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「イグ・ノーベル賞の世界展」へ急遽行ってきた話

 11月13日——午前中に、学生時代からの知り合いと毎月やっているオンライン読書会があった。前月に引き続き、メンバーがそれぞれ本を持ち寄って紹介し合う会だったのだが、そこで登場した本の中に『ヘンな科学 “イグノーベル賞”研究40講』というものがあった。

 紹介をきっかけに、僕らは暫くイグ・ノーベル賞に関する話をしていた。すると、本を紹介したメンバーから「そういえば、こんな展覧会もありますよ」という話が出た。それは、大阪・心斎橋のPARCOで開催されていた「イグ・ノーベル賞の世界展」という展覧会だった。

 その話が出た途端、僕は「あああああ、そうだったあああ!!」と頭を抱えた。前に妹が「今度これ行くねん」という話をしていて、「なんだか面白そうだなぁ」と思ったことを思い出したのだ。もう1ヶ月近く前のことになる。会期はとっくに終わっているにちがいない。ああ、何でこういうことをすぐ忘れてしまうんだろう、俺は——そう思った時だった。

「今日ならまだ間に合いますよ」

 ・・・え?

 画面共有されていた展覧会情報を見る。会期は10月1日から11月13日まで——

「え、今日最終日やん!」

 僕は自責の沼から一瞬のうちに這い上がった。何という幸運だろう、このギリギリのタイミングで、もう一度展覧会のことをプッシュしてもらえるなんて!

「ちょっと読書会終わったら行ってきますわ!」

 僕は勢いに任せてそう言った。メンバー全員が笑っていた。「ぜひぜひ」「行ってらっしゃい」「レポートよろしく」と、色んな声が寄せられた。

 かくして、僕は急遽「イグ・ノーベル賞の世界展」へ行くことになった。

     ◇

 米が炊けていたので、昼食を摂ってから家を出た。梅田で御堂筋線に乗り換え、3駅先の心斎橋で降り、改札を出ると、すぐ目の前にPARCOがあった。中に入り、エレベーターに乗って、会場の14階を目指す。

 そして扉が開いた瞬間、目が飛び出そうになった。

 入場を待つ人たちの長蛇の列ができていた。エスカレーターのある吹き抜け部分をぐるりと囲むように、ざっと100人以上の人が並んでいた。僕らが着いたのを見て、係員さんが現在の状況をアナウンスする。場内が混み合っていて入場制限がかかっており、入るまでに1時間ほどかかるという。

 1時間は長いなあと正直思った。それも、立ってリュックを背負ったまま並び続けなければならない。しんどい。だが、折角ここまで来た以上、並ぶ以外に選択肢はなかった。幸い、読み始めて間もない本も持っている。暇を持て余す心配はなかった。

 そうして長い列をゆっくりゆっくり進んでいき、本当に1時間近く経ってから、漸く中に案内された。時刻は16時半前だった。最終日の閉場時刻は18時。とにかくザザッと見ていこうと思った。

     ◇

 というわけで、話は漸く本題に入る。

 会場に入ると、まずイグ・ノーベル賞の趣旨や歴史に関する説明があり、続いて表彰式の様子を収めた写真の展示があった。そこを抜けると、いよいよ実際にイグ・ノーベル賞を受賞した研究や発明の紹介が始まった。ちなみに、イグ・ノーベル賞の授賞式では、客席からステージに紙飛行機が飛ばされるのが恒例行事になっているらしいが、それを踏まえてか、天井には幾つもの紙飛行機が吊るされていた。

 受賞した研究や発明の紹介は、基本的にパネル1枚に収められていた。内容に関連する図表や実際の発明品、受賞者へのインタビュー映像なども展示されていたが、研究・発明の主要部分の説明は、やはりパネル1枚となっていた。そのため、「ふーん」で終わってしまう展示も少なくなかったが、もちろん印象に残ったものもあった。折角なので、幾つか紹介してみよう。

