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彩ふ読書会の参加録~9月28日(土)京都会場・推し本披露会編~


◆はじめに

 9月28日(土)、京都で開催された彩ふ(いろう)読書会に参加した。今回から次回にかけて、その振り返りを書いていこうと思う。

 彩ふ読書会は、2017年に大阪で始まった読書会で、現在は大阪と東京で毎月1回、京都でおよそ3ヶ月に1回開催されている。僕はかつて常連メンバーの1人だったが、コロナ禍で読書会が一時休止してしまったのをきっかけに、暫く足が遠のいていた。しかし最近になって、またぽつりぽつりと通うようになっている。なぜそうなってきたのかは今まで考えたことがなかったが、おそらく、直接誰かと会って本の話をし、「好きなものについて語りたい」という気持ちに触れられるのが、心地良いからだと思う。

 京都開催の彩ふ読書会に参加するのは、コロナ禍以降では初めてのことだった。会場はJR丹波口駅から歩いて10分弱のところにあるミーティングスペースである。建物の外観がやや古めかしかったので(茶色いタイルに覆われた壁に、建物名を書いた木製の表札が掛かっている)、一体どんなところなのかと思っていたが、実際に着いてみると、白を基調とした部屋に、可動式の机と椅子・ホワイトボードが置いてあるという、カジュアルな会議室であった。

 読書会は2部構成である。第1部は、参加者がそれぞれ1冊ずつ本を紹介する「推し本披露会」、第2部は、事前に課題本を読んでおき感想などを話し合う「課題本読書会」であった。どちらか一方だけ参加することも可能だが、僕は今回2部とも参加した。それは、この日の課題本が、僕の好きな作家・森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』だったからなのだが、その話は一旦置いておこう。

 今回は第1部・推し本披露会の模様を振り返ろうと思う。第2部・課題本読書会の振り返りは次回書くことにしよう。

 推し本披露会は13時20分から14時半過ぎまで行われた。この日の参加者は15名おり、本の紹介は5名ずつ3つのグループに分かれて進められた。最後に全体発表という形で、本のタイトルのみ参加者全員に発表する時間が設けられていた。

 僕が参加したのはCグループであった。僕のほかに、常連さんが1人、何回か来たことがあるという方が1人いた。あと2人は初参加の方だったが、そのうちの1人は他の読書会に足繫く通っているらしく、場慣れしている雰囲気があった。もう1人の方も研究職に就いているそうで、自分の用意したを紹介すること対して緊張している様子は特になかった。要するに、とても落ち着きのあるグループだった(僕が落ち着いていたならばの話である)。

 それでは、グループ内で紹介された本を順番にみていこう。

◆1.『デンマーク人はなぜ4時に帰っても成果を出せるのか』(針貝有佳)

 僕も何度も顔を合わせている常連さんの推し本。デンマーク在住の研究者が現地のオフィスワーカーに取材し、日本人より短い労働時間で成果を出せる秘密を探った一冊です。

 デンマークの人は、仕事においても居心地の良さを大切にするそうです。男女が平等なのはもちろんですが、上司と部下の関係もフラットで、部下が上司に伺いを立てることもなければ、上司が部下の仕事に闇雲に口を出すこともありません。失敗が起きたとしても今後の糧とみなして許容する雰囲気があるそうです。また、プライベート重視の考え方が浸透しており、勤務時間外に仕事の付き合いはありません。もちろん残業もないそうです。

 この本は基本的に「デンマーク人はすごい!」というスタンスで書かれています。紹介した方からでさえ、「流石にデンマークを持ち上げすぎなのではないか」という話が出ていたくらいです。もっとも、この本の目的はデンマーク人を賞賛することではなく、日本人の働き方のモデルを探すことにあるのでしょうから、そこは一旦目を瞑っても良いのかなと思います。

 紹介を通じて感じたのは、日本とデンマークでは責任の考え方が大きく違うということです。日本では、与えられた仕事を確実にこなすことが重視されます。失敗への風当たりは強いですが、その責任の多くは仕事を与えた上の人間が負うと言うことも珍しくありません。これに対し、デンマークでは必要な仕事を自分で考えて遂行することが重視されているように思います。失敗への許容度は高いようですが、責任は当人に跳ね返ってくることでしょう。

