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治す?治りたい?治りたくない?

どうも、中二病こえて更に幼稚なメンタルでプライドを盾にした結果、ごく一部の方々には詩人ってことになっている筆不精のブログ主です。
 
今回の内容もめちゃくちゃ私事ですがお許しください。突然ですが私、地元専門学校の作業療法士学科に合格しました。とは言っても生活保護レベルの貧困層なので期日までに入学金を払えないとこの先今より無駄に生きることになってしまいます。なので3月は金策シーズンです。皆さんにとって、3月は何シーズンですか?学費金策シーズンの皆さん、お互い頑張りましょうね。
(あ、ちなみに公認心理師は3点差で落ちました)

というわけで、うまく事が運べば私は春から女子学生(40代)になります。それにはとにかく金策金策!死んでる暇なんかないわ!

そう、死んでる暇はない。けれどまあ、ほらたまにあるじゃないですか。育ち盛りのくせに頭悪い高校生が言いそうな感じの。眠い寒いお腹すいた勉強めんどくさい死にたいわーだけで学友とコミュニケーションが成立しちゃう感じのアレ。大人になったら出てこない?いや、うつ病約5年やってるとナチュラルに幻のバカ高校生が出てくるんですよ。もしかしたら、病歴のない疲れた一般人にもあるかも知れませんね、ふとした望みが。

そんなこんなで生きていますが、病気なのか生来の何かなのか分からないレベルで「早く死ななきゃいけない」って強迫観念にかられることがあります。子どもの頃はマフラーで首を締めてどこまで耐えられるかの一人競争〜みたいな遊びで済んでいましたが、大人、というか中高年の域にさしかかって「終活」も視野に入るような状況では、首吊りは遊びじゃない。確実に、でも今はダメだ、まず生前整理をしなければ!という思いを先延ばしにしたままズルズル生きてしまっています。なお時々やってくる希死念慮に縋って自室での首吊りを試してみましたが、あれめちゃくちゃ難しいです。賃貸だから余計に……

賃貸物件で首吊りが難しい理由。私は単身用ワンルームに住んでいますが、まず首吊りによさそうな梁みたいなのがないんですよね。それで玄関の、なんていうんだ?ドアを開閉する際のバネみたいなアレ。ドアクローザーっていうらしいですが、あれは高さが足りなくて未遂にすらならない。次に浴室のドア上部に紐を引っ掛けたらまあまあいい感じ、でもドア上部に突起物がないので紐がズレて落ちる。おかげでこめかみぶつけました。そしてよく聞くドアノブ。あれは高さとかそういうレベルじゃなく、首が絞まっていく自分との戦いなので大体負けます。そう、不可抗力で自力の及ばない手段を考えられたらいいんですけどね……

とかなんとか思いつつ、色々やってたら飽きて希死念慮もどっか行ったんですが、とりあえず先の話に戻ります。作業療法士を目指すよって話。

何でこの年になって作業療法士を目指そうと思ったか。はじめのきっかけはある人に勧められたからですが、色々調べているうちに「人間が回復していく過程」を学術的に知りたいと思ったんです。とはいえ精神疾患当事者が療法士を目指すのは色んな意味で危険では?と、自分でも思っています。でもまあ、将来介護職がきつくなった時の保険になるかな……という邪な思いが個人のエゴ的な動機をうまくコーティングしてくれて、今は作業療法士の勉強をする気満々です。

で、なんとなくつけたタイトルですが。当然作業療法士として現場に入ったことはないので色々と理想論ばかり出るかも知れません。でも当事者としては「この八方塞がりの状況をなんとかしたい」「でもこんな自分が外に出てはいけない」「せめて人の役に立たなければ」「でも自分は存在してるだけで人に危害を加えるだろう」……みたいに不毛な考えがぐるぐるして、結局「明日考えよう!」ってなるんです。でもやっぱり治りたい、というか昔のように仕事も家事も付き合いも執筆もエネルギッシュにやりたい、そんな思いはあります。とはいえそれは過去の栄光。

今は、というか精神疾患に「完治」という概念はない(寛解、と言われますね)ので、もう少し病気の言いなりにならず振り回す、必要時に利用するくらいの気持ちで付き合っていきたいです。


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