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わたしの今年の夏は人生で一番充実していて、幸せだったよって話。


この記事がでてきたから、見た。驚いた。
わたしの今年の夏が幸せすぎたから、きっと忘れていたのだと思う。

今年は、フェスに行って、10日間サークルの遠征に行って、好きなバンドのライブにも行って、みんなの遠征を見るためにこっそりと私も遠征をして、友達と2回会って、ボランティアもして、課外活動も行って、閉店作業もして、なんて充実して幸せな期間だったのだろうと思う。

楽しめる時期に全部楽しむことができて、未来の私は、過去の私を羨ましいと思うんだろうな。

でも、去年の夏が何もなかったと言ったら、嘘。
去年の私がなければ今の私は確実にいない。
去年、1人で自由に生きてみるということをしなければ、秋の遠征も、クリスマスと年末年始のバイトも、冬の遊びも、新歓の時期も、春も梅雨の時期も、今年の夏も、今の状態も、自由に生きていることはできなかったし、1人で何かをする、なんてことはできなかったと思う。
考えて、自分らしさのようなものを見つけることもできなかったし、好奇心も芽生えなかったと思うと、去年の夏に私がしたことは、私の人生の中ではとても大きいものである。
今年は、去年できなかったやりたいことを全てできたから幸せだったと思えるのだと思う。
もし、去年、自分を理解していない状態で中途半端にやっていたら、幸せ!と思うことは難しいかもしれない。

私の人生の大事、大切な部分、期間の1つとして去年の夏はとても大きかった、ということ、そしてそれを繋ぐことができた今年の夏、去年の夏だけではなくて、この一年間が大きかったということを記憶しておきたい。
この一年間を通して、この先どうなるかは、今の自分にかかっているかもしれない、ここで自分が諦める、中途半端にやるのであればこの先どうなるかは分からないが、その行動と同じようなものになってくるかもしれない。でも、全てしっかりやったところで本当に自分になることができるかは分からない。だから、今は沢山調べる時間が私には必要なのかもしれない。その時間を確保するためであれば、全てしっかりとやる必要はないかもしれない。でもそう思ってしまうと、どこまでもいってしまって、一気に良くない方向へとたどり着いてしまうから、自分をコントロールしなければいけない。私にはそのコントロールが今重要である。と思う

kobore 爆音の鳴る場所で
で、わっって思った

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