梶原一騎人生劇場「男の星座」原作・梶原一騎 劇画・原田久仁信~「焼肉屋にて」、「ジンマシンについて語る大山倍達」
・人気劇画作家になるまで
梶原一騎、昭和世代の方々にとっては言わずと知れた大劇画作家。多くの作品の中でも、「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「愛と誠」「空手バカ一代」などは昭和を代表する名作で、漫画の世界のみならず、ひとつの大衆文化としても大きな影響をあたえてきました。
この「男の星座」は、昭和60年5月から約2年の間「週刊漫画ゴラク」へ連載された梶原一騎の自伝的な内容で、この作品の執筆中に体調が急変し、病院へ救急搬送されたまま、享年50歳の若さで亡くなり、そのまま絶筆となった最後の作品です。
世代的な事で言えば、昭和45年生まれの私は、先ほどあげた梶原作品はどれもリアルタイムではなくて、週刊少年マガジンの紙面上はもちろんのこと、テレビアニメもほとんど再放送で、かろうじて「あしたのジョー」がちょうど小学生の頃に劇場版アニメが公開され、その後テレビアニメの続編が放送されていました。
ともかくも梶原一騎の作品で、原作の漫画本も買い揃えて、身近だったのは「あしたのジョー」と「空手バカ一代」でした。
矢吹丈と大山倍達(テレビアニメでは飛鳥拳)、両人ともに己の拳ひとつで人生の道を切り開き、それぞれの宿敵と死闘を繰り広げていく様を、梶原一騎によるドラマチックなストーリー展開で描かれています。
無償のパッション・・と梶原一騎は、自らの著書で語っていました。やさぐれてドヤ街に流れついた矢吹丈は、そこで落ちぶれた拳キチこと丹下段平と出会い、やがてボクシングを始め、自らの生き方に目覚めます。大山倍達は、特攻隊で死にそびれ、虚無感にさいなまれながら戦後の闇市を彷徨するなかで、宮本武蔵の生き様に触発され、己の極めんとする道を見出します。
名声とか金銭とかの見返りが動機ではなく、宿命のライバルと共に、自らの情熱をぶつけて燃焼する・・二人ともそんな梶原一騎の熱い思いが、深く投影されたキャラクターとして描かれていました。
その梶原一騎の生涯も、自らの劇画原作に劣らず、波乱に満ちたものでした。
梶原一騎(本名、高森朝樹)は、昭和11年、東京都台東区浅草に生まれました。三人兄弟の長男で、次男の真土は後に真樹日佐夫の名で作家としても、また空手の師範としても名を馳せました。父龍夫は、元英語教師で、梶原が生まれたときは、いつくかの出版社を転々としながら編集の仕事にたずさわっていたそうです。
幼少の頃から、周囲の子よりも体が大きく血気盛んだった梶原は、都内の某有名私立小学校へ入学するも、しょっちゅう暴力沙汰を起こしたあげく、退学の憂き目にあってしまいました。
公立の小学校へ転校するも、昭和19年当時は太平洋戦争の真っ只中、戦局は日増しに敗色の色が濃くなる一方で、梶原は母と弟二人の四人で、宮崎県日向市へ疎開します。
やがて戦争は終わり、疎開先から戻ってきた梶原とその家族は、神奈川県の川崎市内へ居を構えました。梶原と弟の真樹日佐夫は、地元の公立小学校へ転入します。
この頃の梶原の粗暴ぶりは、落ち着くどころかますますエスカレートしていくばかりで、やがて教護院、今日の児童自立支援施設へ送られてしまいます。
その教護院で一年ほど過ごした梶原ですが、退院後、再び北九州小倉郊外の田舎に暮らしている叔母のもとに、弟の真樹と二人で身を寄せたそうです。戦後の混乱が色濃くのこる雑然とした都会よりも、自然豊かな地方の環境の方が、二人が落ち着くには最適だろうとの両親の配慮だったようです。
弟の真樹は、転校した小学校で野球に打ち込み始めたようなのですが、梶原の方は、川崎のような都会からくらべると、本人にとっては刺激のまったくない北九州の田舎の生活は、退屈きわまりないものだったようで、そのぶつける対象を見出せないエネルギーは、またしても学校内で喧嘩騒ぎを引き起こしただけならまだしも、なんと梶原を咎めた担任の男性教師にまで、待ち伏せをして、暴力沙汰に及んだことで、その小学校も退学せざるをえないはめになりました。
