まったくnoteが書けなくなりました。
今日はとても私的な話になってしまいます。
この2ヶ月間、まったくnoteが書けなくなってしまいました。
こうやって振り返ると、たった2ヶ月なんだ・・・と感じてしまうくらい、私には長くて、とても苦しい時間が続いていました。
noteに限ったことだけではなくて、まるで私だけ、全ての時間が止まってしまったように、いろいろなことが手につかなくなったのです。
どうして急にこんな風になってしまったのか、自分でも訳が分からず、最初は一過性のものなのかな、と思っていたのですが、まったく気持ちが上がる気配もなく、ただ時間が過ぎていくとともに、焦りが出てきました。
やりたいことはたくさんあったはずなのに、そのどれもが手につかず、気持ちは胸に鉛がつかえたように重く、毎日焦りだけには追い立てられて、ここ数年、経験したことがないくらいの状態でした。
家族にも「もしかしたら私、ウツかもしれない」そう伝えていました。
周りの方の力でなんとか、外に出かけたり、日常のことは何とかやれていたのですが、どうにも胸の鉛が消えてくれない、心拍数はトクトクと異常に早くて、毎日追い立てられる、そんな日々でした。
きっとその間にお会いした方には、そんな風には見えなかったと思います。
私はどちらかというと活動的に見られることが多いですし、普段と変わらないように振る舞ってもいました。
でも、実は自分でもどうしようもないくらい苦しい状態でした。
それがようやく最近、やっと少し理由が分かってきました。
ある友人にこう言われたんです。
「今、蟹座さん大変でしょ?マキちゃん大丈夫?」
私は蟹座です。この友人も占星術を学んでおり、プロとしても活動しています。ちなみにこの友人には、私が落ちていることはいっさい話していませんでした。
慌てて、今のホロスコープを見てみると、蟹座に火星が入っています。
私「実は2ヶ月くらい前からつらくてね、なんでかなって思って、ウツになったんだと思ってたんだよ。なるほど、そういうことだったのね・・・」
いろいろな解釈があるかもしれませんが、火星は戦いの星で、厳しい部分が強いです。そして「切りひらく」という特徴があります。
内側に秘めて、フタをしたつもりでいたものをえぐってくるような、そんな感じなんですね。
私も占星術をやっていますが、いかんせん自分のこととなると、冷静に理由を探る、なんてことは当事者になるとなかなか難しいものです。
でも、そこから私は自分の状態をじっくり見てみるように心がけながら、ゆっくりと過ごしました。
6月11日で、蟹座から火星が抜けました。
抜けたからといってすぐにスッキリというわけにはいきません。
水から上がっても、しばらく体が濡れているように、余韻のようなものを引っ張ります。でも一番の底辺の時よりは、少しだけ楽になってきました。
そして、私がフタをしていたものの正体もゆっくりと見えてきました。
それは、育てのばあちゃんとの死別です。
私のばあちゃんは、2月に肺がんで亡くなったのですが、ホームでもコロナで面会は出来ず、病気が発覚して病院に入院しても、東京と山形を行ったり来たりしている私は面会が出来ず、次にばあちゃんと会えたのは、ご遺体になってからでした。
たいして仲が良かった、というわけではありません。
ばあちゃんからの連絡と言えば「お金を送ってくれ」という連絡しか来ないので、私にとって、ばあちゃんからの連絡は嫌なもの、という印象になっていました。
毎月10万20万の仕送りをする、という生活が4年も続いていたので、私も疲れてしまっていたのかもしれません。
もちろんお葬式は泣きましたが、それほど自分の中で落ち込んでいる、という感覚はありませんでした。年齢も90歳をとうに過ぎていたので、どこかで覚悟もしていました。
それで、私はばあちゃんの死後も、普通に生活を送っていました。
でも今回の落ち込みで、自分の中から浮き出てきたもの、それはどうしようもない喪失感だったのではないかと思います。
私は母親がいませんので、ばあちゃんとは孫以上の関係でした。
お互いに、たくさん心配かけて、迷惑もかけあって、寄り添って生きてきました。
良いも悪いも含めて、最後にコロナで面会できなかったくらいでは、壊れようのない絆で繋がっていたと思います。
お互いに我が道をいくタイプでしたから、べったりとした関係ではなかったのですが、それでも、
自分が人生において深く関わった人が「この世から消える」
という大きな喪失感はあったはずなんです。
私はずっとそれにフタをしていました。
ばあちゃんは我慢強い人でしたが、一方ではわがままで、ずるいところもありました。お嬢様育ちだったので、いくら貧乏になっても気位が高く、ヘルパーさんのことも女中さん扱い。タバコとバイクは19歳から。いくつになっても見た目を気にする人で、気に入らないものは絶対に着ないし、美味しくないものは食べない人でした。とても自由な人でした。
まだ意識があるうちに言った最期の言葉も「うまいものが食べたい」です。
そんなばあちゃんでした。
そんなばあちゃんでしたので、私のような人間でも、生きていられたのかもしれません。
ばあちゃんがホームに入る時からあずかっていた猫のタマ、ずっと元気だったのに、ばあちゃんの死後、急に容態が悪くなり、ばあちゃんの49日の日に亡くなりました。
わがままなばあちゃんがタマを連れて行ったのでしょう。
タマとばあちゃん、やっと一緒にいられるね。
ばあちゃん育ててくれてありがとね。
お互い不器用だったけど、愛されていたし、愛していました。
私にも、自分の中で向き合わなくてはいけないことが、まだまだあります。それはきっと未来を「切り拓く」ために必要なのでしょう。
復活まではまだもう少しかかりそうですが、こうやって久しぶりに文章を書けて、少し楽になれました。
最後まで読んでくださったあなたに感謝いたします。
ありがとうございます。
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