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彩ふ読書会参加録~6/17大阪会場・第1部~

◆はじめに

 6月17日(土)の朝、大阪で開催された彩ふ読書会に参加した。

 彩ふ(いろう)読書会は、「本が好きな方の居場所づくり」を目指して、2017年に始まった読書会である。2020年2月以降、コロナ禍で長らく休止していたが、2022年5月に活動を再開し、現在は大阪・東京・京都の3会場で定期的に開催されている。

 僕は2018年7月に初めて参加し、活動休止までは常連として足繁く通っていたが、再開後は都合がつかず参加できていなかった。だが、当時の常連とは今もつながりがある。今回の読書会も、当時からの知り合いであり、今も哲学カフェで毎回お世話になっているちくわさんから、「ひじきさん、6月17日ありますよ」と教えてもらい、急いで申し込んだのである。ちなみに、ちくわさんは同じ日の夕方に行われた第3部に顔を出したそうだが、僕が申し込もうとした時には第3部は既に定員に達していたので、朝に行われた第1部の方に参加することになった。

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 当日、遅刻気味だった僕は、既に気温の上がった大阪の街を、会場へと急ぎ足で向かった。

 かつての彩ふ読書会大阪会場は、梅田のやや南、桜橋交差点の近くにあるレトロなカフェの貸会議室であった。現在の大阪会場は、北浜と天満橋のちょうど真ん中、天神橋を北から南へ渡ってすぐの雑居ビルの中にあるレンタルスペースである。かつての会場は地下であったが、現在の会場は地上3階である。エレベーターを上って読書会へ向かうというのは、考えてみれば新鮮なことであった。

 会場に着いて驚いたことが2つあった。ひとつは、テーブルが1つだったことである。僕が通っていた頃の彩ふ読書会は3テーブルくらいに分かれているのが当たり前だったから、「おや?」と思った。会場もその分小さく、部屋全体の7割くらいをドンと占めているテーブルには、かつて味わったことのない存在感があった。その存在感を正面から受けると、背筋の伸びる心地がした。

 もうひとつは、受付が会場の入口ではなく、部屋の一番奥まったところにあったことである。部屋のつくりからいって仕方のないことではあったが、当たり前にあった玄関をすっ飛ばし、いきなりドシドシ中へ踏み入らねばならなかったので、早足で上がった息がますます上がりそうだった。僕はすっかり気持ちの整え方がわからなくなってしまい、何度も顔を合わしている読書会代表・のーさんに、「初めまして」と見当違いの挨拶をしてしまった。

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 気を取り直して、読書会本編の話を始めよう。

 当日の読書会は3部構成であった。第1部は午前開催で、参加者がそれぞれ本を持ち寄って紹介する推し本披露会形式。第2部は昼過ぎ開催で、『星の王子様』を課題本とする課題本読書会形式。第3部は夕方開催で、こちらも推し本披露会形式である。既に述べた通り、僕は第1部の推し本披露会に参加した。

 第1部の参加者は7名で、男性4名・女性3名という構成だった。勝手な印象ではあるが、下は20代から上は5、60代までと、年齢層も幅広そうだった。

 読書会は参加者の自己紹介から始まり、その後、持ってきた本を1人1冊ずつ紹介していった。当初は1時間余りで終了の予定だったが、思いの込められた紹介が続いた結果、気が付いた時には2時間が経過していた。この時間に囚われない感じも、僕にとっては新鮮だった。

 それでは、紹介された本を順番に見ていくことにしよう。

◆1.『いちばんやさしいWordPressの教本』(石川栄和ほか)

 彩ふ読書会の代表・のーさんからの推し本。彩ふ読書会のホームページを作る時に参考にした手引書で、のーさん曰く、「秘蔵中の秘蔵本」とのことである。

 タイトルの通り、WordPressを初めて使う人向けに書かれた本で、基本的な仕組みからサイトのデザインの仕方、SEO対策に至るまでが、全て1冊にまとめられている。図解が多く、未知のことを前にすると挫けがちな人にもやさしい作りになっているのもポイントだ。実際、のーさん曰く「他にも2、3冊教本を買ったけれど、ちゃんと読んだのはこの1冊だけで、分厚い本は一度も開けずに置いてしまった」らしい。