その頃梶原の両親は、川崎から東京大田区の蒲田へ移り住んでおり、小倉から帰ってきた梶原は、そこで両親と暮らし始めました。しばらくして弟の真樹も小倉から戻ってきました。
ようやく一家そろって暮らし始めたのも束の間、編入した蒲田の公立小学校で、相変わらず暴力事件を起こしてしまい、再び教護院送りとなってしまうのです。前回の時は一年だったのですが、今回は三年間、中学校の義務教育課程修了まで教護院で過ごすことになりました。
ただこの教護院での三年間は、振り返ってみると、後の「タイガーマスク」や「あしたのジョー」を描くときの下地となり、また自らのなかに眠ったままになっていた文筆の才に徐々に気が付き始めた、劇画作家として歩み始める前の重要な期間となったようです。
昭和28年に教護院を退所した梶原は、都立芝商業高校に入学するも、本人曰く「からっきしの数字オンチ、算盤や簿記などどだい無理な話で、毎日がクソ面白くもなかった」との事で、あり余るエネルギーはもっぱら部活の柔道や、空手道場、ボクシングジムへ通って散じていたそうです。
そんな鬱屈した思いで毎日を過ごしていた梶原に、大きな転機が訪れます。ふと思い立った梶原は、当時の月刊少年誌「少年画報」の懸賞小説に応募したのです。
応募した作品はボクシング小説で、タイトルは「勝利のかげに」。四百字詰め原稿用紙30枚に描かれたこの作品は、見事に入選を果たしたのです。梶原一騎というペンネームもこの作品の時に生まれたものでした。
斎藤貴男著「梶原一騎伝」(新潮社)によれば、この時の「少年画報」の編集担当者は、梶原を「筆力があって、迫力のある文章を書く」と称えたそうです。
この入選をきっかけに、梶原は定期的に実話物語の原稿依頼がくるようになり、この頃から、やがてプロの物書きになることを意識し始めました。
一方、私生活の面ではこの頃は多事多難で、まさに後の梶原の劇画原作を地て行くかのような様相を呈していました。
「少年画報」の懸賞小説が入選したあたりで、梶原は芝商業高校を退学しました。本人も述懐しているように、算盤や簿記などは、到底本人の性格には合わなかったのでしょう。
またこの頃、浅草のストリップ劇場で踊り子をしていた女性と付き合い始めて、同棲を始めたそうです。その女性とは、結局、諸事情があって別れてしまうのですが、この踊り子の女性とのエピソードは「男の星座」でも多くのページを割いて描かれていて、梶原にとっては生涯忘れることのできない、はかなくも切ない浅草恋物語だったようです。
昭和33年、父龍夫が病気で他界します。父にはいつも反発し、物書きとしては対抗心を抱きつつも、その気儘な生き様には憧憬の眼差しを送っていましたが、その父の死は単なる喪失以上の虚無感を、梶原にもたらしたようで、その後しばらく自暴自棄な時期を過ごしたようです。
父の死の翌年、梶原は当時国電蒲田駅東口近くの繁華街で、バーを開店します。一時は繁盛したものの、場所柄また商売柄、地元の暴力団とみかじめ料を巡っていざこざが絶えず、更に雇っていた店のホステスと梶原が深い仲になってしまったことが店の経営に影を落とし、約一年後あえなく閉店してしまいます。
しかしそんな中、梶原は自身にとって、後の飛躍の土台となるような作品をこの頃に手掛けています。
昭和31年頃、梶原は二十歳前後で、ちょうど浅草の踊り子と同棲をし始めたぐらいの時期に、秋田書店の月刊少年誌「冒険王」で、「少年プロレス王・鉄腕リキヤ」の漫画原作を書いて好評を博しました。
さらに昭和34年9月からほぼ半年の間、東京中日新聞に連載されたスポーツ実録小説シリーズを引き受け、伝説のボクサーピストン堀口の人生を取り扱った「打たせて撃つ」を執筆します。この作品は、後の梶原の代名詞となる「スポーツ根性もの」の原点ともいえる内容で、こちらも高い評価を得たようです。
この頃は、先の蒲田駅東口近くで開いていたバーをたたんだ後、今度は西口近くにあった美容室の二階を借りて、そこを仕事場として、弟の真樹と二人で文筆業に勤しむようになりました。
