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論考:労働者性の怪

「なんか急に、労働者性を否定する使用者が増えてきたように感じるけど、組合さんはどう?」と先月ある労働基準監督署で監督官に尋ねられました。たしかに、私が関与する案件だけでも、河合塾・東京藝大・茨城県立中央看護専門学校など、多数あります。

お世話になった弁護士さんの一人は「労働者性の否定は、入り口阻止なんだ。それで団交拒否して、法の議論も拒む。みっともないことなんだ。」と語っていました。実際、東大の教職員の無期転換や去就を争った団交では、なんと相手方の弁護士さんが「授業やってもろうて、給料お支払いして、それで労働者やないなんてよう言えん」として大学側に方針転換を促してくれました。依頼者の利益優先とは別の問題として、「恥ずべきこと。負け筋への一本道」という衿侍が専門家にはあるのでしょう。

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面倒なことに、実は労働者性には法律ごとに定義に差があって、

①労働基準法上と労働契約法上の労働者性はほぼ同一。
②労働組合法上の労働者性は、それらより間口が広い。

といえます。
このベン図でわかるように、①が満たされれば、② は自動的に満たされます。

判例は既にしっかり出ていて、講学的には①の条件は(菅野・労働法第十版)


《主要な判断要素》
a 仕事の依頼への諾否の自由
b 業務遂行上の指揮監督                        c 時間的・場所的拘束性
d 代替性
e 報酬の決定・支払い方法

《補充的な判断要素》
f 機械器具の負担、報酬の額等に現れた事業者性
g 専属性等

で、私の印象ではbとcとeが特に重視されているように思います。

また、②の要素は最高裁判断も多く西谷労働法(3版)等によれば
ア 事業組織内への労働力としての組み入れ
イ 契約内容の一方的決定の有無
ウ 報酬の労務の提供の対価という性格
エ 許諾の自由の有無
オ 時間的・場所的拘束、指揮命令権の有無
カ 独立の業者としての実態を備えていると認められるべき特段の事情の不存在

とされています。こちらはウとオが重要でしょう。組合員であるならば、既に退職した(させられた)場合でも争えるなど、門戸は広いです。労働組合法を所管する労働委員会では、②の労働組合法上の労働者性だけを主張すればよさそうなものですが、結局は残業代未払いなど、労働基準法違反も指摘することになる場合が多いので、申立書段階では①も②も主張することにしています。

大事なことは、労働者性については「契約書面上の文言より、実態で総合的に判断する」という実態主義が採用されている(はず)だということです。いかに、「業務委託・委嘱(=委託) ・準委任」等の契約書を押しつけても、それだけで労働者性を否定することは至難なのです。だって、その契約書にサインしないと仕事ができないのだから、真の合意であるかさえ怪しいのです。

※就業規則の不利益変更についてですが、山梨県民信用組合の2016年2月19日の最高裁判決は自由意志による真の合意が必要として、単に合意書を得ても十分でないとしました。もちろん組合としては就業規則に限らず射程を長く主張するべきでしょう。

実務ですが、「教職員の労働者性はガチガチに明らか。決着済み。」(労働省の某幹部)であるせいか、裁判官は冒頭から「労働者であるという前提で進行します」「60分●●円で賃金計算してますね。はい、労働者。」と断定して使用者側を慌てさせていた光景を見たことがあります。忙しい裁判官からすると、決着済みのことを延々と主張する姿勢自体が邪魔に映るのかもしれません。また、偽装請負など労働者派遣法違反を所管する労働局需給調整部も、指揮命令があることを確認したら、早めに労働者認定することがあるようです。

一方、行政の判断はいずれも行政訴訟の対象になり、最終的には裁判所が労働者性を判断するため、一般の労働局・労基・労働委員会は労働者性の判断には時間をかけたり慎重になったりする傾向があるようです。

しかし、そうした面倒さや弁護士費用にからめて労働者個人を萎縮させ、組合からの団交申し入れを拒否し、兵糧攻めすることが労働者性否定の最大の目的です。私自身としては、労働者性を否定する使用者は、従業員をモノ扱いしているに等しく、即座に暗黒認定すべきだと思うのですが....

問題は、労働法に詳しくないのに安易に労働者性を否定する弁護士(裁判をすれば、弁護士が儲かる)や、何も理解していないのに、ネット上の知識程度で同じことをする使用者が明らかに増えてきたことにあります。労働者性を否定して入り口規制しているので、たとえば団交拒否や残業代不払いなど、入り口を突破されたら、もう惨敗にまっしぐらなのに・・・戦略的にも愚策ですし、もっとはっきり言えば、労働者側が腹を括ったら、使用者側はもう負けるしかないのです(教職員の場合)。

※例えば「ジャージで授業しないで」程度は指揮命令に含まないとされていますが、シラバスを提出させ、それに沿って決まった時間に決まった場所で授業させれば指揮命令は明らかでしょう。

おそらく、これまでそうした杜撰な契約形態でもナアナアでやってきたのが、コロナ禍で一気に顕在化してきたことが、上記現象の最大の原因ではないかと個人的には感じています。そうした使用者に限って、服務規程や
指揮命令だけ整備しているのが常なので、しっかり証拠書面を保存して叩いておくことが必要です。           (副委員長:佐々木信吾)

出典:首都圏大学非常勤講師組合 機関紙『控室』2020年12月発行http://hijokin.tokyo/hikaeshitsu/