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鳥取ひとり旅の話・その④~余部橋梁(兵庫県)~

 新春の鳥取を行く1泊2日のひとり旅の話。今回はその最終回をお送りします。旅の2日目、前日に訪れた鳥取砂丘へもう一度足を運び、鳥取駅前の市街地をサッと回ると、僕は昼過ぎの列車に乗って鳥取を後にしました。しかし、旅はそこで終わったわけではありません。鳥取へ足を運ぶのに合わせて、僕はある場所へ行こうと思っていました——って、またしてもタイトルでお分かりですよね。そう、余部橋梁です。

 余部橋梁は、山陰本線の鎧駅と餘部駅の間にある橋です。海沿いの山間部を走ってきた山陰本線は、この橋で余部地区を跨ぎ越し、対岸へと続いていきます。その独特の景観により、古くから鉄道ファンに親しまれているスポットです。ここは鳥取県ではなく、兵庫県香美町になりますが、同じ旅の続きということで、このまま書き進めていきたいと思います。

     ◇

 普通豊岡行が鳥取駅を出たのは、13時19分のことだった。2両編成のディーゼルカーは、唸るような音を立てながらゆっくりと加速した。

 今回の旅では、行きは特急スーパーはくとを利用して、山陽本線・智頭急行線・因美線を通ったが、帰りは余部橋梁に寄るため、山陰本線を利用し、城崎温泉から先は福知山線の特急こうのとりに乗ることにした。ちょうど大阪を起点にして、ぐるりと円を描くようなルートである。

 乗った列車は、こうのとり以外全て気動車である。阪神圏にいるとあまり触れることのないディーゼルエンジンの音を、この2日間はよく聞いた。カランと乾いた電車の音と違い、ディーゼルの音は重厚だった。同時に、列車に乗る僕らを包み込むような温かみを感じる音でもあった。

 鳥取砂丘を出た頃から、空はまた曇り始めていた。鉛色の雲が立ち込める中、列車は海沿いの山間部を走ってゆく。僕はテイクアウトしたすなばコーヒーを飲んだり、本を読んだり、まどろんだりしていた。

 1時間ほどで、列車は餘部駅に到着した。橋を渡る列車を見るため途中下車する。ホームに降りると、小雨が降っていた。

 現在の余部橋梁は2代目である。初代の余部橋梁は1912年に開通したもので、赤色に塗装された鉄橋だった。2010年に橋が架け替えられ、現在はコンクリート橋になっている。しかし、旧橋梁の遺構を保存する動きが起こり、餘部駅側の橋脚3本と、その上の線路が残された。現在その場所は「余部鉄橋『空の駅』」という観光スポットになっている。

 空の駅の線路を少し歩いてから、橋梁を望む撮影ポイントへ向かった。ホームの傍から始まるスロープを下り、橋をくぐって線路の反対側に出ると、遊歩道を上った先にウッドデッキのようなものが敷かれた空き地が現れる。グーグルマップでは「餘部鉄橋南展望台」と紹介されている場所だ。振り返ってみると、なるほど鉄道写真でよく見かける絵が広がっていた。

 山に挟まれた余部地区に、地上40メートルの鉄道橋が架かっている。その奥には日本海が横たわっていた。写真では何度も見ている光景だ。しかし、実際に来てみると迫力が違うと思った。

 やがて鎧駅の方から、鳥取方面へ向かう普通列車がやって来た。列車はトンネルを抜けると、橋の手前でS字カーブを切る。橋の架け替えによって線路の位置がずれたので、それを調整するための小さなカーブが設けられているのだ、ということに、この時初めて気が付いた。そして列車はゆっくりと橋を渡り、餘部駅に停車した。

 次の通過列車はおよそ30分後にやって来る。餘部駅を通過し豊岡方面へ走り抜ける特急はまかぜである。通過時間が来るまで、駅の待合室に戻ることにした。

 待合室はコンクリートで作られたキューブ状の建物だった。ホームから見て奥側に壁と一体型のベンチがあり、その真ん中に、観光地でしばしば見かけるメッセージノートが置かれていた。最近のものを手に取りパラパラとめくってみる。鉄道ファンと、カニを食べに来た人が、半々くらいの割合で書き込みを残していた。折角なので、僕も一言書き込んだ。

 そうこうするうちに、はまかぜの通過時刻が近付いてきた。再び展望台へ行き、カメラを準備する。間もなく列車がやって来た。特急というからどんなスピードなのだろうと思っていたが、やって来た列車はゆっくりとしたものだった。後から知ったことだが、余部橋梁では安全性の観点から速度制限がかかっているのである。列車は慎重に橋を渡り、鎧駅側のトンネルへと姿を消した。

 はまかぜを見送ったあと、橋の下までおりて、道の駅に入ったり周辺をぶらぶらしたりしていた。道の駅では、余部橋梁に関する資料映像がずっと流れていた。断片的にしか見なかったが、この場所に橋を架けることを巡って様々なドラマがあったことが窺い知れた。

 道の駅のすぐ傍には、1986年に起きた列車転覆事故の慰霊碑が建っていた。綺麗な景色に出会おうとすると忘れがちになるが、余部橋梁では悲しい出来事も起きている。観音様の石像に向かい、静かに手を合わせた。

 その後は、近くを流れる川の近くへ行って、流れてきた川と海からやって来た波とがぶつかるところを眺めるなどして、すぐに引き返した。観光スポットは幾つかあるようだったが、荷物が重いうえ、鳥取で動き回った疲れが出始めていたので、遠くまで行くのは控えておいた。

 豊岡行普通列車の時刻が近付いてきた。空の駅に通じるエレベーターに乗って、地上40メートルまで運んでもらった。最後に旧橋梁の上を歩いて、ホームへ向かう。空にほんのりと日の光が見えていた。

 豊岡の2駅手前、城崎温泉で下車し、特急こうのとりに乗り換えた。温泉に浸かっていこうかと一瞬考えたが、そんなに入りたいわけじゃないと気付き、やめておいた。乗車するこうのとりは、偶然にも「麒麟が来る」のラッピング車両だった。乗ってしまえばラッピングは関係ないものの、特別な列車に乗った気がして嬉しかった。

 タタンタタンと軽快な音を立てて、列車は大阪へ向かって行く。三田駅を過ぎると、見知った場所という感覚が強くなった。時刻は夜の20時で、窓の外は暗闇に没している。けれども、その暗闇を眺めながら、僕は家が近付いてくる気配をじんわりと感じていた。

     ◇

 以上で、4回にわたりお送りした鳥取ひとり旅の話は完結となります。鳥取砂丘のことをどうしても書き留めたいとの思いから、唐突に書き始めた旅行記でした。あっという間に終わらせるつもりでしたが、書き始めるとどんどん長くなってしまい、まあまあの分量になってしまいました。最後までお付き合いくださった皆さまに、感謝申し上げます。

 それでは!

(第124回 1月21日)

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