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電話で本を語らう話~『宵山万華鏡』編・その①~

◆はじめに

 6月11日(日)の夜、遠方に住んでいる友人と電話で読書会をやった。この友人とは以前から度々、電話を使って読書会をしている。2週間前にも読書会をしたばかりだったが、下旬になると都合が悪いというので、続けざまに機会を設けることになった。

 今回の課題本は、森見登美彦さんの『宵山万華鏡』という本である。祇園祭の宵山を巡る6つの不思議な話を集めた連作短編集だ。

 僕と友人は共に森見登美彦作品のファンである。同氏の作品について語り合ったことは何度もあるし、同氏の作品でよく舞台になる京都の街で会ったことも何度かある。ファン歴は友人の方が長い。だが、触れた本の数はいつの間にか僕が追い越していた。今回の課題本『宵山万華鏡』も、友人は読むのが初めてだったが、僕は2度目だった。もっとも、一度の読書による吸収量は友人の方が格段に多いから、これくらいが丁度いいのである。

 さて、前置きは手短にして、早速読書会の振り返りに入っていこう。今回は『宵山万華鏡』に収められた6つの短編を、登場順に1つずつ振り返っていくことにする。物語の内容を紹介し、僕らが話し合ったことを見ていく。そして最後に、本全体を通してのお互いの感想を書き出すことにしよう。

 正直に言うと、僕は今回他人様向けの振り返りをきちんと書けるか不安である。というのも、僕らは共に数多の森見登美彦作品に触れており、「森見さんって、こーゆーこと書くよね」というだいたいのイメージを持ったうえで話をしている。つまり、話す前から下地が出来上がっているのだ。そんな者同士のやり取りを書き並べようというのである。読者を今まで以上に置いてきぼりにしてしまわないか、心配でならない。

 なので先に申し述べる。振り落とされても構わないという方のみ、この先へ進まれたし。

※追記 今回、各話あらすじを詳しめに書いてしまったので、全編にわたりネタバレが多くなっている。「それは困る」という方は、このままそっとお引き返しください。

◆1.宵山姉妹

 最初に登場するのは「宵山姉妹」という作品である。宵山のメインストリート・烏丸通りから少し入った路地にあるバレエ教室に通う、小さな姉妹の話だ。姉は好奇心旺盛で、興味を持ったものに向かってずんずん突き進んでいくタイプ。一方妹は怖がりで、知らないことには手を出さない。そんな2人だが、姉が妹の手を引く形で、いつも一緒に動き回っていた。

 この日も、姉は宵山に興味津々で、バレエ教室の先生が寄り道を止めるのも聞かず、通りへ出ていく。妹は「帰ろうよ」「叱られる」と気が気でないが、結局姉に付いていく。2人は宵山の絢爛の中をぐるぐる回っていく。そして、うっかりはぐれてしまう。

 姉とはぐれた妹が、泣き出しそうな顔をしながら宵山に染まる街を彷徨っていると、そこへ赤い浴衣を着た女の子たちが現れる。妹は優しく笑う女の子たちに連れられ、街を駆け巡る。

 やがて女の子たちは空にも鉾があると言い、舞い上がる。妹は付いて行こうとする。そこへ、慌てた顔をした姉が現れる。姉の手で地上に引き戻された彼女が見たのは、空に上っていく女の子たちの、妖しい笑みだった。

 再会した姉妹は、何気ない話をしながら、家路に着く——

 正直に言って、「宵山姉妹」はあまり動きのない作品である。この作品自体の感想を話すのは、かなり難しい。だが、後に続く宵山の話の導入として見れば、存分に役割を発揮している作品だと思う。

 あらすじでは触れていないが、後の話で回収される伏線もたくさん散りばめられているし、何より、これから始まる話のもつ二面性が、1つの話の中にちゃんと出ている。すなわち、祭りの華やかで心躍る面と、どこか別の世界へ通じていそうな妖しく恐ろしい面とである。