▶バッタに映画「スターウォーズ」を見せると興奮することを突き止めた研究——「なんでそんなことをしようと思ったんだ!?」とツッコみたくなる研究だが、どうやら、バッタが持つ「自分に高速で接近してくる物体を察知して避ける性質」について、さらに詳しく調べるための実験だったらしい。驚いたことに、この実験で得られた接触回避のメカニズムに関する知見は、その後ロボット工学に応用されたという。意外にも実用的な話だったのだ。

▶猫は固体でも液体でもあり得るかに関する研究——猫という生き物は、洗面台やタンスの中のような窮屈そうなところに、上手く体を合わせて収まってしまうことがある。周囲の環境に合わせて形状を自在に変えられるものを「液体」と呼ぶのなら、猫は液体だと言えるのではないか。以上の問いの正否を、流動学の理論を用いて検討しているのが、この研究である。ネット上で「猫は液体」というフレーズをしばしば見かけるが、これがきっかけだったのかと凄く納得した。ちなみに、猫が液体といえるかどうか、結論はまだ出ていないらしい。

▶パンダのフンを用いると、家庭の生ゴミの90%が分解されるという研究——パンダのフンにはバクテリアがいっぱい棲みついている。このバクテリアによって生ゴミの殆どが分解されるという話である。しかし、本当に驚くのはここからだ。なんと、パンダとシロアリのフンから分離したバクテリアを一定の方法で処理すると、水素自動車の燃料が得られるという。夢のエネルギー源あらわる。パンダ恐るべし。

▶人は何かに集中していると、映像に紛れ込んだゴリラにすら気付かないという研究——詰まるところ、人は集中してみているもの以外のことはかなりの程度見落としているということを明らかにした研究であるが、その過程で行った実験が面白い。白い服の人と黒い服の人がボールをパスし合う映像を流し、白い服の人がボールを何回パスしたかを被験者に数えさせる。その映像の途中、ボールを投げ合っている人の間をゴリラ(の着ぐるみを来た人)が歩いていくのだが、映像を見せた後で確認すると、約半数の被験者がゴリラに気付かなかったという。どこかで見たことのある映像だったが、改めて見ると面白かった。そして何より、資料のチェックがメインの仕事をしている身として、この実験の結果はよく頭に叩き込んでおかなければならないと思った。

▶バナナの皮を踏むとなぜ滑るのかに関する研究——マンガやコントの定番ネタ、バナナの皮で滑って転ぶ。どうやらこれは本当に起きることらしい。バナナの皮そのものが地面を滑らかに進むことはないが、人間が踏むなどして皮の内側が潰れると、粘液が出て地面との摩擦が減るそうだ。興味深いのは、この研究が人工関節の研究と結び付いているということ。なんでもヒトの関節の動きにも粘液が関わっているらしい。我々の体は、意外なところでバナナとの共通点を持っていたのである。

▶スパゲッティを折り曲げると3つ以上の破片に分解することを明らかにした研究——スパゲッティを茹でる時に、長いパスタを折ることがある。2つに折っているつもりなのだが、どうやら3つ以上に分解しているらしい。会場に実験用のパスタがあったので、試しに1本折ってみると、確かに、2つに折ったパスタの片方から短い破片が飛び散った。その理由は物理学的に説明できるもののようで、ここで得られた知見は橋の設計などに活かされているという。細長い物体に働く力のメカニズムが共通していることは容易に納得できたが、言われるまでわからないものである。

 いつの間にか6つも紹介してしまった。とりあえず、詳しく紹介するのはこの辺りで止めておこう。ここまで読んでみて、「意外と実用的なものも多いじゃないか」と思われた方が少なからずいるのではないかと思う。僕が今回一番感じたのも、まさにそれだった。

 今まで、イグ・ノーベル賞と言えば、「何でそんなことやってるんだ?」と言いたくなるようなヘンテコな研究を大真面目にやった人に贈られる賞というイメージだった。猫は固体でも液体でもあり得るかの研究のように、確かにこのイメージにマッチするものもあるにはある。しかし、受賞している研究の多くは、実際の生活に何らかの形で還元されそうなものだった。