そして昭和36年、「打たせて撃つ」で梶原に興味を持った同じ東京中日新聞の運動部長からの依頼で、当時のプロレス王だった力道山を題材にした「力道山光浩」を手掛けます。
時代は力道山が率いる団体、日本プロレスの主導によるプロレスブームで、日本中が沸き返っており、力道山の試合が中継される街頭テレビに、大勢の群衆が詰めかけて観戦する光景が全国でみられていた、そんな最中に連載はスタートしました。
かつての敵国アメリカからきた大きな白人レスラーを、空手チョップを駆使して叩きのめす力道山に、敗戦から立ち上がり復興を遂げようとする日本の姿をだぶらせて、日本中は熱狂しました。
そんな国民的ヒーロー力道山を、登場人物の心情の微妙な変化を繊細に描写しながら、劇的なストーリー展開で読者を惹きつける梶原の手法は、大きな人気を呼び、作家としての梶原の名も広まりました。
さらにこの小説の連載をきっかけに、梶原は力道山本人と交流するようになり、それは力道山の死まで続いたそうです。かつて教護院の入退を繰り返し、進学した高校も退学して、ほんの少し前までは無名の物書きだった少年が、時の国民的英雄の知遇を得たのですから、その身の周りの変わり様に驚きつつ、一人の人間としても自信を深めていったであろうことが容易に想像できそうです。
この連載小説「力道山光浩」での成功は、梶原をさらなる飛躍へと結びつけます。この連載を読んで梶原の独特な描写に興味を持った講談社「週刊少年マガジン」の初代編集長が、同紙で連載予定の漫画の原作を依頼するため梶原の仕事場を訪ねてきます。このとき仕事場は蒲田駅西口近くの美容院の二階から、同じ蒲田にある民家の二階に移っていました。
この編集長は、後に自ら出版社を立ち上げるほどの辣腕で有名な名編集長だったようで、「男の星座」のなかでも主人公である梶原一騎こと梶一太がこの編集長と初めて対面したとき、「斬れそーな男だ・・見るからに・・。それにしても天下の講談社が・・」と心の中で叫ぶシーンがとても印象的です。
実際のこの場面は、少しばかり言い方が違ったようですが、それでも文筆に携わるものからすれば、講談社は当時もまさしく天下そのものであり、そこの編集長が仕事の依頼に直々に足を運んでくること自体が、夢のようでもあり、すなわち力道山の存在があったればこそで、その編集長が帰った後、仕事場の壁に貼ってあった力道山の写真に、梶原は柏手(かしわで)を叩いたそうです。昭和36年のとある秋の日でした。
とはいえ小説を書く作家でありたいとした梶原にすれば、当初は漫画週刊誌の原作を書く事に難色を示したようですが、昭和37年一月より週刊少年マガジンで連載が開始された、力道山に弟子入りした少年プロレスラー太の物語「チャンピオン太」は、大好評を博して後にテレビドラマ化もされたようです。
この「チャンピオン太」は、週刊少年マガジンを主たる活躍の場として、後の「巨人の星」、「あしたのジョー」、「愛と誠」、「空手バカ一代」などの一連の名作を世に送り出した梶原一騎の、栄光の始まりと言える作品でした。
この「男の星座」は、この「チャンピオン太」が連載される前あたりで、原作者である梶原が病に倒れ、そのまま帰らぬ人となり、絶筆となります。
数々の名作で劇画作家の地位を不動のもとのし、栄光の頂点を極めた梶原ですが、その後、多くのスキャンダルに巻き込まれて、やがて暴行傷害や恐喝などの罪で起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けてしまいます。
また、その判決が下される前に、梶原は多年の大酒と不摂生により、すい臓が壊死する大病を患い、四度の大手術を受けて、生死の境をさまよいました。
その大病からの復帰作としてこの「男の星座」は、物語が始まる冒頭の序文で、梶原曰く「劇画原作者としての最後の作品」と高々と掲げて、これまでの梶原一騎の知られざる逸話、力道山、大山倍達との交友録、人気劇画作家として深くかかわった極真空手やプロレスなど格闘技界との関わり、そして多くの有名女優と流した数々の浮名にまつわるエピソードを、つまびらかにすることを謳っていました。
