、味方してくれる両親がいる。
みんなみたいに普通に学校に行く私でいなきゃと思ってたけど、親はそんな私じゃなくても別にいいんだよ、って思ってくれてたんだ。

ものすごい深い深い安心感を覚えました。

もう少しコミュニケーションがうまくとれる子なら、、と親からしたら思ったと思うんだけど
なんせ、自分の気持ちをほぼ言葉で表出できない子どもだったから、親は苦労したと思う。

子ども時代の私にとって絶対的存在であった親に、
同じく絶対的存在だと思っていた学校について、
「行くことは絶対ではないんだよ。」


と言ってもらうことほど心強いことはなかったです。
学校に行けない、行きたくない自分は最低だ!と責めていた自分だったから
それを親が否定してくれたことで心がスッと軽くなり、自分を責める気持ちも減って。


そのあとは、私はものすごい強力なお守りを手に入れた気分で、以前より学校に行く足取りが軽くなったんよね。
私には学校に来ないという選択肢もあるんだ、
社会勉強のために今日はきてるんだ、
なんて気持ちで通うことができた。笑

それでもやはり、辛くなる時はあって
その時は黙って休んだり、布団から出ていかなかったり。笑
なんとなく察した親は、仕事の合間を縫って
「よし!じゃあ今日はランチでも行こう〜」
とか言ってお出かけしてくれたり。
理由を聞き出したり、解決してなんとか学校に行かせようとはしてこなかった。
うまく話せない私にとって、とっても安心できるホッとする時間だったのを覚えています。

こんなに自分の気持ちや状況を話せなくて、大丈夫なの?
話すのも勉強じゃないの?
と思う方もいるかもですが。
確かに、今の私は話すことでどんなに心が軽くなるか、生きやすくなるか知ってるけれど。

でも、すぐに話せなくてもいいと思います。
いずれ、話すことで心が楽になることもあると気が付くし
そして、話して自分を表現したくなる日が来るだろうと思うから。

小学生の時の私は、
「これが嫌だった。」
「あの子が友達をいじめてた。」
そういう話をすること自体が、悪口なのではないかと考えていて。
その気持ちを話すことで、私の苦手ないじめをしてる人と同じになってしまうのではないかと思ったり。
本が好きだった私は、生きるのが苦しかった時、たくさんの本を読んでいて、その中で

「相手は自分の鏡」
「人にしたことは必ず自分にも返ってくる」

なんて言葉がすごく印象に残っていました。
この言葉自体は、真理だと私は思っています。
ただ、小学生の時の私は断片でしか理解できず。

私が嫌だった出来事を話していると、またそれが返ってくるかもしれない。
私も悪口を言われてしまうかもしれない。

と本気で考えていたのです。
これが私が自分の気持ちを話せなくなったもう一つの理由。

ただ、この後
話すことは、放つことだよ。

という言葉で180度話すことへの認識が変わったりして。


長くなってしまったけれど、こんな感じで私はのらりくらりと学生時代を過ごしていました。
時にしれっと休みながら。

心の体調不良も立派に休む理由になる!

と自分を堂々と正当化して、学校に通い続けることができた。

私にはまだ子どもはいないけど、
もし子どもができたら、学校が合わないなら行かないでいいよ〜と言うと思う。

世界は広くて、学校が全てはないし、
社会に出てもやっぱり学校は独特なコミュニティだったと私は思ったので。

ただ、学ぶことは楽しいのでその機会はなんとか作ってあげたいかなと思います。


学校に行けなくて苦しんでる方がいたら、全力で手を握りに行って、一緒に泣きたい。
辛さが、すごくわかる。
でも、行けなくても大丈夫なんだよ。
結構変だよ、学校ってとこも。笑
あなたにも必ず合うコミュニティがあるんだよ。
って伝えてあげたいな。

そんなことを、考えてました。
長文、読んでいただいた方がいらっしゃったら感謝です。

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