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北国の空の下 ー週末利用、自転車で北海道一周【13】4日目② 稚内〜北見枝幸 2015年8月1日

真夏の宗谷を走る「週末北海道一周」4日目。
ここまでノンビリしすぎ、時間は既に10時半を回っています。北国の夏は日没が遅いし、天気も心配なさそうですが、本日の目的地である枝幸までは、あと90キロ走らねばなりません。
岬の集落を駆け抜け、方角を南東に転じます。日本海、宗谷海峡と走ってきて、オホーツク海沿岸に到達しました。

静かな海岸線を南下

波打ち際の気持ち良い道を南へ快走。宗谷岬の先、交通量は一気に少なくなりました。

オホーツクの海へ

人家も車も少ないので、ハンドルに括り付けてあるiPhoneで音楽でも聴きながら走ろうかと思います。もちろんイヤフォンで耳をふさいではいけないので、スピーカーを鳴らすわけです。
この海沿いの道によく合う曲、としばらく考え、ポール=ウィンターの懐かしい名盤「サン・シンガー」を選択しました。
やがて、伸びのあるソプラノサックスの音色が流れました。波音が重なり、素晴らしく伸びやかで、気持ちが高揚してきます。

ところが間もなく、道は波打ち際を離れて海岸段丘を一つ越え、そして内陸に入ってしまいました。オホーツク海岸の地図をマクロ的に眺めると、宗谷岬とサロマ湖の間はのっぺりした印象しか受けないのですが、よく見れば確かにこのあたりは険しい海岸がコブ状に突き出しています。
お気に入りの曲「ドルフィン・モーニング」は上り坂で息を切らしながら、「ウィンターズ・ドリーム」は特に変哲も無い混交林の中を走りながら、聞くことになってしまいました。

東浦という漁村で道は再び海岸線に出て、右に丘陵、左にオホーツク海を眺めながら淡々と走ります。
オホーツク海は遠浅が多く、日本海岸から来ると海の色の明るさを感じると聞いたことがあるが、正直、ここまでの印象ではよく判別できません。

宗谷地方東部にはかつて、国鉄天北線が走っており、私も昔乗ったことがあります。しかし天北線は、稚内〜鬼志別間は内陸部に敷設されていたので、今私が走っているあたりは、当時も鉄道の恩恵を受けていなかった地域です。
そのためか、稚内を出てからというもの、町らしい町がないままに、本日の走行距離は50キロを超えました。そろそろケツが痛くなり、一休みしたくなる頃合いですが、似たような風景が延々と続き、一休みしたいようなポイントが現れません。

恐らくは人口減少に歯止めがかからない地域でしょう。歩いている人を全く見かけません。
それでいて、朽ち果てた廃屋ばかりが目立つわけでもありません。むしろリフォームされた綺麗な家が多いのが不思議です。北海道人は古いものに未練を残さず、建物もさっさと解体して新築する、という道民性があることを、何かの本で読んだ記憶があります。
知来別という漁村で小休止。ここも色鮮やかな新しい住宅が目立ちます。カモメの鳴き声に混じって、近くの民家から子供達のはしゃぎ声やら赤ん坊の泣き声やらが聞こえてきて、久しぶりで人の気配を感じます。
ただ、通りはカモメの糞だらけであり、ぼやぼやしているといつ頭上から洗礼を受けるかわかりません。

子供の声は聞こえど、姿は見えない知来別

浜鬼志別まで走って大休止にしようと、再び走り始めました

インディギルカ号の海難事故

正午のチャイムとともに浜鬼志別に到着。港には緑色の鉄骨で櫓が組まれ、傍にはクレーンが腕を伸ばしています。このような無機質な人工物にホッとするのも変だが、人跡稀な地域走ってくると、こんな物を見て安心感を覚えてしまいます。

海岸段丘の上にある道の駅で昼食にしようと思っていますが、その前に、道を挟んで反対側にあるモニュメントが気になりました。行ってみると、昭和14年12月にこの沖合で難破した「インディギルカ号」という旧ソ連船の慰霊碑でした。

インディギルカ号慰霊碑

銘板によれば、この船はカムチャツカからウラジオストクへ向かう途中、暴風雪に遭遇し、岩礁に乗り上げ沈没した、とあります。住民が総出で救助に当たったものの、1064人の乗員乗客のうち700人余りが犠牲になったとのこと。国内有数の海難事故だと思います。こんな惨事を今日まで知る機会がなかったのは何故か、と不思議に感じられました。

後日調べてみると、船長が「船内に残っているものはいない」などと事実と異なる報告をし、とり残された乗客が多数犠牲になったとか、ソ連政府は船の所有権を放棄したばかりか、遺体や遺品の返還も無用、という冷淡な通告をしてきたとか、不可解な事の多い事故であったそうです。
その後の研究により、乗客はスターリン体制下で強制労働に従事させられていた人々であったことが明らかになったそう。
外国船の海難事故ということで、ついつい、トルコと日本の絆を深める契機となったエルトゥールル号の遭難と比較してしまいます。