 ちなみに、当日会場に持ち寄られたのは第3版であったが、現在は第6版まで出ているらしい。同じタイトルでそれだけ版を重ねているというのは、人気が高く、内容もしっかりしていることの証だろう。まさに「秘蔵中の秘蔵」に相応しい充実した本なのだなと、話を聞きながら思った。

◆2.『聖なる怠け者の冒険』(森見登美彦)

 ワタクシ・ひじきの推し本である。自己紹介で「好きな作家は森見登美彦さんです」と言うことに決めていたのと、夏が近いこととを考え合わせ、祇園祭の宵山の日を舞台にした同氏の小説を用意した。

 この作品は群像劇であり、宵山の1日における様々な人物の動きを順に追いながら展開していく。問題は、常識的な振舞いをする人物が一人としていないことである。旧制高校のマントに狸のお面という不審者的ないでたちながら、八面六臂の善行を繰り返す正義の怪人。一向に事件の調べ物をしない怠け者の探偵。道に迷うことを特技とする探偵助手。スキンヘッドにサングラスという風貌で神父のような口調で語る研究所長。充実した週末のために分刻みのスケジュールをこなし浮かれるカップル。そして、物語の途中で眠ってしまい、100ページほど帰って来ない主人公。

 そんなまともじゃない連中のハチャメチャな群像劇が描かれる本作だが、ただそれぞれの人物の物語がどうつながるのかを追う楽しみに加え、真に充実した素晴らしい1日を迎えたのは誰かを考える楽しみがあるのがポイントだ。彼らの中には、わかりやすい充実を追っている者もいれば、そんなものは御免だという者もいる。働き者もいれば、怠け者もいる。その中で、本当に素晴らしい1日を送るのは誰なのか。手に取る人がいれば、是非考えながら読んでみて欲しい。

 主人公が途中で寝てしまうくらいの話なので、中盤まで物語的な盛り上がりはない。ただ、終盤はかなり壮大なファンタジーになるので、僕は一気に惹き込まれた。動きの少ない物語に退屈してしまう人には、正直オススメし辛いが、それくらい耐え忍べるという人には、一度挑戦して欲しい作品である。

◆3.『スキマワラシ』(恩田陸)

 小説やエッセイを中心に読んでいるという女性からの推し本。古道具屋を営む兄と、その弟が主人公になっている、ファンタジー✕ミステリーというテイストの小説である。

 兄の太郎は記憶力が良く、出来事を映像で覚えていることができる。一方弟の散多(さんた)は、記憶力は悪いが、モノに触れることでモノの持つ記憶を見ることができるという特殊な能力を持っている。この2人が力を合わせることで、様々な謎を解いていくのである。

 偶然拾ったものから見えてしまった殺人事件、工事関係者の間で繰り返し目撃されている白いワンピース姿の少女、既に亡くなっている2人の両親のこと、そして、太郎と散多というちぐはくな名前の謎——ただし、最終的に全ての謎が解けるわけではなく、謎のまま残ってしまうものもあるようだ。

 もっとも、紹介した方にとって印象的だったのは、作中で描かれるモノだったようだ。散多が触れるものには、年季の入った喫茶店のレンガのタイルといった、古めかしいものもある。そうしたレトロなものに出会う度、懐かしい気持ちになれたそうだ。作中で出てくるモノに心惹かれて本を推すというのは、今まであまり聞いたことのない話で、興味深かった。

 ちなみに、タイトルの「スキマワラシ」というのは、作中に出てくる言葉で、人々の記憶のスキマにいる、“いた気がするけど思い出せない人”“いたようで実はいなかった人”を意味している。読書会では、「確かにそういう人いるよね」ということでも話が盛り上がった。もっとも、“そういう人”のことを具体的に説明できた人はいなかった。具体的でないからこそ、「スキマワラシ」なのかもしれない。

