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毎日書くということ

自分に「毎日書く」ということを課すと、文章を書く能力が上がるのかと思っていたけれど、もちろん急に上がるなんてことはなくて、だけど代わりに分かったことがある。

それは、1ヶ月の中で、自分の気持ちのアップダウンはものすごく激しいということだ。

毎日余裕で3記事ぐらいストックできると思える日もあるけど、もうひねり出そうとしても何も出てこないし、何かを書こうと思ってどんなメディアに触れても、全く心が動かないという日も、結構あるんだなあ。

大好きなものに対しても、「めちゃくちゃ退屈だな」と思ったり、「今は聞きたくない」とか思ったりすることもあるんだなあ。

普段、読みたいときに読み・聞きたいときに聞き・話したい時に話しているのは、自分の中でそれに対する欲求が、より強くなったタイミングでやっていることなんだなあ。

以前は、常にいつも好きなものの中から、読みたい・見たいものなどを、なんとなく選択をしていると思っていたけれど、実際している行動はその時の気分に左右されていて、その気分はわりと常に乱高下しているんだなあということが分かった。

あと、今のように、大きな災害が起きた時に、ほんとうは無関係な自分の日常とかを綴っているのもどうなんだろうという思いはあって、ふだんなら、関係あることを書くか何も書かないでいたいところなんだけど、毎日書くことにしてしまったから、何か書くしかない。


特に書きたいこともなければ、今何を見ても全く心が動くこともなければ、今辛い思いをしている人がたくさんいるなかで、超個人的などうでもいいことを書き続けていることがどうなのかとも思うけれど、今32日経ってみて、欠かさないことに意味があるなあとは思っている。

これは、自分の恥を捨てていく訓練でもある。


月5回更新だと、かなり自分をつくろえる。

月10回でも、なんとなくもっともらしいことを言っている自分を、はりつけておける気がする。

これが毎日になると、おそろしく気分が乗らない日や、ショックなことがあった日や、疲れすぎていて何もしたくない日や、どうしようもなく頭にくることがあった日も、しょうもない私の一端を晒していくしかないのだ。

自分の中の燃えカスみたいなものをひねり出したり、ああ私どうせ気持ち悪いなあとかめんどくさい奴だなあとか思われるんだろうなあとか分かっていても、書くしかないので、そういう自分を置いていく。

そうすると、ベースの自分をもっとマシにしたいという向上心と、しょうもない自分をいたわれるのは自分しかいないから、もっと自分にやさしくしてやろうという気持ちが湧いてくる。笑

サムネイルの花、へメロカリスのつぼみは、毎日咲いて1日で枯れる。また明日には新しいつぼみが咲く。

いいことも嫌なことも、くだらなさも未熟さも、その日に置いておけばいい。また明日というチャンスがくるから。

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5:05起床 46.2kg
昨日は夕方ウォーキングに行けた。今朝もこれからウォーキング。

#日記 #エッセイ #毎日更新

いろいろな方にインタビューをして、それをフリーマガジンにまとめて自費で発行しています。サポートをいただけたら、次回の取材とマガジン作成の費用に使わせていただきます。