大学1年生の春、私は首を吊ろうとした

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浮かばれない日々

住宅街の中にある駅は、今まで聞いたことはあれど降りたことはなかった。
 その駅は都内の高級住宅街と言われる場所で、毛並みの良い大型犬が尻尾を振りながら道を歩いており、聞いたことのないオーガニック店が軒を連ね、私はこの先この街に暮らす未来はあるのだろうかと思い、また憂鬱になった。
 就職活動と兼用の真っ黒なスーツ。パンプスを履くのはその日が初めてだったから、すでに靴ズレがおきていた。
 道行く途中ではニコニコ笑った大学生のおにいさんとおねえさんがサークルの歓迎チラシを配っており、これらと同種であるのか、と校門へ向かう。足取りはどんどん重くなる。

 入学式、私は憂鬱だった。
 学長が祝辞を述べていた。たしか、愛がどうとかそういう話だった。高座に立った誰もが「おめでとう」と言う。なにもめでたくなかった。「これからの4年間の学びは皆さんにとって貴重な物になります」という言葉が、ここで4年間過ごすという事実を突き付けてきて、ゲロを吐きそうになった。こんな大学、来たくなかったから。

進む道はひとつしかありえない。家族も、友達もそう思っていた。

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 私の高校はいわゆる自称進学校で、世間を知り尽くした気になっている高校生で溢れていた。クラスは学力と言う絶対的な指標のみで分けられており、生徒間にはいつもうすら寒い選民思想が蔓延していた。
 私の家も例に漏れず、例えば幼少期から、テレビに映る芸能人を見ては出身大学の話があがっていた。親戚が集う正月は勉強の話がほとんど。直接言われることはなくとも何がこの家で、そして社会で絶対的に正しいのかといった価値観は堅固になっていき、中学生になるときには人生の正解ルートなんて一本道だった。
 
 しかし、高校3年生の冬、私は立て続けに志望校に落ちた。最後は電話での問い合わせすら苦痛で、残念ながら不合格ですと幻聴が聞こえる。正しき道から外れてしまった私は、この先どう生きていけばいいのだろう。私の家は浪人を許さない主義で、結局滑り込みで受験できる大学の合格を何とか勝ち取り、そこに進学した。受験対策は3日で終わった。

 そんなもんだから、達成感もない。落ちてしまったのは努力不足だと言われればその通りだが、頑張らなかったわけでもなかった。過去問を何週もして、覚えられなかったところは繰り返し覚えて、基礎を固めてから演習で弱みを潰していって、好きなことを封じて夜まで勉強する。学校に行かなくても良くなった昼下がり、誰もいない家で心臓に針を刺されたときのような痛みを感じることも何度もあった。あの辛さは、痛みは本物であったと、そう思う自分を捨てきれなかった。

 友人とも顔を合わせたくなかった。高校の卒業式では進学先をごまかした。祖父母に電話したくなかった。「おめでとう」の言葉から、おめでとうを感じなかったからだ。見るもの行く者全てが嫌になった。第一志望の最寄り駅。第一志望出身の芸能人。第一志望に合格した友人のストーリー。塾までの通り道。全てが私を苦しめた。授業を終えて19時ごろに駅に着いてからは、その日一日あったことを思い出し、無言で涙を流しながら、自転車に乗って帰る。夜風は涙を乾かしてはくれなかった。

 そんな調子で生きていたものだから、友達も全くできない。当初、私は仮面浪人するつもりだったから、今後関わる必要もないと思っていたのだ。昼食を一人で食べ、余った時間はレポートに費やした。現状の自分を認めるため、何をしたらいいのか全く見えていなかった。今思えば全てつまらないプライドだったけど、ドロドロした気持ちは本物だ。考えて考えて悪い思考ばかりがうまれてやりきれなくて、また涙目で自転車に乗る日々。3か月間、ずっとそんな感じだった。

首を吊ろう、と思った日


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 ある日、ネットサーフィンをしていたら首つり縄の制作手順のGIFを見つけた。その瞬間、「あ、首を吊ろう」と思い立った。高校生の時に期待していた自分との乖離。なるはずだった自分とは遥かに遠い今の姿。きっと、私はこのまま何も成し遂げられないのだろう。これからの絶望と、これからの喜び。ふたつをはかりにかけたら、絶望の方にぐわんと傾いた。私はすぐに災害用のロープを引っ張り出した。輪を作り、付け根にもう片方を巻きつけ、先端を輪に通す。首吊り縄はすぐに出来上がった。さああとは実行だ。そこで私はある失態を犯した。
縄を吊るす場所、考えてなかった。

 手元に残っていた首吊り縄は、与えられた役割をこなせていなくて、でも存在はしているから居場所を中途半端に失っていて、なんだか私みたいだった。それが滑稽だったのでとりあえず試してみるかと輪に頭を通してみたら、自分の靄が少しばかり引いていくのを感じた。なんだ、いつでも死ねるじゃん。死にそうになりながら日々を過ごして3か月。いざ死ねる手段を見つけたら、今じゃなくていいことに気づいた。

 首吊り死体は見た目が汚い、というのはよく見かける話だ。舌が飛び出しよだれが流れ、顔は鬱血して紫色になる。筋肉が緩む関係で失禁することもあるという。でも、死にたい気持ちが勝ったからそれでも良かった。良かったのだが、死ぬのは今ではなくても良いのかも。そのまま逃げるのがちょっと悔しかったし、あとは周りの人を泣かせるのも嫌になった。自分が死んだ先、暮らした家が事故物件になるのも、少し浮かばれなかった。何かあったらこいつに頼ろう。それはいつだっていい。だから、とりあえず、明日は生きられる。目の前にある自殺の手段が、私にとっての救いだった。
学歴コンプレックスを抱えた私の思い出だ。

最後に


 大体こういうnoteを読んでいる方って、同じように苦しんでいる人が多いのかなって思います。私の場合、救いの一手「吊り縄」を処分するまでには1年かかりました。言い換えれば、自分を完全に受け入れるまでに1年かかってます。今も100点満点ではないです。
 この一連の出来事は約5年前の話で、私は学部を卒業して社会人となりました。よくあるセリフですが、今となっては小さな悩みだったと思います。でも、同じように苦しんでいた身なので、私にはちゃんと分かります。この先どうとかじゃなくて、今がただひたすら辛いんだよね。この苦しみをどうにかしたいのに、現実は厳しくて、辛くて、ちょっと前向きになっても、結局目の前に立ちはだかって心を追いやってくる。
 社会人となった今も、私の頭は小さな悩みで溢れています。どうしたもんかな、と思いながら通勤する日もあります。でも、あのころに比べたら強くなりました。それはいろんな場所でいろんな人にあったことが大きいと思います。長くなるので、また別の機会に話します。
そして、やりたいことをひとつ見つけました。それは、同じように苦しい人に寄り添うこと。直接は解決できないかもしれないけど、吐き出せない気持ちをだれかとシェアして、一瞬でも膿を取るお手伝いがしたい。私にはそういう人がいなかったし、自分を知っているからこそ近しい人には言えなくて、ずっと一人で抱えこんでいました。

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仕事との兼ね合いになるのでお返事までお時間いただくこともあるかもしれませんが、何かあったらぜひ教えてください。同じ世を一緒に生きています。
明日も生きていたらいつのまにか終わってます。では。


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