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不自由の中で暮らすか?自由の中で暮らすのか?

光「神さん、神さん、ねー神さん。私は自由ですか?」
 
 
神「面白い質問をするね。君は不自由なのか?」
 
 
光「いや、そう言われると・・・。まず自由の定義が曖昧かもしれません」
 
 
神「まぁ、いい。答えよう。君の魂は自由だ。君だけでなく、全魂が自由である。しかし、皆、肉体を持ち、心を持つ。そうした途端に、不自由さを感じる。重さを感じる。そうしていつの間にか、心も重くなり、色々な重りを持つ。
 
 
人は皆、大人に育てられてきた。その大人という人々は、皆、未熟であった。自分の子供を守るために、自分の目の届く範囲に子供を居座らせた。そして、子供がいたずらしたり、自分のいうことを聞かない場合には、威圧し、自分の指示を仰がせた。未熟な大人達は、子供は自分のいうことを聞く人間だと思い込んだ。自分の手伝いをさせる為に、子供を側においた。 実に未熟な行為だ。
 
そして純粋な子供は、親によって足枷をつけられた。2度と外すことが出来ない、外したら愛をもらえなくなると想像した。恐怖による支配は、心に歪みを生じさせる。
 
子供は皆、親によって足枷をはめられる。時に、それは安全のために、一役買う時もまれにある。しかし、多くは、自分のいうことを聞くため、自分の手伝いをするため、自分の所有物のため、自分の見栄のために子供に足枷をはめる。
 
親や先生の言うことを聞く子は良い子、反対に、親や先生に歯向かう子は嫌われた。
 
つまり不自由の中にいる子は良い子で、自由に生きている子は、良い子ではないと言うレッテルを貼る。
 
純粋な子供は皆、大人にとっての良い子になろうとした。その方が褒められるし、その方が楽だから。 不自由の中にいる方が、安全だと勘違いする人々が、完成させられた。
 自由の方が危険、全部自分で決めなければいけない、自由は面倒臭い。だから不自由を選ぶ人も多くいる」

 
 
光「と言うことは、お金の為に働く仕事は、不自由なんですね」
 
 
神「おっ!?なんとなく、わかってきた様子だね。その通り。お金に縛られ、目先のお金のために、自分の時間を捧げ、好きでもない仕事をしなければならないのは、不自由の極みだ。 しかし、不自由の中で頑張れば、お金は得られる。不自由を選ぶか、自由を選ぶか。どっちを選んでいくかは、自分で決めることができる。
 
 
私は自由か?の答えだが、自由を選びたければ選べばいい。神は、アドバイスを伝える立場で、指示はしない。
 
 
君らは今まで、嫌というほど、不自由の中で生きてきた。そろそろ、自由の世界を見てもいい頃だ。
 
 
安全・安心だと思っている不自由の囲いの中で暮らすか、自己責任とともに自由に暮らすか。自分で選ぶといい」

 


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