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インタビュー用のノートに、小さく書いて力にしていた歌詞は。①


だいじなことは、だいたい歌詞から教わった。

もちろん、歌詞だけよくても意味がない。だって「音楽」なんだから。
曲のよさが何より大事。曲のよさが大前提。そんな曲に惹かれて絶えず耳に流し込んでいるうちに、ある瞬間くっきりと、心に鮮やかに「ことば」として飛び込んでくる歌詞がある。曲の世界を一気に拡げるそのことば。押しつけがましくなく、差し出がましくなく、あくまで音楽として成立してるのに、その音世界をグワンと一気に立体化してくる驚異のことば。そんな歌詞に、今なお魅了されて止まない。

バカだと思われたくなかった。

いわゆる「伝説のバンド」、フィッシュマンズ。佐藤くんは、突然亡くなってしまった。ただ、佐藤くんがいなくなってしまってからのほうが、彼らの名を多く見かけることに、彼らの曲が大きなステージから鳴らされることに、違和感のようなものを感じている自分がいる。
わたしのなかのフィッシュマンズは、地方の小さなライブハウスが売り切れになることのない存在だった。けれどそんなことは関係なく、その空間をごく私的な四畳半のようにも、終わりのない果てしのない宇宙のようにもしてしまうバンドだった。たゆたう気持ちよさを、初めて教えてくれたバンドだった。アンコールでまさかの、30分超えの大曲「LONG SEASON」が鳴らされた夜は忘れがたい。アンコールってゆーよりもはや第二部だった。贅沢。至福。

1991年のミニアルバム「Corduroy's Mood」が出会いで、これが全曲よくて、曲順もそのままよくて、その流れが、そのまんまが、すばらしいと思えるアルバムだった。たいてい、とばしてしまう曲っていくつかあるのに。特に「あの娘が眠ってる」がお気に入りだった。アコギのフレーズがたまらなく胸にくる。
あとで知ったが、「冬」をテーマにしたアルバムだったらしい。雪に覆われる街に住んでいたせいか、その匂いや空気感や独特の静けさや、寒さが際立てる暖かでつつましいしあわせや、でも外は凍るように冷えた寂しさや、もの悲しくてなんか急に泣きたくなるかんじや、それでいてなんか急にぎゅうっと愛おしくなるかんじが、余計に胸に染み広がった。

雑誌編集部で念願だったミュージシャンのインタビューに携わり始めた頃、しきりに思っていたことがあった。

わたしには知識が足りない。

音楽人に質問するには、音楽のあらゆる知識があまりにもないと思っていた。ただただ音楽が好き、それだけでここまで来てしまった。音楽に、詳しいわけではなかった。取材中、それを痛感する瞬間はたびたびあった。

読者のことなど置き去りに、よき質問よき原稿について考えることよりも先に、わたしの頭を支配していた思いはひとつ。バカだと思われたくない。それだけだった。
取材しているミュージシャンに、こいつバカだなと思われること、それが何よりの恐怖だった。往年の、新進気鋭の、自分の知らないアーティスト名や曲名が出てくることに怯えた。

当然、そんなことで頭がいっぱいのヤツが聞いたこと、書いたことなんて面白いわけがない。だけど、そんな恐怖から逃げ切るための知識も、何をどこから得ていけばいいのか膨大すぎて。やみくもに詰め込んだところで、そもそも恐怖からの学びなんて身に付くはずもなく。やたら時間ばっかかかって、気持ちも脳みそも疲弊するばかり。お腹は空気だけを詰め込まれて満腹になったようで、嫌な空ゲップがあとをついた。

付け焼き刃の知識、というより情報が、役に立つときはあったかもしれない。けれどそれは、バカだと思われなかったみたいでよかった。。。という安心感を得ることに役立っただけ。怯えながら、表面的な相づちを打ち合うことに何の価値があるんだろう。湿った安心感を、一時的に得ることに、なんの意味があるんだろう。

そんなとき、いつものように何気なく聴いていたフィッシュマンズの曲の歌詞が急に、ことばとして心に飛び込んできた。

もう知識はいらない
もう知識はいらない
知識はいらない
何もわからなくても
oh yeah

~「MY LIFE」フィッシュマンズ (1994)

オーイエー!だ。イエーまでついている。Yesともとれる。
ハッとした。そうか、知識じゃないのか。知識じゃないんだ。

きっと 大きな風 迎えにくる
声を出したまま あわてずに もう少し
あー涙じゃ何も片づかない
焦らずに大きな答えを出す

いつもゆれてるMy Life
初めての言葉を吐く

声を張り上げて歌うよ
ふるいたってる あなたのために

~「MY LIFE」フィッシュマンズ (1994)

涙が出そうになった。今までは、いい曲としてふつうに聴いていた曲だったのに。これが音楽のなんとも面白いところ。突然、奴さんのほうからやって来る。

敵など、いなかった。

必要なのは知識じゃなくて、何もわからないけどそれでも、と思える力だった。明るい開き直りっちゃーそうかもしれない。だけど、認めてしまえばそんなもの。何もわからないけど、音楽とっても好きなんです!と、大声で言える気持ちよさが代わりに宿る。敵は膨大な音楽の知識でもなく、取材相手のミュージシャンでもなかった。敵など、いなかった。

もちろんいいトシこいた取材者が、なんにもわかりませーんじゃ話にならんけど。だいじなことは知識量ではなく、素直に感じる気持ちなんだということを。頭でっかちになって、知識で武装したりしないで、むしろ全開放して、焦らないで、風を気持ちよいと感じられる心で向き合えば、きっと自ずと答えは出る。自ずと出てきたソレを、面白がれれば。
フィッシュマンズの「MY LIFE」が、どうやら窓をあけてくれたようだった。

ということで、わたしはインタビュー用のノートの、表紙の裏の隅っこに、小さく「もう知識はいらない。何もわからなくても。Oh Yeah!」と書いた。それは、ささやかな決意。大きな大きな力。



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