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新入社員だった私がン十年前に学んだ、社会人にとってダントツ大切なこと

「今日はM社長が社員をお叱りに来られるそうなので、1時にショールームへ集合してください」

私がその会社に入ってまだ数か月のころだった。
バブル期の建設ラッシュで大もうけしたこの会社は数年前に念願の自社工場を新設した。
だが竣工とほぼ同時にバブルが崩壊したため、私が入社したときにはすでに巨額の赤字に苦しむ残念な会社に変貌していた。
それでこの会社は、かねてから資金援助してくれていたF社に買収されることになり、表向きは社名も社長も変わらないが正式にF社の子会社になった。
F社のM社長は、業績を上げられない、つまり借金を返済する気がなく、やる気のない(わけではないのだが)当社社員を歯がゆく思っていた。
そこで我々を叱責すべくわざわざ遠方の県からやってくることになったというのが、今回のいきさつだった。

「私らも聞かなあかんのですか?」
(会社の経営不振は私ら末端社員のせいとちゃいますやん、なんで私らまで叱られなあかんのですか)な雰囲気をバンバンにじませながら、経理の先輩女性社員が部長の一人に詰め寄った。
部長は
「M社長は全員集めろ言うてはるから……」
とモゴモゴ言いながら(言いたいことは分かるけど一つよろしく堪忍してや)なオーラを発した。

上階のショールームには従業員の人数分のパイプ椅子を並べ、その向かいにM社長とO副社長、そして当社上層部用のちょっと上等な椅子とテーブルを用意していたのだが、1時少し前に同僚の女性社員と一緒に一歩足を踏み入れた瞬間、そりゃないだろ! と目を剥いた。
M社長のド真ん前の列がスコーンと空いていて、両サイドと後ろの席を各工場から来た、いい年こいた工場長や現場主任らが陣取っていたからだ。
しかし部屋の空気はすでに胃が痛くなるほどピーンと張りつめて嫌な緊張感が漂っており、
「工場長たちが前に座ってくださいよ!」
なんて言えるような感じではなかった。
チッ! と舌打ちこそ出なかったものの、女性社員らは刺すような視線を彼らに送りながらしぶしぶ前列に座り、私はその後ろの列に座った。

1時きっかりにM社長が入室した。
M社長はF社とこの会社の関係の話を皮切りに、F社がどれだけ多大な支援を行ってきたかを語り、それなのに社員がふがいないから赤字が増えるばかりだ、君たちにはやる気があるのか! と私たちを厳しく叱責した。
部屋にはM社長の怒号だけが響き渡っていた。

入社数か月の私がなぜこんなお叱りを受けなければならないのか、そもそも事務職の私たちがどう頑張れば会社の借金が減るのか、何をどうすればM社長は満足なのかさっぱり分からなかった。だが真面目な私はM社長の話すべてに耳を傾けていた。

すると、こんな言葉が耳に飛び込んできた。

「そもそもバルブが弾けたときに……」

……今なんつった?

バルブって言った?

最初は自分が聞き間違えたのだと思った。するとM社長は続けて「バルブが弾けて」と言った。確かに言った。

ちょっと待って。バブルだよね? バブルが弾けた話をしてるんだよね? そうだよね? 
おじいちゃんだからカタカナ語に弱いのかな、いやでもこの状況でバルブって、私らの忍耐試してるの? いやおかしすぎでしょ、狙ったでしょ? え? 狙ってない? いやいや!

もうこの段階で私の腹筋はプルプル震えていた。
だがここで笑うわけには断じていかない! 
バブル崩壊後の就職氷河期の中でようやく入った会社なのに、こんなところで吹き出したら間違いなく一発退場じゃないか! 
緩むほほを内側からぐっと噛みしめ、顔面が崩壊しないよう懸命に耐えた。
するとM社長はそんな私にとどめを刺すようにもう一度、

「バルブの崩壊で……」

と言った。お願いだから私のためにもうやめて!!!!

肩が震え、噴き出す寸前だった。
あともう1回「バルブ」を聞いたら終わりだと思った。耐えろ私!
しかしそれ以降、M社長の口から「バルブ」が飛び出すことはなく、私の笑いの波も徐々に引いていった。どうやら峠は越えたようだ。よかった!
そこで私は周囲の人たちをそっと見回した。
他の人がどんな顔して聞いているのか気になったからだ。
しかし意外にも皆、神妙な面持ちで背筋を伸ばして座っていて、笑いをこらえていそうな人はいなかった。

拍子抜けしたとともに、こんな非常時にも平常心でいられるなんて、さすがちゃんとした社会人はすごいなあと感心した。

2時間に及ぶ大叱責大会が滞りなく終了し、それぞれ自分の部署に戻った。
私はどうしても気になっていたことを部長や課長、先輩方に訊ねた。

「さっきM社長、バブルのことをバルブって言われてましたよね?」

他の人の答えは判で押したように同じだった。

「そんな話してはった? 全然気付かへんかったわ」

そう。M社長の話をまともに聞いていた人なんて誰もいなかったのだ。

なんだよ、あの場で耐えていたのは私だけだったのか!

社会人すごいと感心したのに、すごいのは平常心の持続力ではなく、馬耳東風力だったのか!

がっかりした。
それは、笑いたいのを我慢する辛さに共感してくれる人が誰もいなかったからだ。

でもそのあと、私は他の人たちのスルー力に救われていたことに思い至った。

もしあのとき、辺りを見回した私の視線が笑いをこらえている誰かの視線とぶつかっていたら私は間違いなく噴き出していたはずで、そうしたら私はそのあと、私物の片づけでもしていたに違いなかったからだ。

スルー力、大事。
馬耳東風力、大事。

馬鹿正直に何でも真正面から受け止める必要などないことを、ちゃんとした社会人の先輩方から学んだ、長い長い一日だった。

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