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今年の暮らし方

いつの写真だよという感じですが3/30でした。割と近所に結構人が集まる桜並木があるのですがこの時はまだ三分咲き。

こちらは隣の韮崎市というところにあるわに塚の桜。

同じ日に訪れたのだけれど、こちらは満開だった。

山梨は一本桜の名所もいろいろあって全国ニュースでも結構取り上げられたりする。わに塚は夜の方が見応えあるのだけれどあまりに混むので。

パソコンで作業をすることが多いのだけれど、行き詰まるとついSNSを見てしまうので、SNSはパソコンからは見ないということにして、スマホのアプリも削除して、iPadのクロームのアプリからなら見てもいいよっていうことにしてみたら本当にSNSを観る時間が減ったし、投稿もほとんどしなくなった。

・・・みたいなことはこれまでにもう何十回もやってきているのだけれど、多分何かのきっかけでまた元に戻ってしまうと思う。そういう、いろんなやめられないことに対して、100%断つのがいいんだよと諭してくれる人がいて、正しいと思うけれど、ほんとうにそうすべきときには多分頑張らなくても迷いなくそれができるんだろうなと思う。自分をあんまりえぐらず、でもなんというか、光のある方を見ようと思うことは必要かなと思うしまあまあできるんじゃないかと思う。

自分のやっていることの何がいけないんだろう、営業か、ネットの使い方か...みたいなことをちょっと考えていた時期があったのだけれど、とりあえず単純にスキルが足りていないんだなと思った。今年はもっと勉強しようと思って、削除していたstudyplusというアプリをまたインストールしてログインしたら、去年の記録が残っていた。

そうそう、一昨年の年末から去年の4月くらいまでは普通に働きながら毎日4~5時間デザインの勉強していて、どうやっていたんだと思ったけど、同時にみんチャレというアプリで仲間を作って毎日勉強時間のスクショを送り合うという縛りを作っていて、仲間とかそういう縛りの力ってすごいなあと思った。けどそれも4ヶ月ぐらいで途絶えてしまって、まあその残り香みたいなスキルで一年間やってきたのだけれど、もっとブラッシュアップしろよと心から思った。

去年はどう生きていたんだっけと思い返すと、とんでもなく昔のことのように感じる。そんなことを考えながら、最近は勉強の習慣が積み上がりつつある。最盛期には全然及ばないけれど、なんというか自分に安心できるという気持ちがある。それは心地が良いことだ。

少し前に、働きたいなあと思う会社があって面接を受けたのだけれど、残念ながら不採用だった。また落ち込んだけれどさすがにもう就職活動はいいかあという気持ちに割とすんなりなれたのは、勉強が習慣化しつつあったからで、このまま今の状態が続いたら、生活はひどく地味ではあるが、自信は蓄積されていくんじゃないかなと思う。

旅行もそんなに行く気が起きないなと思っていたけれど、久しぶりな人から突然LINEが来て、流れで夏の初めに沖縄に行こうかなと思った。18年ぶりくらいじゃないかな。愛媛も行きたかったけど、ちょっと無理かなあ。まあ、大竹伸朗展は東京でも観たし....。

そう、この3年間、沖縄に行きたいなと思うことは何度かあったのだけれど、流石にコロナが...みたいなことを考えていたのだった。別に今も感染症としての根本的な脅威は大きく変わってはいないのだと思うけれど、社会の捉え方が大きく変わると人は簡単に順応できるし、自分も順応するし、抑圧の限界というものも感じたし、今でも私はいろんなことがよくわからないし何もすっきりしてはいないのだけれど、日々が勝手に超特急で過ぎていく感じ。

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。