物語としては、前半は梶原こと梶一太の教護院や芝商業高校での話、そして懸賞に入選して物書きとしての道を歩みだす話に焦点があてられていますが、後半は大山倍達を中心に、当時池袋の立教大学裏にあった大山道場を巡る大山の弟子達とのエピソードが多くなってきます。
梶原と大山倍達と交友は、梶原が少年画報に定期的に実話物を寄稿していた昭和29年頃、渡米した大山が、一撃必殺の技を駆使して、アメリカ人レスラー達をなぎ倒した活躍譚を読んで興味を抱いた梶原が、その取材で大山を訪ねたことから始まりました。「男の星座」では、力道山よりも強い男がいる!と興奮した梶原こと梶一太が大山を訪ねていくシーンが描かれています。
この物語では、大山倍達は最強の空手家としてのみならず、梶原こと梶一太にとっての精神的支柱であり、かつ道に迷ったときの道標のような存在として畏敬の念と親しみを込めて描かれているように思えます。
そんな大山とのかかわりを描いたシーンの中で、私が何度も読み返すほど好きなシーンがこの「焼肉屋にて」と「ジンマシンを語る大山倍達」の二つです。
「焼肉屋にて」
物語の後半、梶原こと梶一太と大山倍達が、大山の行きつけであろうと思われる焼肉屋で、二人が向かい合って七輪を囲むシーンが登場します。
時期的にはちょうど、父龍夫の没後、梶原こと梶一太は、酒でその喪失感を埋めるように沈面し、物書きとしてのペンをしまいこんだまま、蒲田駅前でバーを開いてみたり、いざござがあった地元ヤクザの情婦のヒモになったりと無頼なままのすさんだ生活を送っていました。
そんな中、梶原こと梶一太は、大山倍達が空手の専門書を著して、それが国際的にも評判を呼んでいるとの知らせを受けて、池袋の立教大学裏の大山道場を訪ねます。そこはバレエスタジオですが、夜だけ空手の道場として利用していたそうで、この道場から後の「空手バカ一代」に登場する多くの有名な空手家が育っていきます。
梶原こと梶一太が訪ねたときは、ちょうど道場は空手の稽古の真っ最中で、来訪を喜んだ大山倍達は稽古後、梶原こと梶一太を食事に誘います。
七輪の上の肉が焼かれている場面から、この焼肉屋でのシーンが始まります。大山倍達と焼肉に関する逸話は、大山のことを取り扱った書籍や雑誌の特集などでよく出ていました。大山の古い友人、弟子一様に焼肉を通して思い出があるようです。
物語の中で、梶原こと梶一太は、七輪の向こう側で、穏やかに微笑みながら、時々焼けた肉をよそってくれる大山に、物書きとしてペンを折った、これまでの経緯を吐露します。
この場面の中の、七輪から肉が焼ける音や、煙が立ちのぼるところ、そしてタン塩にかけるレモンをつぶすところなど、作画を担当している原田久仁信のとても繊細なタッチと臨場感あふれる描写が心地良いです。
窮余している梶原こと梶一太に、大山は手を差し伸べます。その間も、ずっと微笑みを絶やさない大山は、梶原こと梶一太にとって理解者という以上に、いわば父親のような雰囲気を醸し出しているような印象です。
この焼肉屋でのシーンそのものは、ある程度、梶原の創作かもしれませんが、しかしながら、実際にこのような大山と梶原の二人の間で、七輪の上の肉をつつきながら、弱音を吐き自暴自棄になりかける梶原を、大山が優しく慰撫するような場面が多々あったのでしょう。
このシーンの中で、大山と梶原こと梶一太がいる焼肉屋にあるテレビで、ちょうど力道山のプロレスの試合を中継していました。力道山とは大山も梶原こと梶一太も、それぞれ接点がありますが、三人の中では力道山はすでに日本中の誰もが知る、綺羅星のごとき存在でした。
現実の場面でも、その当時は直接打撃性による実戦空手を標榜するも、世間的には池袋の街の片隅にある一空手道場主だった大山倍達と、駆出しのまだ無名に近い物書きだった梶原一騎。後年、様々な紆余曲折があり、二人は決別するようになるのですが、この頃の二人の交友は、「男の星座」のこの焼肉屋のシーンで描かれているような、純度の高い友情に裏打ちされたものだったのではないでしょうか。
・ジンマシンについて語る大山倍達
