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新規就農物語12〜キムチ〜

こんにちは!いよいよこの新規就農物語も最終回となります。ここまで書けたのも、見てくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます!

これが終わったらまた別のシリーズを綴っていきたいと思いますので今後とも宜しくお願いします!


さて、人生最大のチャレンジ、出産を迎えた私たちひかり畑夫婦でしたが、子どもが生まれたから明日からまたバリバリ仕事だ!とはいきません。

もちろん出産の後には、出産よりももっと大変な子育てが待っています。

妻ひかりの妊娠時に経験したあの重労働は長くは続かないし、むしろ収入も減ってしまう。

それと先輩農家のお話を聞くと、「子どもと遊んだ記憶がない」という方が大多数でそれは嫌だなぁと思っていたんです。

なので、子どもが生まれた時に自分たちが決めたことは、日曜と祝日は休むということでした。

もうこれって農家の常識からしたらありえないのですが、そう決めちゃったんです。

まぁ、もちろんマルシェの出店などがあればそっちに出るのですが、基本的には家族全員で行ってその会場で野菜を売りながら遊ぶということをしたりしていて、そこら辺は臨機応変に対応はしていますが。

と、いうことで本来なら子どもが生まれてこれからバリバリ働くぞ!というところを、あえて私たちはちょっとスピードダウンしてみようかということを試してみることにしたのです。

農家ではない方のために一応書いておくと、農家が晴れの日に休むって今まではめちゃくちゃ罪悪感を感じるところで(というか自分はそう感じていました)、農家の休みは悪天候の時のみという常識が当たり前の世界なんです。なんなら作物の収穫が始まれば休みなしで悪天候とか一切関係なし。超絶ブラックなお仕事です。

その常識の中で農家になってきたので、それを変えるってなかなか大変なことでしたし、それをすることで収入が減ってしまうのは目に見えてわかっていました。

仕事を減らすには栽培面積を少なくしなければいけません。もちろん栽培面積を減らせば売る商品が少なくなるので収入は確実に減りますよね。だからと言って、キャベツを1玉500円で打ったところで誰も買ってくれない。

そこで私たちが次にチャレンジをしたのが、加工品の開発でした。

それまでも加工品は梅干しを細々と作っていたんです。というのも、収納当初から梅の栽培をしていて、しかも食えないバイト生活時代に梅干屋にバイトに行っていたことがあるので、

梅干しを作るノウハウはもうすでにあったのです。無農薬無肥料の木の上で完熟させた梅を新潟のこだわりの塩で漬けるというなかなかハイグレードな梅干しを漬けてはいたのですが、さすがにそこまでこだわると一般向けには売り出せなかったので、たまたまご紹介して頂き伊勢丹で越品という形で販売をしていたのです。

それでも栽培方法の特性上、そこまでたくさんの量は作れなかったので、他に何かないかと考えていたら本当に身近にあるものを見つけてしまったのです。

キムチがあるじゃん!

何年かに一度、韓国でひかりの両親と待ち合わせをして韓国に行ったり、ひかりの実家がある中国に行ったりしていたのですが、その時に必ず帰りに大量に持って帰ってくるのがお母さん特製のキムチでした。

そのキムチが本当に絶品で、お友達に配ってもそれが美味しいということで高評価をいただいていたので、これって日本でもいけるんじゃないかと考えました。

いわゆる日本に売っているキムチとは全く別物のキムチだったのですが、そのキムチを日本にそのまま持ってきたらどうなるのかというある意味賭けみたいな感覚でキムチ作りを進めます。

そうと決まればすぐに行動をするのが私たち。

飛行機のチケットを取って、韓国に住むひかりの姉のもとにキムチ作りを教えてもらいに行きます。

それだけではなく、韓国の地元の人しか行かないような食堂に入り、いろんなキムチを食べて研究をしました。

新潟に帰ってきてその通りに作るのですが、どうも韓国で食べた姉のキムチや母のキムチとは程遠い。

なので、中国に住むひかりの両親を日本に召喚。それまでの間にキムチに最適な白菜を自分で育ててどの白菜が美味しいのかを研究し、ひかりの両親が来てからは毎日キムチを漬けてはレシピを書き直しの日々が続いたのです。

その間も、見本市へ出店し飲食店やスーパーのバイヤーさんに試食を出しながら自分たちのキムチをひたすら紹介し続けるということもやっていました。

ひかりの両親が日本に滞在している3ヶ月で、なんとかキムチを商品化し、見本市で知り合ったバイヤーさんとも商談を繰り返し、なんとか新潟市内のスーパー10店舗ほどに納品できる契約を頂くことができました。


息子のために日曜日は休む。
自分たちも息子に何か残したい。


そんな想いで始まった私たちのキムチ作りは、今の私たちに大きな幸せをもたらしてくれています。

そんなものを残してくれた母は本当に偉大としか言いようがないです。


今はコロナの影響でなかなか行けていないのですが、キムチをつけ始めてからは年に最低でも1回は「答え合わせ」をするために韓国へ行って自分たちのキムチを現地の人に食べてもらったり、現地のキムチを食べ歩いたりしています。

そこにはたくさんの「赤ペン先生」がいて、韓国と日本の行き来をしながら今でもキムチの味の改善をはかっているところです。


こんな感じで、私たちはようやく農業でほんの少しだけ余裕が持てるくらいまで生活ができるようになりました。

でもまだまだチャレンジは続きます。毎日「こんなことがしたい」と夫婦で話が盛り上がっているくらいです。

そのお話はまた別のシリーズで綴っていきますね。


長々と自分なんかの経歴に時間を使っていただき本当にありがとうございました。その時間が少しでも役に立てるものになって頂けたら嬉しいです。



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