◆4.『サロメ』(原田マハ)

 「最近は読書会のために本を読んでいる」という女性からの推し本。オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』の挿絵を描いた画家・ビアズリーと、その姉・メイベルを中心に展開するアート・ミステリーである。

 本作の題名にもなっている「サロメ」は、新約聖書の時代に実在した王族の娘である。父親に祝宴の席での踊りを褒められ、「欲しいものを何でもやろう」と言われた時に、母親に唆されて「洗礼者ヨハネの首」を求めたことで知られる。洗礼者ヨハネはイエスの洗礼を行った人物であり、そのヨハネの首を求めたサロメは、古くから悪女として描かれてきた。かつては子どもとして描かれていたが、時代が下るにつれて妖しい魅力を纏った女性へと人物像が変容したらしい。

 本作『サロメ』のポイントは、いま説明した故事と、作中で描かれる芸術家たちの物語が、どのように関係するのかという点にある。ビアズリーの姉メイベルは、元々は弟思いの姉だった。しかし、ワイルドやその知り合いたちと交流するうちに、弟を世に送り出すために奸計をめぐらすようになる。つまり、メイベルもまた、周囲に唆され不道徳な悪女へと変じていくのだ。紹介した方は、メイベルの変容に、ゾッとするほど心を持っていかれたそうである。

 原田マハさんのアート・ミステリーといえば、現代パートと過去パートを往還する構成が特徴的だが、『サロメ』も例に漏れず、現代のアート研究者がビアズリーの手による未発表の挿絵を見つけるところから物語は始まる。だが、サロメが手に持つ皿に載っていたのは、ヨハネではなく別人の首であった。それはいったい誰なのか、というのが、この作品を貫く大きな謎だ。この謎の答えは読書会では明かされなかったので、本作を読んで確かめるしかなさそうだ。

◆5.『現代文解釈の基礎』(遠藤嘉喜ほか)

 小さい頃からミステリーを読み耽ってきたという女性からの推し本。ただし、この本はミステリーではなく、タイトル通り現代文のテキストを読み解く本である。なんでもこの方、推し本候補を数冊持参しており、前の人の話を聞いているうちに、当初予定していたミステリーではなく、こちらの本を紹介することにしたらしい。

 タイトルだけ見ると、受験対策用の(正直言って退屈な)本に思えるが、実際には、国語の教科書で取り上げられている小説や評論を深く読み込んでいくという内容になっている。テストで点を取るためではなく、テキストをより良く理解するために、時代背景などを踏まえながら、文章の意図を解き明かしていくもののようだ。読んでいると、昔読んだ作品を全く違った角度から見られるようになったり、まだ出会っていなかった文章や作品と出会うことができたり、言葉の表現の豊かさや巧みさを知ることができたりと、嬉しいことが沢山あるという。

 もっとも、紹介した方が一番強調していたのは、この本には生きることを肯定する作品が集まっているということだった。この方がこの本に出会ったのは、仕事に疲れていた頃のこと。きっかけはSNSの本紹介だった。元々前途ある学生向けに書かれたものだけに、収められた文章はどれも、生きるということを掬い上げようとするやさしさを帯びているらしい。そんなテキストを読み込んだ経験は、心の中における生きる基礎にさえなっていると、紹介した方は話していた。

 その熱の入った紹介は他の参加者の心を強く打ったようで、「この本読みたくなりました」という声があちこちから漏れていた。かくいう僕も、話の内容に心動かされた一人である。

◆6.『七人の犯罪者』(星新一)

 最近彩ふ読書会の大阪会場に足繁く通っているという男性からの推し本。ショートショートの名手として知られる星新一さんの、少し長めの作品を集めた、児童向けの文芸書である。