これは梶原こと梶一太が、大山との交友を通じて再びペンを持ち、文筆を再開させていくかたわら、これらの大山の弟子達と交流を深めていくあたりのエピソードです。
池袋の立教大学裏のバレエスタジオで、大山倍達が主宰していた大山道場には、大山の弟子として大山空手、後の極真空手の発展を支えた多くの精鋭たちが、一撃必殺の技を磨いていました。
その大山の弟子の一人に、春山一郎(劇中では章)という天才児がいました。春山は後の「空手バカ一代」でも、初期の頃、大山倍達の一番弟子で、ここでも天才的な強さで描かれていた有明省吾のモデルとされていました。
この「男の星座」では、春山章は大山に終始寄り添い、忠誠を尽くす一途で純粋な天才空手家として描かれています。当時の大山道場を知る今は師範クラスの方々も、春山の強さ、天才ぶりを著書などで証言されています。曰く実際の春山は、粗暴でしょっちゅう警察沙汰になるような騒ぎを起こして、その後始末に大山は追われていたらしく、しかし、後に交通事故で早逝してしまうところは劇画と同じようです。
「男の星座」の物語の中では、春山と梶原こと梶一太は、身近に交流するようになります。文筆を再開した梶原こと梶一太は、その手始めに手掛けたスポーツ実録小説でピストン堀口を取り上げた「打たせて撃つ」を東京中日新聞に連載しており、それなりに懐が暖かかったようで、梶原こと梶一太は春山を夜の街へ連れ回します。
春山が自分に私淑していると、梶原こと梶一太は思い込んでいたようですが、酒が入ると、何かにつけて逸脱してしまいがちな梶原こと梶一太を心配した大山が、春山を差し向けたのが本当のところのようです。しかし梶原こと梶一太は、自分の憂さ晴らしに春山をつき合わせていることが、やがて春山に降りかかる悲劇の伏線になろうとは夢想だにしなかったようです。
劇中、当時の大山道場の面々が稽古後、ちょくちょく通っていた馴染みのおでん屋の屋台がありました。その屋台の店主は、元は赤坂にある高級ゲイバーのママだったそうです。店主は春山をとても慕っていて、また春山の方も、劇中の設定では戦争孤児で天涯孤独の身、そんな自分をよくしてくれる店主を慕っていました。
この店主が、どうしてきらびやかな赤坂の高級ゲイバーのママから、一転、池袋の場末のおでん屋の屋台をするようになったのかは、劇中明らかになりますが、春山も梶原こと梶一太もそれには直接関係なかったものの、ひょんなことから春山、梶原こと梶一太、そして店主の三人で、かつて店主がママをしていた赤坂のゲイバーに立ち寄ったことが、店主にまつわる昔の因縁沙汰を蘇らせてしまい、後日、店主は暴力団の連中に袋叩きに遭い、おでんの屋台も壊されてしまいました。
その後しばらくして、いつもの場所におでんの屋台がないことを不審に思った春山と梶原こと梶一太は、店主が住んでいるアパートを訪ねます。そして、無残に壊された屋台と顔じゅう傷だらけで包帯姿の店主から、これまでの経緯を聞かされます。
その話を聞いて、怒りのあまり全身から殺気めいたオーラを放つ春山を、なんとかなだめた梶原こと梶一太は、春山と二人で大山倍達のところに行き事情を報告します。
表向きはいつも明るく振舞っている店主の、見られたくない「楽屋裏」を見てしまった事を話す梶原こと梶一太に、大山は「人間・・・誰にでも楽屋裏はあります」とつぶやき、以前大山がその店主の前でやって見せた親指と人差し指で十円硬貨を曲げたエピソードを語り、さらに続けて
「店主が関心してくれたこの十円硬貨曲げにも楽屋裏はある」
集中力を極限にまで高めて十円硬貨を曲げたとき
「体中にジンマシンが真っ赤に出る、それが狂おしく痒い。しかし、そんなムサ苦しいものを他人にひけらかしても仕方ないゆえさりげない顔をしている。それで他人様も感心してくれる」
と語り、最後に
「非情のようだが、店主も自分のジンマシンには、自分で耐えるしかない」
と大山は淡々とそして諭すように春山と梶原こと梶一太に語りかけます。 そして大山は春山を真っすぐ見据えたまま
「たとえば春山がはたで騒ぐスジではない」
と釘を刺します。春山は拳を固く握りしめて、うつむいたまま声を振り絞るように一言