さて、猿払はホタテ養殖で潤う村。
団体客や工事関係者などで大賑わいのレストランで、ホタテのクリーム煮、ホタテの刺身、ホタテの網焼きというホタテ尽くしの定食を食べて、大休止。

ホタテ尽くしの猿払定食

売店の商品もまた、ホタテカレー、ホタテ明太子、生姜とホタテのしぐれ煮と、これでもか、というくらいのホタテ攻めでありました。

絶景と猛暑の猿払原野

暑い1日になりました。
内地に比べれば勿論湿度は低いのですが、バックパックを背負っているので、背中からの放熱が妨げられ、背中はべっとりと汗をかいています。
腕も真っ赤に日焼けして、ひりひりと痛みます。日焼け止めを忘れてきた事が悔やまれました。

浜鬼志別からしばらく南下すると、国道は内陸へ方向を転じます。地図を見ると、その海岸側は、モケウニ沼、エサヌカ原生花園、といった文字の並ぶ沼沢地で、その中を広域農道が一直線に貫いています。迷わずそちらを選びました。

小ぢんまりした住宅地を抜けて、静かな海岸沿いの道に出ました。道はどこまでも一直線。彼方では、殊文岳の尾根がそのまま海に落ち込む神威岬が、城門のように行く手を遮っています。


ここを追い風を受けて快走したらさぞ気持ちいいことでしょうが、宗谷岬からこっち、風は北東から吹き付けており、横風になっています。
時刻はまだ13時半であり、先を急ぐ必要もないので、のんびり踏んでいくことに。
やがて、後方からやって来た横浜ナンバーの車がスピードを緩め、「頑張って!」と声援を送ってくれました。孤独と戦いながら、意地と根性で頑張っているサイクリストに見えたのでしょうか。ともかくも、ありがとう、と手を振り返します。
やがて道は海岸線から若干内陸に入ります。一面に、牧草地と原生花園が広がりました。
広大な風景の中、動いている人工物はというと、一台のトラクターと、時折やって来るバイクのみ。
北から東にかけて、海側には鉱石を溶いたような水色の空。上空に向かって深くクリアな青に変わっていきます。内陸は雲多く、積乱雲が幾つかのタワーを形成しています。

牧草の収穫真っ盛り
原野とColnago Primavera

所々でペダルを止め、写真を撮りました。360度ぐるりと見渡し、全身に真夏の陽光を感じ、生きているなあ、と実感。自転車旅における至福の時です。
ただこの辺りはアブが多く、スピードを緩めて景色を満喫しながら走っているとたちまち食いついてきて、その後数日間、猛烈な痒みに悩まされました。

ベニヤ原生花園

まもなく、国道に再び合流しました。
別天地から俗世界に戻ったような、とは言え人工物が増えただけで人の気配は相変わらず希薄な道を少し走ると、ベニヤ原生花園への道標が現れます。
片道1キロほどの寄り道なので、見学していくことにしました。

ログハウス風の管理棟が一軒建っている駐車場の脇から、園内の遊歩道に入っていくのですが、案内板を見るとヒグマが出没しているとかで、遊歩道の相当部分が立入禁止になっています。こんな海岸までヒグマが降りてきているのか、と少々驚かされました。

今朝出発する時に、サイクルシューズの底が剥がれかかっているのに気付いていました。今ではもう、前半分がほぼ完全に剥がれてしまい、ビンディングで辛うじてくっついている状態。ライドには差し支えないものの、歩くには些か不自由。幸い今回は、バックパックにエスパドリーユを入れてきたので、履き替えて原生花園へ分け入ります。

残念ながら、せっかく購入した原野の花々の図鑑を忘れてきてしまいました。後で調べようと写真をたくさん撮ったのだが、結局、それきりになっています。
ただ、開き直る訳ではないけれど、この花の名前は何か、といちいち拘るより、そこにある風景を総体的に捉え、我が身をその中に委ねればそれで良いのでは、とも思います。

北国の空の下、短い夏を彩る可憐な花々…

駐車場へ戻ると、片隅にあるベンチの脇に前後に大きなパニヤバッグを付けたランドナーが停められ、サイクリストが一人、昼寝していました。気持ち良さそうだけど、こんなところで昼寝して、ヒグマに喰われはしないでしょうか。
エスパドリーユからサイクリングシューズに履き替えていると、管理棟から出てきた中年の女性が「そこに、リスの巣穴があるんですよ」と教えてくれた。見ると、丈の短い草叢の中に、直径5センチほどの穴が穿たれていた。
ヒグマの事を尋ねてみると、最近では浜頓別の街中への出没も少なくないのだそう。

女性に尋ねられました。

「今夜はハマトンに泊まるんですか?」

浜頓別、略してハマトン、という響きを何十年ぶりかで耳にして、ふるさとの言葉に触れたような、郷愁にも似た淡く温かな思いが胸をよぎりました。

※ 次回は、35年振りのハマトン再訪。さらに懐かしい岬を巡って、北見枝幸へ向かいます。


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