うみのこの子どもたちが出会った、鬼の話。
子どもにとって、節分の日は鬼がきてこわい日?
大人が子どもを怖がらせる日?
そもそも節分は、邪気を払い、無病息災を願う行事。「いつもやんちゃな子どもたちを怖がらせちゃおう!泣かせよう!」なんて日ではないわけです。
そこでうみのこでは、うみのこならではの節分を毎年考えています。
(去年の節分の様子と、その後の子どもたちの会話はこちらから↓)
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今年もそろそろ節分のことを考えようかなぁと思っていた、1月下旬。山に遊びに行っていた子どもから、「前にケタロウ(山の中につくった基地の名前)に、鬼から手紙があったよね」とスタッフに話があったそう。
来週には節分を迎えるし、いいタイミングかもしれないと思い、朝の集いで「2月になるとさ・・・」とまずは子どもたちの中にある節分のイメージや経験を聞いてみることにしました。
「悪い鬼をやっつけるんだよ」
「去年、海にきた鬼は優しい鬼だったよね」
「海を汚されるのがイヤで悲しいって言ってたよ」
「おてがみ書いたら返事がきたんだよね」
そこから、その日お散歩に出かけた人たちは、鬼から手紙がきていたことのあるケタロウまで探検に行き(まだお手紙は届いていなかったそう)、じどうかんで過ごしていた人たちは、鬼のお面をつくりたい、鬼へ手紙を書きたいと、手を動かしていました。
そんな子どもたちの姿と、この一年の子どもたちの暮らしを振り返りながら、改めてスタッフで話し合うことに。
「鬼との手紙のやりとりはできるといいよね」
「今年も何か理由があって鬼が怖くなった(元々悪い存在なわけではない)ということは伝えたい」
「子どもたちと共有している『強いこころと弱いこころ』に絡めることできないかな」
すると、「鬼ってなんでいつも男だけなんだろう?今年は女の鬼もいるのはどうですか?」と、園長のれおっち。・・・たしかに「鬼=男」という固定概念が大人の中にあるしれない。
そこからさらにスタッフ内で議論を深め、今年はこんなストーリーを描いて、子どもたちと鬼との出会いをつくることにしました。
次の日、2階の窓に挟まった紙を見つけた子どもたち。
「鬼からの手紙だ!!!!?」
その声にみんな大騒ぎ。
手紙には「こまったことがある けたろうにきて」と書いてあり、昨年の節分を覚えている子の中には、「山にゴミがあるから困ってるんじゃない?」と話をする姿も。
ケタロウに着くと、そこにはまたもや手紙が。
読んでみても、何だかわかるような?わからないような?・・・「???」がついた頭のまま、鬼探しをする子どもたち。
「さっき鬼っぽいのを見た!」
「これ、鬼の足跡じゃない?」
「ほら、あそこに赤い影!!」
時間をかけて鬼を探す子どもたちでしたが、結局、その日は鬼との出会いには至らず、次の日から「私たちからも鬼へ手紙を書こう」と、何人かの子どもたちが鬼へ返事を書きはじめました。
2月3日、ついに節分の日。
山を登り、ケタロウの近くまでやってくると、鬼のうめき声が・・・そこには、棒を持ち暴れる青鬼と、困っていそうな赤鬼の姿が。
鬼の言葉がわかるというれおっちがうめく鬼の声を通訳すると、どうやら人間のいじわるな心や弱い心を感じ取り、その心が青鬼に住みつき乱暴になってしまったよう。みんなからは「ごめんね」「優しい心に戻って」「ケンカすると悲しいよね」という声が。
すると、青鬼の身体から邪気が流れ出て、その邪気が近くの木の中に集まりました。その木に向かって「おにはーそと!」豆をまき、“わるいもの”は消えてなくなったのでした。
すっかり元の優しい心に戻った青鬼。
赤鬼と仲直りして、仲良く家に帰っていきましたとさ。
***
誰だって、強い心を持っている。
誰だって、弱い心も持っている。
ケンカしてしまうことや嫌な気持ちを持ってしまうこと自体がいけないことではなくて、それをどう扱うかがとっても大事。
今でもたまに鬼の話をする子どもたちの姿から、そんなことを感じています。
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