見出し画像

ハンバーガー at錦糸町

友人とハンバーガーを食べに行った。

ネットでいろいろと調べると、ハンバーガーを扱うお店は結構ある。近所にもあったし、よく行く街にも数件ある。見慣れた街でも、知らないことはたくさんあるものだ。

ハンバーガーと一口にいっても、それぞれのお店にはこだわりがあって、100%国産のビーフを使っているだとか、トッピングの豊富さ、量の多さを売りにしているなどなど。

カウンター席しかないようなこぢんまりとしたお店もあったし、オシャレすぎて入店するのを躊躇しそうなお店もあった。

友人とかくかくしかじか議論を重ねた結果、電車に乗って、錦糸町へと向かった。

最近、ぼくは、改めて食というものを考え直していた。

どちらかというと、腹にたまればいいとか栄養を補給できればいいと、ぼくは食に対してあまりにドライな考えを持っていた。

もちろんおいしいのに越したことはないが、そこまでおいしさを意識することはなかった。

ただ漫然と食事を口に運び、舌の上を通り過ぎていった数々の食物たち。命の恵みに対して、なんて無礼な態度をとっていたのだろう。悔やんでも悔やみきれない。

彼らに報いるために、ぼくは食事と真摯に向き合うことを、ある日、唐突に決めた。

食事は、人が生きるうえで切っては切れないものだ。なぜ、ぼくはそんな大事なことをないがしろにしていたのだろう。

変えるなら身近なところからということで、手始めに日頃の食事を丁寧に楽しむことにした。

しっかりと味わい、よく噛んで、食べる。

すると「世の中、おいしいものがこんなにあるのですね」と想像上の食事の神に手紙をしたためたいくらい、「食、サンキュー」という気持ちが溢れてきた。幸せは身近に転がっていたりする。

なんだかそんな多幸感のなか生きていたら、やたら食に関する情報に目が止まるようになった。

自らの食に対する感覚をアップデートすべく、ぼくは新たな挑戦をすることにした。

日頃の食事に感謝しつつ、たまには気分を変えて名店なるものを巡って、さまざまな方面から食にアプローチしてみようと。

その第一弾が、ハンバーガー(「シェイクツリー」)である。

お店は、駅から少し離れた場所に構えていた。外観は、オシャレで、その一角だけアメリカの西海岸を思わせる(行ったことはない)

ドアをくぐると、愛想がよくて腰の低い店員さんが、店内にいざなう。内装もオシャレだったが、そこまで居心地は悪くない。ぼくは、オシャレ過ぎるとソワソワしてしまうのだ。席に着くと、早速、ハンバーガーを頼んだ。

他愛ない話をしながら、出来上がりを待っていると、両手にお皿をのせた店員さんがやってきた。白いお皿には、みずみずしいレタスとトマト、肉肉しいパテが表面をこんがりと焼いたバンズに挟まれている。脇には、フライドポテトとピクルス。

待ちきれないといった感じで、中身が崩れないように、慎重にハンバーガーを持つと、大きく口を開け、かぶりついた。

バンズ、トマト、レタス、ブラックペッパーがかかったお肉をかみ切ると、口の中に怒涛の旨みが押し寄せてくる。自然とほほが緩んでしまう味だ。

ポテトもうまい。ぼくは、イモに目がないのだ。これがハンバーガー専門店の実力か。おいしさを通り越して、感動すら覚えた。カウンターで忙しく働いている店員さんに「グッジョブ」と親指を立てる。

終始、満足感を得ながら、ハンバーガーを楽しんだ。

興味をもつことは、自分の狭い世界を広げることにつながる。たぶん、ハンバーガーを食べようと思わない限り、ぼくは、このお店を知ることがなかっただろう。

それに、なにを食べようか選んでいる時間がこんなに楽しいものとは思わなかった。まだまだ、ぼくには知らない世界があるようだ。

#エッセイ #コラム #日記 #食事 #ハンバーガー


Twitter:@hijikatakata21


最後まで、読んでくださってありがとうございます!