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#011 選挙に行く人行かない人

Q.11
ある町も町長選挙で、Aさん、Bさんの2人が立候補しました。
投票されたすべての票の75%である4320票までの開票が終わった時点では。A候補がB候補より4割多くの票を獲得していました。
その後、残りの票もすべて開票したところ、2人の候補の得票数は同数となってしまいました。そのため、くじ引きで町長を決めました。
残っていた票のうち、何%がA候補への票だったかを答えなさい。

ちょっと長い文章問題ですね。
問題文の内容を理解するだけでも億劫になりそうですが、この「億劫」を乗り越えることこそが受験算数の勝負の分かれ目なんじゃないかと思います。

恥ずかしい話ですが、私は選挙に行ったことがありません。

18歳で大学のため地元を離れ、その2年後には海外でふらふらしていたので「自分の1票が自分の生活に関わる1票になる」なんて身をもって感じる機会にも恵まれずそのまま24歳になりました。

18歳選挙権が適用されて3年弱が経ちました。
自分が18歳の時に、町民の生活をより良いものにするために「この人だ」と決める、そんな意識がそもそもあったかどうかも分かりません。

むしろ働き方が多様化してきた今、どちらかと言えば「決められたルールの中で自分が生きやすいように道を開いていきたい」と思う20代は私も含め増えているような気がして、「とりあえず選挙に行こう」と啓蒙されて「はいはい行きますよ」では誰の為の選挙か分からない。

極論、「行きたい人が行けばいい」と思うのと
もっと言えば「適当に選ぶくらいなら行かない方がいい」と思っています。
そんなものは参政ではなく、「本当にこの人にこの街を変えてほしい」という有権者にとって邪魔者でしかありません。

個人的な考え方ですが、選挙に行って有権者として政治に参加すれば「国に対する意見を言う権利を得られる」と思っています。

逆に言えば、私のように選挙に行っていない者に国への不満をいう権利はない。

何もしていないんだから。

選挙に足を運んだ人たちで政治家が決められて、その政治家によって決められたルールの中で上手くやるしかない。

選挙に行かないなら、何も文句を言ってはいけない。
国民として教育・勤労・納税の義務を果たして、あとは任せるしかないんです。
「どんな政治をしても文句言いません」という白紙委任状にサインしたようなものなのです。

それが嫌なら選挙に行けばいいんじゃないかと思うのです。

以上、個人的な選挙観でした。

実はこの考え方は、学校の宿題で思ったことなんです。

本来やるべきものをやらないという道を選ぶなら、その道で筋を通す必要がある。
ただ、適当にやり過ごすくらいならやらない方がいい。

友達のプリントを写して宿題を出すよりは、自分が学びたいと思ったものを調べてノートに書いて、それを宿題代わりに提出する方がよっぽどいい。
やらないなら「〇〇だからやらないと決めた」と意思を持つこと。

そういうことを言いたいのです。

これからを生きる子たちには、自分の道を自分で選び、且つ筋の通った生き方をしてほしいのです。


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