 デンマーク人が手にしている裁量の大きさや寛容さは魅力的ですが、その分責任も重くなると思うと、僕は正直怯んでしまいます。ともあれ、この本が良い働き方を考える手掛かりを与えてくれるのは確かだと感じました。

◆2.『書店はタイムマシーン』(桜庭一樹)

 初参加の方の推し本。直木賞作家・桜庭一樹さんの読書日記です。桜庭さんの読書日記は全部で5冊出ており、紹介された『書店はタイムマシーン』は2冊目に当たります。ちょうど直木賞を受賞し、世間に名前が知られていく時期の読書日記が収録されています。

 紹介した方はまず、桜庭さんの読書量に驚いたと話していました。数が膨大なのはもちろん、ジャンルも幅広く、南米や中東の小説も出てくるそうです。また、桜庭さんと編集者とのやり取りも印象的だったと言います。そのやり取りの中には、桜庭さんの読書の世界が広がるきっかけになるものもあれば、桜庭さん自身の執筆に関するものもあるそうです。「作家さんが文章を書くところの舞台裏が覗けて面白かった」そんな話もありました。

 他にも、桜庭さんが東京と地元の鳥取とを往復する中でギャップを感じた話など、色々面白いエピソードも収録されているそうですが、この本の一番の魅力は、パワーに満ち溢れていることなのだそうです。何を読むか迷った時にはこの本を読んで、桜庭さんのパワーを浴びて充電するのだと、紹介した方は話していました。

 紹介が一通り終わったところで、「この本を手に取ったきっかけは何だったのですか」と訊いてみました。返ってきた答えは、「作家さんの読書日記が珍しかったから」というものでした。確かに、書評や読書にまつわるエッセイを出す作家さんは少なくないですが、読書日記そのものが本になっているのはあまり見たことがない気がします。そういうレア物感も、この本の魅力なのかなと思いました。

 ちなみに、『書店はタイムマシーン』というタイトルは、桜庭さんが本屋で並んでいた時に傍に子どもと年配の方がいるのを見て、自分の過去と未来を想像したことにちなんでいるそうです。このエピソードも素敵ですね。

◆3.『うたうおばけ』(くどうれいん)

 彩読に何回か参加しているという方の推し本。作家・歌人・俳人として活躍する著者が、日々の出来事や個性的なともだちとの付き合いなどを綴ったエッセイ集です。

 紹介した方はこの本について、「とにかく共感できるところがたくさんあった」と話していました。グイグイ迫ってくる陽キャが苦手なところや、ちょっとしたことで自分を慮ってくれる人に対して長く深く付き合う相手だと直感するところなどが、特に印象的だったそうです。また、著者はこの本を出した時26歳だったそうで、その年齢で面白い文章が書け、色んな人との付き合いもあることに「いいなあ、すごいなあ」という感想を抱いたとも話していました。

 著者であるくどうれいんさんは、僕はこの日初めて知った方だったのですが、上述の通り、作家・歌人・俳人として幅広く活動しているそうです。歌人・俳人の書いたエッセイは僕も幾つか読んだことがありますが、確かに印象に残るものが多い気がします。そんな話をすると、「物事の受け止め方が違うんですかね~」「言葉に対する感受性が鋭いんですかね~」といった声が相次ぎました。

◆4.『ミツバチの不思議』(フリッシュ)

 初参加の方の推し本。動物行動学という分野の創設に貢献しノーベル賞も受賞した著者が、主な研究対象としていたミツバチの生態についてまとめた一冊です。ハードカバーでいかにもお堅い感じがする本でしたが、専門書というわけではなく、一般読者向けに書かれたエッセイ風の読み物とのことです。

 ヒトとミツバチに認識できる光線の違いを説明し、ミツバチには世界がどう見えているのかを解き明かす話。ミツバチはどのような味を好むのかに関する話など、様々な切り口からミツバチの生態が紹介されていきますが、中でも注目されるのは、ミツバチの言語に関する話だと、紹介した方は言います。

