謝るなら、いつでもおいで

「謝るなら、いつでもおいで」著・川名壮志/新潮文庫

を読みました。佐世保女子小六女児同級生殺害事件のことが綴られている本です。読んだばかりですが、この気持ちをどこかに記録しておかなければならないと思って書いています。駄文で申し訳無いです…

わたしは、中学生のころ佐世保小六女児同級生殺害事件をインターネットの記事で知り驚きました。その時には事件から10年近く経っていましたが、自分より年下の12歳の女の子が同級生を殺してしまうなんて…とショックの多い事件でした。友人関係のもつれ、インターネットのトラブル、バトルロワイヤル、身近にあるカッターナイフでの殺害や、事件が学校の学習ルームで起きたことも含め、何か他人事のようには感じられないと思っていました。ありえないことが起こったのはあの日、加害者の女の子が被害者の女の子を殺してしまった、ということだけで、それ以外は事件前の出来事を聞いても、ありうることばかりだったから。人を殺す種はどこに潜んでいるのか。加害者の女の子はどうして、被害者の女の子を殺さなければならなかったのか。そればかりがぐるぐると頭の中を回り、その事件を知ってから少なくとも1ヶ月は事件のこと以外何も頭に入ってこないような状態になるほど、中学生のわたしには何かが心に引っかかっていました。

当時小学生だった弟の運動会を見に行ったときに、クラス対抗リレーをしている小学六年生の子たちを見て、この子たちと同じ歳の子が人を殺すなんてことがあるのだろうかと、切なくなることもありました。今でもYouTubeなどで事件から○○年…という動画を見つけると、胸をギュッと掴まれて苦しい気持ちになります。今年の6月と一昨年の秋に佐世保市へ仕事で行くことがありましたがその時もこの事件が頭から離れなかった。

わたしにとって、この事件はそういう思い出があります。25歳のわたしがこの本をAmazonで見つけて買ったのも、まるで初めからそう決まっていたような、気がするのです。

本を読み始めたら、遺族の方の様子や当時のことが鮮明に描かれていました。被害者のお父さんの気持ちを考えると苦しくて、人のいのちを奪うことは、取り返しのつかない許されないこと。被害者を大切に想っていた周りの人たちの気持ちも奪うことになるんだというのを、改めて感じました。被害者のお父さんの気持ちや苦しさを、きっとわたしは半分も分かっていないのが読み勧めていく上でより辛いのです。

それと同時に加害者のお父さんの苦しみにもこの本は触れられていました。被害者の女の子を想い続けながら殺人犯となってしまった自分の娘のことも想う、加害者のお父さんの姿にも複雑な気持ちになりました。

被害者の女の子のお兄さんのお話も、そしてメインで語られている被害者の女の子のお父さんの部下である記者の方の視点もあり、色んな人からの「あの日」が浮き上がっていました。しかし、より一層わたしは加害者の女の子が分からなくなりました。

ずっと中学生のころ頭でぐるぐると考えていた、「どうしてあの子は同級生を殺さなければならなかったんだろうか」という問いを深めてしまいました。

「謝るなら、いつでもおいで」この言葉は、優しい言葉ではない。でも突き放した言葉じゃない。もっとずっしり重い。

この本は、あの子へ宛てた手紙であってほしいな。

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