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島を、世界を、西へ東へ。 『オリンポスの陰翳――江ノ島東浦物語――』を読んで

日本の神奈川県、茅ヶ崎と鎌倉に挟まれた藤沢市の海べりに江ノ島という島があります。その島について、全ての人を納得させる文章を書くのは非常に難しいものです。その難度は、クラシック音楽の代表者や、ジャズ音楽の代表者を一人に絞るようなものです。その難度は、公園の子供たちの意思決定を一つに絞るようなものです。すべり台を逆方向から上りたがる子どもたちを説得するのはとても難しく、トライしてみれば分かります。もしも、江ノ島を複数人で訪れる機会があれば、こんな風な意思決定の難しさを知る事になるでしょう。

「さて一体、島のどこへ行こうか?」

まあ、とてもカジュアルに話せば、文化部・運動部・帰宅部でさえもなんとなく何かができる予感のある島、それが今現在の江ノ島だと言えるかもしれません。音楽や映画や地質学・釣りやセーリングやサーフィン・ただの散策、などなど。こうして羅列してみても、「国道134号線が入ってない!」「江ノ電や湘南モノレールが入ってない!」「水族館が入ってない!」と気づきます。全ての人を納得させる文章。1964年オリンピック当時の喧騒を思い浮かべるだけでも、「納得」なんて言葉は、本当は独りよがりの引き出しの底にしまっておきたいくらいですが、私はこの本を読んで、一部分の納得を得ることができました。江ノ島の東浦の。

そのようにして一つの島であっても、同じ血脈に生まれても血液型の異なるように、もしくは血液型の同じでも性格の柔と剛があり得るように、大抵の場合、虹の分け目のように個性は分割されてゆきます。ダメージの蓄積の末に奪われた完全性を、人は進化や性格と名付けます。列島も小島も、大抵はそうした海蝕を免れません。
江ノ島でそのような個性の分割を表すならば、江ノ島にはまずもって海の神社があります。初代広重「東海道五拾三次之内 藤沢」という浮世絵を見ますと、大山詣とも歴史的に繋がりを持つことが分かります。こちらは山の神社です。
それから、オリンピック競技が行われたスポーツとしての歴史も忘れてはなりません。島の頂上には植物園と現代的な展望台が広がり、島の奥底には洞窟が佇み、島は題材として江戸の歌舞伎にも関わり(例えば「弁天小僧菊之助」)、「陽だまりの彼女」のような恋愛映画があり、漫画やアニメ(例えば「青春ブタ野郎シリーズ」)ももちろん、江ノ島生まれの実在の藤沢市議会議員(例えば「松長ゆみえ」氏)さえいます。その議員の名刺のイラストにはもちろん藤沢市の象徴らしく江ノ島が描かれ、そしてその海にはヨットが浮かんでいます。漂い続けるだけならば、ヨットに港は必要ありません。
しかしヨットには港が必要で、今現在、江ノ島の東にある、コンクリートで埋められたヨットハーバーがそれなのです。人工の母性のようなその存在を、筆者は上手く表現しています。全共闘運動やベトナム戦争が物語に絡むのは、筆者が自然物と人工物の対立に鋭敏な証拠かもしれません。その姿は炭鉱にひそむカナリアのようです。

ただ、竹島や北方四島の問題のようには、江ノ島の領土問題は、それほど取り沙汰されたことがないと二十代の私は感じます。もともと恵まれた立地のせいなのか、首都圏のためのリゾート地としての宿命の血脈が、江ノ島にはあるように感じてしまいます。
しかしだからこそ、これだけ江ノ島に対する文化の多様性が虹のように光るのではないでしょうか。コンクリートで産まれる喜びもあり、自然の磯で産まれる喜びもありえるのではないでしょうか。
虹という天候現象は全く気まぐれな光で、時に毒酒のように不吉な酔いをもたらすように思われます。そのような不吉な酔いは、リゾート地には不要です。不運にもリゾート地に薄汚い小舟しか用意が無かったら困ります。リゾート地には潤沢な資本と完璧な安全が日々に不可欠なのです。
江ノ島は、本当にリゾート地なのでしょうか?日本の神奈川県、茅ヶ崎と鎌倉に挟まれた藤沢市の海べりにある江ノ島という島。この島に【世界の】という言葉を付けてみるとどうなるでしょう?【ベトナムから見た】では?【米軍から見た】では?島に思い入れのある私にとっては、おおきな虹の橋が江ノ島に架かっていてほしいと思うばかりです。
この物語は勇敢にも、その薄汚い、見向きもされないと思われそうな江ノ島の小さな血脈を照らしにかかっていると感じました。島の虹の一色を加えに取りかかっています。厳しい仕事です。筆者は鎌倉市在住とのことです。

この本を読み終えた方々は陰翳のしたたかな戦いの末、きっと海原の上、2021年の進化した島風に乗れることでしょう。

『オリンポスの陰翳――江ノ島東浦物語――』ご紹介  リンク↓

https://kamaeno.com/2020/07/26/olympus-syokai/


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