「押忍」
と答えます。
人の生き様には、それぞれ謂れがあり、その因果はつまるところ、その人自身が背負って生きていくしかない。あえて他人が口出しすることではない・・ということでしょう。原作者の梶原一騎は、大病を患って、生死の境をさまよった時に、そんなことをふと感じたりしたのでしょうか。
しかしそんな大山の助言も空しく、春山は暴走してしまいます。おでん屋の店主は自殺してしまい、自暴自棄になった春山は傷害事件を起こします。
この辺りから物語は悲劇の結末を予感させます。障害事件で逮捕された春山は、留置先の赤坂警察署から逃亡します。その際、うばった車の運転を誤り、支柱に激突、大破させ自らも短い生涯を終えてしまいます。限りなく「自殺」に近い「事故死」だったとナレーションが入ります。
この春山については、実在した人物に関しても、同じ時期に大山道場で過ごした弟子達の証言がある程度で、また大山倍達本人も生前、春山については詳しく語っていないようなので、本当の死に至った経緯は不明のままですが、梶原一騎も「空手バカ一代」と「男の星座」の二作に春山を登場させているあたり、春山にたいしてよほど思い入れがあったのでしょう。
実際も劇中にあるように、梶原と春山は身近に交友していた時期があり、そのとき梶原は、春山のいき急ぐような、自己破滅的な行動の中に、ところどころに純粋で、一途なキラリと光る何かを感じ取り、それが後の有明省吾や春山章のキャラクターにつながったのかもしれません。
この「男の星座」の物語は、梶原こと梶一太が後の劇画作家、梶原一騎としてヒット作品を次々と世に送り出した週刊少年マガジンでの、記念すべき第一作目にとりかかろうとする辺りで、梶原が病でこの世を去った為、絶筆として幕を閉じます。
もし梶原一騎が健在で、あのまま物語を書き続けていたとしたら、頂点に駆け上った後、浮名を流した有名女優達とのエピソードやら、「空手バカ一代」のヒットで、大山倍達との蜜月時代から対立、やがて決別するまでの経緯、そしてその後の暴行傷害事件で逮捕されるまでの話などが、赤裸々に描かれたかもしれません。しかし、私個人としては、絶筆とは言えここで終わったことでよかったと思っています。
「あしたのジョー」は、多くの梶原一騎の名作の中でも、最高傑作との呼呼び声が高い作品です。
テレビや映画でアニメ化されて、最後のホセ・メンドーサとの世界タイトルマッチで、15ラウンドを戦い終えた後、矢吹丈が燃え尽きて、そのまま永遠の眠りにつしたかのような描写が有名ですが、実弟の真樹日佐夫は「あしたのジョーは、力石の死こそクライマックスであり、後は付け足しでしかない」と評しています。
「宿命のライバル同士が互いに燃やす無償の情熱」が「あしたのジョー」でのテーマだとしたら、力石の死以後に登場する宿敵たちとの闘いは、その意味では「無償の情熱の純度」が低いような気がします。よって、私も力石の死がクライマックスの説に与する立場です。
「男の星座」へ話を戻しますと、梶原一騎の少年期から文筆に目覚めて、作品を世に問い始め、力道山や大山倍達などの知遇をえながらも、世間にもまれながらもがき苦しんだ時代こそが、「男の星座」の中で主人公である梶原こと梶一太のもっとも濃密な「人生劇場」であり、後にやってくる栄光は「付け足し」としてもいいのではないでしょうか。
未完とはいっても、「男の星座」は言わずもがな梶原一騎の名作の一つであり、いき急ぐようにそれこそ燃え尽きた生き方をした梶原一騎の最後の作品として、とてもふさわしい終わり方なのではないでしょうか。
以上、最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
石本克彦
参考に利用させていただいた文献
・「梶原一騎伝」斎藤貴男(新潮文庫)
・「地獄からの生還」梶原一騎(幻冬舎アウトロー文庫)
・「懺悔録」梶原一騎(幻冬舎アウトロー文庫)
・「兄貴~梶原一騎の夢の残骸」真樹日佐夫(ちくま文庫)
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