 星新一さんの作品は、文庫本にして3~4ページという長さのものが中心で、その多くはブラックユーモアに彩られたSF作品である。SFという凝った設定を持つ作品を、実に短い文章に仕上げ、その中でオチまでつけられるというところに、星新一さんの天才たる所以があるのだが、やはりどうしても作品の細かい設定は省略せざるを得ない。その点、この本に収められた作品はどれも10ページくらいの長さがあるので、設定も細かく、読み応えがあるらしい。

 読書会の中では2つの作品が紹介された。1つは表題作「七人の犯罪者」である。主人公は犯罪者で、情状酌量を得るために、仮釈放中に犯罪者の検挙に貢献しようとする。必要な検挙者は7人。しかし、仮釈放終了間際になっても、捕まえられた犯罪者は3人しかいなかった。あと4人どうやって捕まえるかというところで、彼は一計を案じる——この作品は、日本で情状酌量が始まって間もない頃に書かれたものだという。新しい物事がどのような未来を生み出すかに対する、想像力の豊かさが味わえる作品のようだ。

 もう1つは「おかばさん」という話である。物語の舞台は、政治にAIが導入され、人々がAIに言われるがままに行動している日本である。AIが「カバを崇めよ」と指示したため、日本ではカバが徹底的に崇められるようになる。そんな中、世界的な感染症の流行でカバ以外の動物が死滅し、日本だけが食糧難を乗り越える。ここで終わればハッピーエンドだが、どうやら話には続きがあるようで——この話は参加者の興味を惹いたらしく、読書会後にこの本を手に取って「おかばさん」を読もうとする人が何人か現れた。

◆7.『GIVE&TAKE』(アダム・グラント)

 朝ラッシュより早い電車に乗って静かに本を読むのが日課という男性からの推し本。アメリカで大きな議論を巻き起こしたというビジネス本である。

 この本では、世の中の人々が、ギバー・テイカー・マッチャーの3者に分けて論じられている。①ギバーは、他人に惜しみなくものを与える人、②テイカーは、利己的で他人の時間や利益を平然と奪う人、③マッチャーは、与えることと受けることのバランスを考える人である。

 一見するとギバーが最も良い人のようであるが、この本によると、ギバーには得する人と損する人がいるという。他人の喜びを自分のことのように喜びものを与えられる人は得をするが、自分に犠牲を強いてまで他人に尽くす人や、人に尽くしても報われないということを気にしてばかりいるような人は、マッチャーやテイカーよりも悪いそうだ。紹介した人は、ギバーにも得する人と損する人がいるということに衝撃を受けたと話していた。

 本の後半では、ギバー・テイカー・マッチャーの具体例に関する記述が続くという。例が長く、話の本筋を見失いそうになることすらあるので、読み辛さを覚えるが、印象に残る話も幾つか出てくるとのことだった。

 話を聞いていると、得するギバーを目指せと書いている本のように聞こえるが、どうやらそうではないらしい。他の参加者が語ったところによると、この本を扱った要約サイトや解説動画の内容も、発信者によって大きく異なっているという。要は、自分で読んで考えよ、ということなのだろう。

◆おわりに

 以上、6月17日(土)に参加した大阪・彩ふ読書会の第1部で紹介された本を振り返ってきました。小説やビジネス書はもちろん、WordPressの教本や現代文の深掘り本なども登場し、改めて世の中にある本の幅広さを知る機会となりました。また、参加された方々の「この本を紹介したい!」という思いをひしひしと感じる場でもありました。

 冒頭で長々と書いたように、昔と変わった部分も少なからぬ彩ふ読書会ですが、多彩な人や本が集まり、互いに推しを語り合う風景は変わっていないのかなと、これを書きながら思いました。残念ながら7月の読書会は既に満席とのことですが、機会があればまた顔を出しに行こうと思います。その時にはまた、相変わらずまとまりのないレポートを書き散らす阿呆を宜しくお願いしますと、この場を借りて言っておきましょう。

 それでは、今回はこれにて。

(第173回 6月22日)


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