 そもそもイグ・ノーベル賞は、「人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究」に対して贈られるものなのだという。ただ面白いだけではなく、僕らのものの見方を広げたり、価値観を揺さぶったりするだけのインパクトのあるもの、そして、実際に僕らのあり方を変えうるものであるということが、賞を獲る上では重要なのだ。そのことに気付いただけでも、この展覧会に行った意味はあると思う。

 ちなみに、研究でもなんでもないものが、「考えさせるだけの内容を持っていた」という理由でイグ・ノーベル賞を受賞することもあるようだ。今回の展示の内容でいうと、100兆ジンバブエドルがそうである。100兆ジンバブエドルがイグ・ノーベル賞を受賞していること自体衝撃的だったが、その理由はもっと衝撃的だった。「幅広い数字の簡単で毎日できるトレーニング法を、ジンバブエ国民に与えたことに対して」とんでもないブラック・ジョークである。

 ブラック・ユーモア系の受賞でもう1つ印象的だったのは、日本の「たまごっち」である。たまごっちの受賞理由は「数百万人分の労働時間を仮想ペットの育成時間に費やさせたことに対して」だった。今だったらスマホかSNSが受賞しそうな理由である。ともあれ、この辺りになってくると、受賞して嬉しいのかどうかよくわからない。もっとも重要なのは嬉しいかどうかより、考えさせたかどうかなのだろう。

     ◇

 歴代受賞内容を紹介する展示が終わり、最後の一画に着くと、イグ・ノーベル賞の授賞式の雰囲気を伝えるダイジェスト映像が流れていた。スクリーンの前に赤いカーペットが敷かれ、白い丸椅子が並んでいたので、数時間ぶりに腰を下ろし、暫く映像を見ていた。

 自分の研究内容をコント仕立てで紹介しようとする受賞者。そのコントの一部を「倫理的に規制する」という旗を持って止めに入るだけの係の人。ステージに向かって投げられる紙飛行機。その紙飛行機の的になる高名な科学者。映像には色んなおかしなものが映っていた。

 中でも一番面白かったのは「スウィーティー・プー」の映像だった。スウィーティー・プーというのは、受賞者のスピーチが規定時間を超えた場合に「もう止めて。飽きちゃった」という言葉を繰り返す小さな女の子である。スピーチの時間が長くなるのを防ぐために、途中で増やした役目だ。

 スクリーンでは、スウィーティー・プーがお披露目された時の映像が流れていた。彼女が「もう止めて。飽きちゃった」と言うと、映っていない場所で出席者がどっと笑う声が聞こえた。スクリーン越しに見ているこちらまでつられるほどの笑い声だった。しかし、本当に面白かったのはそこからである。スウィーティー・プーを紹介したプレゼンターが「サンキュー」と言っても、プレゼンターが演台に残っている限り、彼女はずっと「もう止めて。飽きちゃった」と繰り返したのである。その様子がいっそう出席者の笑いを誘っていた。つくづく、見ているだけで笑いの止まらなくなる映像だった。

 それを見ているうちに、「一流の人たちが全力で笑いを取っているの、いいなあ」という気持ちがしみじみと湧いてきた。笑いには人を惹き付ける力がある。難しいものよりずっと親しみやすいし、頭にも残りやすい。その笑いを保ちながら、なおかつ真剣に研究に邁進している人たちがいるというのは、素敵なことだなと思った。同時に、イグ・ノーベル賞にはとても及ばないにしても、僕もまたユーモアは大切にしたいなと思った。

     ◇

 結局、閉場時間ギリギリになって会場を後にした。ガラス越しに見える心斎橋の街はすっかり暗くなっていた。立っている時間が長くて足腰が疲れてしまったので、僕は家路を急いだ。

(第98回 11月14日)

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