 「小さい頃、お祭りは楽しいって気持ちと、怖いって気持ちと、両方あったなあ」と友人は言った。ちなみに、友人は祇園祭に出掛けたことはない。他の祭りの記憶を頼りに、そんな感想を持ったようである。

 「宵山は一遍だけ行ったことある」と僕は言った。「とにかく人が多いのよ。いつもは車で一杯の大通りがホコ天になって、今度は人でいっぱいになる。そりゃ迷子にもなるわ」というような話をしたが、今思えばイイカゲンな感想だった。ちなみに、人を誘うのが苦手な僕は、その日単身で宵山に乗り込んだ。後から妹に「あれは一人で行くもんちゃうで」と呆れられたものである。

◆2.宵山金魚

 続いては「宵山金魚」という作品である。奈良出身の社会人・藤田君と、その友人で京都の骨董屋で働く乙川という男の物語だ。

 藤田君が宵山に来るのは初めてである。本当は三度目と言いたいところだが、過去2回は乙川に騙されてんで関係ないところへ連れ回されたので、実際に宵山を味わうのは初めてなのだ。そんな藤田君を今回招いたのは、やはり乙川である。掴み所のない友人を前に、今度は騙されないぞと、藤田君は気を引き締める。

 宵山に染まった街を歩きながら、乙川は藤田君に説明する。宵山には色々とルールがある、それを破った観光客は、宵山様を筆頭とする祇園祭司令部に取り締まられる、云々——気が付くと、藤田君は乙川とはぐれていた。案内人を失った藤田君は、細い路地へ迷い込み、やがてヘンテコな置物が並べられた駐車場へ流れ着く。

 その時、暗がりから大勢の人が現れ、藤田君は籠に閉じ込められる。彼が着いた駐車場は「立入禁止区域」だったのだ。彼は籠に乗せられたまま、細い路地や近隣の建物の中を「えっさ、ほいさ」と運ばれていく。道中で現れる骨董屋や舞妓、大坊主への弁明も虚しく、どんどん運ばれ、とあるビルの屋上へ連れられて行く。そこで待っていたものは、ぶくぶく太った巨大な金魚を乗せた、幻の「金魚鉾」。そして、

 得意気に笑う乙川の姿だった——

 「宵山姉妹」がホラーチックな結末を迎えるのに対し、「宵山金魚」はだんだんドタバタコメディになっていく作品である。宵山に出掛けた2人連れがはぐれるという展開はどちらも同じなのに、テイストに振れ幅があるのが面白い。

 もっとも、森見登美彦作品に慣れ親しんでいると、この作品がホラーにならないことは早々に察しがつく。例えば、序盤で乙川がバリバリ食べている「奥州斎川孫太郎虫」の串焼き。こういうイミフメイな固有名詞が出てきたら、話はだいたいコメディに転ぶ。そして、あらすじでも触れた「祇園祭司令部」。森見登美彦作品で仰々しい官僚組織的な名前が出てきたら、それはもう理不尽で珍妙な阿呆集団と相場が決まっているのだ。

 そんなわけで、僕も友人も、「宵山金魚」は安心して読み進めていた。

「それにしても」と友人が言った。「藤田君は人の良い阿呆だなあ!」

 藤田君は、森見登美彦作品によく登場する阿呆大学生ではない。そもそも社会人であるし、自意識を膨れ上がらせてこじらせた風のない、純粋な人でもある。だから僕は、これは珍しいキャラクターが現れたなと思っていた。

 しかし、改めて見てみると、確かに藤田君は阿呆である。何度も乙川に騙され、「今度は騙されないぞ」と心に誓っておきながら、乙川の作り話をころっと信じてしまっている。そして、籠に乗せて運ばれるという理不尽な目に遭っておきながら、怒るどころか「恐るべし宵山」と真正直に怖がっている。

「これは騙したくなるわ」友人は言った。「いや、現実には騙す側にも騙される側にも回らないんだけどさ」

 本当だろうか。僕は友人に騙されないようにしなければならない。

◆3.宵山劇場

 3作目は「宵山劇場」という作品である。今度の主人公は、小長井君という大学生だ。

 ある日小長井君は、丸尾という友人からバイトの誘いを受ける。先輩である乙川さんからの頼みで、宵山の日に乙川さんの友人・藤田氏を騙すための仕掛けを作って欲しい——丸尾はそう語った。

