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神様の家系図と日本人の家系図  その1  アダムよりも古いのはなぜか  その2  「天地未だ分かれずの神」 土方水月


 日本には神様がいる。

 最初の神は「無」の神。帝皇日嗣0代の神。

 「ミオヤモトスモトフミクライヌシノミコト」

 「皇祖元主元無極主大御神」

 古事記などには隠されている。

 この神が宇宙のもとを創った。


 その帝皇日嗣0代の神は「年暦無数」であった。それは数えきれないほど長く続いたのである。なぜなら時間もまだない時代であった。

 そのあとに「意識の神」「音の神」「温度の神」「重力の神」「光の神」「時間の神」などが次々に現れた。

 「時間の神」が現れたことにより、そこに時間が生まれた。

 その時は今から約200億年前であった。


 これらは何を意味するのか?


 つまり、今よく知られている「聖書」の記述よりもはるかに古い時代のことを語っているのである。 

 人類の起源はアフリカであったといわれる。古くても数百万年前のことである。ではなぜ200億年以上前のことがわかるのか?


 計算した者がいたのである。帝皇日嗣はその者によって作られたのである。現代科学は最近になってやっと帝皇日嗣に追いついてきたのである。すでに古代インドや古代メソポタミアには現代よりも高度な科学があったともいわれる。それは数千年前のこと。神の歴史に比べればかなり新しいが、帝皇日嗣はそれを引き継いでいるとも考えられる。


 なぜそんなことが帝皇日嗣に書かれているのか?それは12000年前の大津波が原因といわれる。最も最近の氷期が終わったのがその頃であった。その氷期が終わるまでの海の水位は今よりもかなり低かったといわれる。氷期が終わり、陸地は減少し、新たな土地を探していかなければならない時代が始まった。

 アフリカで生まれた人類は数万年前には日本にまでやって来てはいたが、まだ文明はなかった。その後6000年以上前に文明といわれるものが中東やアフリカなどで生まれた。それは大河のほとりであった。大河はアジアにもあった。黄河と揚子江である。黄河文明は約4000年前といわれていてアジアで最も古いといわれているが、実は揚子江文明の方が古く6000年前に生まれていたともいわれる。

 そしてそれらの文明の興亡の歴史により、東へ東へと流れて来た者たちがいた。人類は数万年かかって日本まで到達したが、文明はすぐに到達した。そのころはもう船によって人類は移動していたからである。

 そしてその文明は日本にやって来ていた。それはまだ黄河文明のなかった5000年以上前であった。なぜそんなことが分かるのかといえば、青森県の三内丸山遺跡にある栗の大木でできた建造物を造った人たちがそこにいたのは5000年前のことである。徒歩では数万年かかった道のりも、船では数年あればアフリカから日本まで移動することができる。それは古代の出雲大社の構造とエジプトのギザのクフ王のピラミッドの内部構造が同じであることからもうかがえる。


 帝皇日嗣には、12000年前頃に日本列島がユーラシア大陸から海で切り離され、当時日本列島にいた人たちが世界中に散らばっていったとあるという。その話が本当かどうかは別にして、文明は船で運ばれる。鉄砲やキリスト教の伝来も船でもたらされた。

 
 いずれにしても、エジプトのナイル川や中東のチグリス川ユーフラテス川やインドのインダス川や揚子江などから南回りの船による文明がやって来ていて不思議はない。そしてそれは陸路よりもずっと早くたどり着いたのであった。 

 12000年前の津波の伝承は世界中に残されている。そして神の名前は異なるがその内容は同じであった。


 つづく

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