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何もない日常に、小さな物語を

 1ヶ月ぶりにWordファイルを開いたところで、ひじき氏は「うーん」と唸った。

 さて、何を書いたものか——

 久しぶりに文章を書く時はいつもこうだ。筆を置いていた間に色んな出来事があったから、何でも書きたいような気がする。「でも、それは現実的に不可能だなぁ」と思っているうちに、あらゆる出来事が取るに足らないもののように思えてきて、「やっぱり書くことなんて何もないや」という気分になる。

 こうなると、もう一歩も先へは進めない。ひじき氏は白紙のままのWordファイルから目を逸らし、「何か書こうなんて思うんじゃなかった」と投げやりな気持ちになった。

 しかし珍しいことに、今日はそこで踏み止まった。

 いやいや、また書こうって俺は決めたんだ——

     ◇

 ひじき氏が久しぶりに筆を執ることにしたのは、1冊の本がきっかけだった。

 先日本屋大賞を受賞した小説『成瀬は天下を取りにいく』である。

 この小説は、滋賀県在住、成績優秀で品行方正ながら、しばしば突拍子もないことを思い付き気が済むまでやり続けるという、ハイスペックでマイペースな女の子・成瀬あかりとその周りの人々の間で起こる様々な出来事を書き綴ったものである。成瀬のキャラクターが強烈で印象に残る作品だが、描かれているのは、地元で暮らす中高生たち(成瀬は作中で中学2年生から高校3年生まで成長する)の日々の生活の中で起こる、ちょっとだけ大きな、でも広い視点で見れば小さな出来事だ。

 つまり、大きな事件も、深い絶望も、極上の喜びも、この小説には登場しない。ちょっとした出来事と、ほんのり心が温まるようなエピソードが連なっているだけである。しかし、そんな小説によって、冷めきっていたひじき氏の執筆意欲は再び点火した。

 それは、何もない日常がほんの些細な出来事によって彩られる可能性を改めて確認できたからだった。

 中でも、全6話中最初の1話「ありがとう西武大津店」は、その可能性をありありと示すものだった。

 新型コロナウイルスの脅威が初めて押し寄せた年の夏、地元のシンボルというべき百貨店・西武大津店が閉店する。中学2年生の成瀬は、幼馴染の島崎みゆきに「わたしはこの夏を西武に捧げようと思う」と告げ、閉店までの1ヶ月間、百貨店の様子を伝えるローカル番組の中継カメラに映り続けるプロジェクトを開始する。成瀬からテレビを観ているように頼まれた島崎は、ただカメラに映るだけの成瀬を日々チェックしていたが、次第に小さな反響が生まれていることに気付く。そして、遂に島崎も西武大津店へ足を運ぶことになる——という話である。

 この話の舞台設定に、ひじき氏は衝撃を受けた。場所が滋賀県というだけでも、しばしばネタにされる〈何もなさ〉が想起されるというのに、時期がコロナ禍初年なのだ。学校が一時閉鎖し、行事は軒並み中止となり、不要不急の外出・移動などもっての外という雰囲気の強かったあの年は、〈何もできない〉という感覚が強かった。滋賀とコロナ禍を掛け合わせたこの舞台設定は、まさに〈何もない日常〉を煎じ詰めたようなものだった。

 おまけに、作中でまず語られるのは、街のシンボルに当たる百貨店が閉店する、ということである。この百貨店は大阪や京都の百貨店に比べると華がなく、閉店を惜しんで駆けつけた人の中には、店じまいを聞きつけて久しぶりにやって来た人も少なくないという。寂れているシンボルと、その消滅。それによって、この舞台に漂う虚しさは、いっそう強まる。

 そんな中、物語が動き始める。そこで起きているのは、1人の女子中学生が百貨店閉店までのカウントダウンを告げるローカル番組の中継カメラに映り込み続ける、というだけのことだ。何も事件は起きない。まして百貨店の命運が変わるわけでもない。

 でも、それは確かに物語になる。何もない日常に、ちょっとした色を添える出来事になるのだ。

 そのことに、ひじき氏は静かな感動を覚えた。

 もちろん、「ありがとう西武大津店」という話の面白さは、成瀬あかりという強烈な個性の持ち主に大きく支えられている。現実に同じことをやった人がいたところで、小説ほど面白くなる保証はない。だが、それは重要な問題ではなかった。

 虚しさばかりが漂う〈何もない日常〉からでも、物語は生まれる。ほんのちょっとした出来事が物語となり、日常を彩る可能性を秘めている。

 それだけわかれば、ひじき氏には十分だった。

     ◇

 この4月で、ひじき氏は社会人8年目に突入した。同じ会社の同じ部署に勤め続ける中で、少しずつできることが増え、組織の役に立っていると(少なくとも当人は)実感できるようになってきた。仕事が充実するにつれ、家と職場を往復するだけの日々に不満を抱くことも少なくなった。「結局、サラリーマンとして生きていくっていうのはこういうものなんだなぁ」とさえ思うようになっていた。

 しかし、心のどこかでは思っていたのだ。もう少しだけ華やぎたい。物語性のある、面白い人生を歩んでみたい、と。

 『成瀬は天下を取りにいく』を読みながら、ひじき氏は感じた。それはきっと、今の生活を大きく変えなくても実現できるんじゃないかと。

 日常を彩りたい。日常に物語的な面白さをもたらしたい。その思いは、ほぼ無意識のうちに、己の日常の中から、小さな物語を紡ぎたいという思いに変化した。

 自己満足のためでもいい。なんたって、物語的な面白さに飢えているのは、自分自身なのだから。

 こうしてひじき氏は、再び筆を執ったのである。

     ◇

 というわけで、もう一度、日常から文章を起こすことに挑戦してみようと思います。最近仕事から帰ってご飯を食べると寝たくてしょうがないことが増えているので、正直上手くいくのか不安でいっぱいです。が、書きたいという気持ちが起こったのは本当なので、火が消えないように、できる範囲でやっていこうと思います。どうぞ宜しくお願いします。

(第215回 2024.04.14)

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