 ミツバチには蜜や花粉のありかを仲間に知らせる際に、8の字を描くように飛ぶ習性があるのですが、この「8の字ダンス」を発見したのが、本書の著者であるフリッシュ博士なのです。本の中では、8の字ダンスを解読するまでの経緯や、長年この習性に気付けなかった理由なども語られており、1つのことを発見するのがいかに大変なことなのかも垣間見えるそうです。

 また、本書のもとになる研究の中には第二次世界大戦前後に行われたものもあるため、研究に必要な資材の調達にまつわる苦労話なども登場するといいます。そんな話を聞いていると、ミツバチの生態に興味がある人だけでなく、研究に興味のある人にとっても面白く読める本なのかもしれないと感じました。

 ちなみに、紹介した方が持ってきた『ミツバチの不思議』は、下鴨神社の古本市で手に入れたものだったそうです。下鴨古本市といえば、京都の夏の恒例行事であり、第2部の課題本である『夜は短し歩けよ乙女』でも大々的に取り上げられています。まさに、この本は今日紹介されるべきものだったのだと、僕は一人で深く頷いていました。

◆5.『イエスの生涯』(遠藤周作)

 ワタクシ・ひじきの推し本。『沈黙』や『深い河』などの作品で知られる作家・遠藤周作が、聖書・聖書研究・歴史書などを紐解いて著した、イエスの評伝です。

 イエスといえば、弟子を連れて現在のパレスチナ一帯で教えを説き、怪我人や重病人を治すなどの奇跡を行った、というのが一般的なイメージでしょう。しかし、この本に登場するイエスは、奇跡を起こすことはありません。遠藤が描こうとしたのは、悲しみや苦しみを抱える人々に寄り添いながら、愛の神・神の愛を証明するためだけに苦悩し続けるイエスでした。

 そのイエスは、現実的な生活の改善を求める人々、ローマの支配に不満をもちユダヤ人の指導者を待望する人々に、一時は期待をもって迎えられますが、結局は失望され怒りを買うことになります。近しい弟子たちさえも、イエスに民族的指導者になることを期待しており、師の苦悩には全く気が付かなかったといいます。イエスはずっと孤独で、人々の離反と自らの死を予感しながら、愛という見えないものの証をたてるために祈り続けた——この本は、その1つのことを繰り返し語るために書かれたと言っても過言ではないでしょう。

 僕はこの本を読んで、自分がイメージしていたイエスと遠藤が描いたイエスの違いに衝撃を受けると同時に、深い孤独の中で神の愛の証明を目指し、苦しむ人々に寄り添い、離反する人々を許そうとしたイエスの姿が深く心に残りました。それらの印象が自分に何をもたらしたのかについては、もう少し考えてみなければなりませんが、それまで待ちきれず、この本を紹介することにしたのでした。

◆おわりに

 Cグループで披露された推し本の紹介は以上である。

 第1部が終わって暫くしてから気付いたことだが、このグループの推し本の中には小説が1つもなかった。これはかなり珍しいことである。読書会経験が豊富な別の参加者も、「なかなかないことですね」と驚いていた。だからどうという話ではないのだが、ひとつの経験として書き留めておこうと思う。

 読書会が終わった後、1つ嬉しいことがあった。別のグループにいた方から、「私も学生の頃、遠藤周作をよく読んでました」と話しかけられたのである。その声に呼び寄せられるように、近くにいた方々も声を掛けてくださった。「確か『沈黙』を書いた人ですよね」という人もいたし、「昔試験問題に『沈黙』が出てきたことがあって、なんて力強い文章なんだろうって感動して、試験なんてどうでもよくなったのを思い出しました」と素敵なエピソードを紹介してくださった人もいた。

 持ってきた本がきっかけで個人的に声を掛けられたのは、久しぶりのことだった。何人もの方から話しかけられたとなると猶更である。アフタートークの時間、自分が印象に残った本の話をするのもいいし、世間話に興じるのも悪くはない。だが、自分が紹介した本や作家に関する話ができることの楽しさ・喜びは格別だった。それを味わえたというだけで、この日の読書会は僕にとって特別なものになった。

 さて、第1部・推し本披露会の話はここまでとしよう。最初に予告した通り、次回は第2部・課題本読書会の振り返りを書こうと思う。楽しみにしてくださる方がいたら幸いである。

(第247回 2024.10.03)

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