 当日の日給3万円に釣られ、小長井君はバイトを引き受ける。退屈しのぎに丁度いいという思いもあった。そんな彼の前に、恐るべき人物が現れた。山田川敦子である。山田川は、かつて小長井君が所属していた学生劇団の一員で、溢れ出るヘンテコな妄想を具現化すべく周りの人間をこき使う暴君である。小長井君が劇団を去ったのは、彼女に振り回され疲弊したからであった。その山田川が、再び姿を現わした。

 果たして、山田川は奔放極まるイマジネーションの赴くまま、数多の置物や、骨董屋・舞妓・大坊主などのキャストを考案し、挙句の果てに幻の金魚鉾づくりに着手する。準備作業は昼夜を徹し、道具係を任された小長井君は多忙を極める。割に合わないと愚痴をこぼす小長井君。しかし、彼はだんだん気付き始めた。自分の青春を様々なもので満たしてくれるのは、山田川敦子だということに。

 そして宵山当日がやって来る。学生たちの前に乙川が現れ、計画は実行される——

 「宵山劇場」は「宵山金魚」の舞台裏を描いた作品である。6つの短編の中では唯一、宵山当日以外の動きにスポットが当たった作品でもある。いわゆる腐れ大学生モノらしいテイストの作品で、祭りという人が群がるイベントからは目を背けつつ退屈な日常に飽いている大学生が、クセのある人間に捕まって、ヘンテコで目まぐるしく、それでいてどこか満たされた時を過ごす様が描かれている。

「小長井君は腐れ大学生の中でも、ちゃんと青春している方だよね」と友人は言った。確かにそうかもしれない。腐れ大学生は、数多の森見登美彦作品に登場するが、彼らは往々にして「こんなヘンテコな学生生活はゴメンだ」と、終盤までぶつくさ言っている。それに比べると、小長井君は自らの充実ぶりに自覚的である。並の腐れ大学生が300ページかかっても辿り着けない境地に、僅か40ページで到達した彼は、成長著しい、大変見込みのある腐れ大学生である。

 小長井君と山田川の関係も面白い。腐れ大学生ものにありがちな、黒髪の乙女への淡い恋心のようなものは、小長井君の中には見受けられない。それでいて、小長井君と山田川の距離は、並の腐れ大学生と乙女の関係よりも、ある意味近いのである。そして、ここで注目されるのが、山田川敦子から小長井君はどう見えているのかということであるが、ここは本編に譲るとしよう。

「小長井君と山田川さんの最後の会話がとてもいい」と僕は言った。「色んな意味に読み取れて、胸がいっぱいになる」

 森見登美彦作品には、様々な男女の組み合わせが登場するが、小長井-山田川組は、その中でも上位に入る素敵な組み合わせだと思う。もちろん、あくまで個人の好みである。

◆(予定外の)おわりに

 おかしい。これだけの文字数を費やしているのに、なぜ振り返りはまだ半分しか進んでいないのだろう。責任者に問いただす必要がある。責任者はどこか。

 阿呆なことを言ったところで、記事は短くならない。ここは思い切って記事を区切り、残る3つの作品とそれらを巡る話し合いの模様は、次の記事でお届けすることにしよう。

 そうと割り切ったら少し気持ちが楽になったので、阿呆な話をついでにもう1つ。

 読書会の途中、友人が「お菓子食べていい?」と聞いてきた。深夜に頭と口を使ったので、小腹が空いたらしい。僕は「いいよ」と言った。すると間もなく、電話の向こうから「バリボリ」と凄い音が響いてきた。本当は大した音ではないのだろうが、そういう音に限ってスピーカーを通すと矢鱈と増幅される。

「一応聞くけど」僕は言った。「今食べてるの孫太郎虫じゃないよね」

「そんなもん食べるか!」と友人は言った。

(第171回 6月16日)

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