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恋とは夏のようなものだ

昨日は中秋の名月。
しかも、満月がその日と重なるのは珍しいそうで、次に満月と中秋の名月が重なるのは7年後だそうです。

中秋の名月とは満月のことを言っていると思ったので驚きです。
TikTokで流れてくる怪しげな動画では、

「この日は月のパワーをたくさん受けられる日です。できるだけ外で直接月光を浴びてやりたいことを口に出してすぐに行動に移しましょう!きっとその願いは叶うはずです」

などと言っていました。

「やりたいことを口に出してすぐに行動できたら、きっと中秋の名月ではなくとも叶うはずだ」と、どこか斜め上からその動画を見ている自分がいたことは確かなのですが、「次に遭遇するのは7年後」などと言われると「やっておかなくては!」と貧乏性な自分がいるのも確かなことです。

そんなわけで、急遽外でご飯を食べる「月光浴パーティー」が我が家で開催されました。

息子を保育園に迎えに行ってからシャワーを浴びて、作るのは水餃子。
妻の水餃子は皮から作るので一筋縄ではいきません。
僕たちがシャワーを浴びている間に、皮をこねこね、具材をこねこねしていた妻に男2人が合流し、家族三人での餃子作りが開始です。

さすが餃子王国のDNAが組み込まれている息子は、初めてにも関わらず見よう見まねで餃子の皮を丸く成形し、親ふたりは驚きを隠せませんでした。
こうなれば俄然スピードが上がります。
妻と息子が皮を作って僕が具を包むという連携プレーで無事に餃子作りが終了。

この餃子の包み方は、僕が妻の両親に結婚の許しをもらいに行ったとき、その両親から直々に伝授されたもの。
その時の様子はこちらの記事から↓

ちなみに、息子が包んだ餃子はこんな感じ。

ヒダがあろうがなかろうが、水餃子は皮から具が出てこなければそれでいいのです。
これはこれでかわいいと思える僕は、やはり親バカなのだと思います。

というわけで無事、月が雲に隠れる前に月光浴パーティーの開始です。

Instagramのストーリーズにこの写真とともにアップした僕の言葉が、

もう夜は息も湯気も白くなる。
あんなに遊んであんなに憎んだ夏だけど、
過ぎてしまうと恋しくなるのはなぜでしょう。

waktakのInstagramより

というもの。
そのストーリーズに反応をしてくれたフォロワーさんが「恋みたいです🥺」
というDMをくれました。
「確かに!」と思ってこの記事を書いています。
僕自身、なんの脈略もなくアルコールが回って気持ちが良くなった頭で打ち込んだ言葉でした。

恋が決して多いわけではない僕…いや、すみません、カッコつけました。
「極端に少ない」恋愛経験しかない僕にも、なんとなくその感じがわかります。

楽しかったし最終的には憎かった人だけど、いなくなるとなんだか恋しくなる…みたいなことですよね?

「恋とは夏のようなものだ」

満月の中秋の名月。
秋の夜長を家族で餃子をつついて話をしている中、その風景とは対照的なこんな文学的な言葉に出会えるとは。

なんとも芸術の秋です。

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