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母と娘と女と男

マッチングアプリを開くと、プロフィール欄に出身地、最終学歴、職業、兄弟構成、年収、そんな条件が羅列され、自分の希望をしぼって相手を探せる。すごいDBだ。


そのなかで、なんかひっかかる項目がある。それは、男性側の“子どもは欲しいか”という項目。


“欲しい”という人は、『子供好きなんだわ〜🙌』ってみることもできるんだけど、『欲しいって言うけど、生むのは女性なんだぜ…』という気持ち。『生めないとなったときこの人はわたしをどうするんだろう?』という不安。


あとに続く質問項目で、子供好き(?)と思しき人はみな“家事育児に積極的に参加したい”って回答してはいるんだけど、それとこれは当然じゃないの??って思うんだよなぁ。参加って…。



子どもを産んだらキャリアのギアシフトチェンジを余儀なくされるわけで、どっちか(母親)ではなくどっちも(父親である自分も)する選択肢をどのくらい想定してるんだろう。

素朴な疑問。


こういうステレオタイプは社会的、政治的、経済的圧力という“大きな圧力”も当然あるけど、実は女性自身がつくりだしている内なる思い込み、“小さな圧力”が一番怖いんだと言う。


女性自身がこうあらねば、こうすべきっていう外部から期待されている像を、実は自分自身が自分の脳に投影し続けてる。



じぶんの母親は自由に生きてるように、自立して生きているようにみえた一番身近な女性だったのだけど、娘たちが結婚適齢期~子どもを産むとか産まないとかの年代になり、言葉の端々から干渉的なことばを聞くようになった。そういう母親がじぶんの人生を、満足に生きてないように見えた。


親離れよりも子離れするほうがよっぽど難しい。


彼女は娘への純粋な愛情ではなく、彼女自身の楽しみ=利己的に孫を生んでくれと言っている。
言われなくても言われても百も承知なその態度が、相手を傷つけたりするということを同じ女性ならわかると思っていたのに、ショックだった。


じぶんを犠牲にして育てたという意識がどこかであるから、期待も大きくなるのだろうか


わたし達(姉妹)は親を安心させるために結婚はしないし、親の楽しみのためには子どもを生まない。
たぶん、きっとそう思ってると思う。



もしも親になるなら子ども以外の生きがいを、私は持ちたいし、偏屈になってしまうくらいなら自己犠牲的な生き方はしたくないなぁ、と思う。じぶんの幸せを子どもに依存することはしたくないと思う。


うちの家族は平和でまあふつうで幸せな家族、と思ってきたけど、大人になって窮屈に感じて来ることが増えた。
ねぇ、うまくいってる家族って何なんだ?秘訣は何?



こんなモヤモヤなのに明日も明後日も母親の用事に付き合うわたし、、あぁそんな気分じゃないぜ(泣)

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