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きみとぼくだけの
きみとぼくだけの学級閉鎖春の雪 松井真吾(『途中』)
今日、ありがとうについての話を聞いた。
「ありがとう、ってね、余るくらいにたくさん配るくらいでちょうどいいんだよね。ああこれは塩を入れすぎたかなってくらい、ありがとうを多めに言う。でもそれくらいでちょうどいいときがあるんだよね」
ああそうかも、と私は思った。
「ありがとう、ってことばがあってよかったね。ありがとう、って思ったときにありがとうって言葉がこの地球になくて、代わりのことばがさようならとかおはようだったら、なんか悲しいから」
ああそうだよね、と私は思った。「ありがとうっていうことばの中に『が』が入ってたのがよかったよ。なんだか、力を入れられるから。その強めの『が』によってわたしとあなただけの「ありがとう」が言えるから」
相手はなんにも言わなかった。私は間違っちゃったかなと思った。はじめてありがとうについて話し合ったものだから。
噴水のところまで歩いたら桜が咲きはじめていて、これは誰かが顔を近づけたいんだろうし、もうそれほど待たなくてもきっと誰かがそうするんだろう、と思った。
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