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【再読】『戦略の不条理』【生存可能性を高めるには?】

「もう読んだ本だから」
と思って放置するのは、いけません。
 読み返すものですなぁ。
 初版が2009年10月だから、10年近く前に読んだと思われます。
 その間に、自分自身が勉強し、学習し、成長した・・・・・
と思ったら、バランス感覚が欠けていました。
 『「超」入門 失敗の本質』を読んでいると、旧日本軍の戦略の、誤ちにしか目が向かないのです。
 旧日本軍は、物資が不足していた。したがって、精神論で戦うしかなかった、といわれると、それもそうだ。
 赤字経営の会社が、カネはかけられないから、あの手この手のアイデアで、ピンチを乗り切ろうとしている、ようなものか、と考えてしまう。
 だからといって、戦争を肯定するわけでもなく、旧日本軍の戦略は間違っている。
 しかし、「敗戦したから間違いである」と考えて、思考停止してしまえば、自分が同様の過ちを犯してしまうことになる。
 同様の過ちを犯さないために、環境変化に対応するために、生存可能性を高めるために、どうすればいいか?
 それが、「戦略」なのです。

ポイント
・物理的世界、心理的世界、知性的世界の3つの世界があることを知り、それに働きかける戦略を練ること。
・批判とは、建設的な議論である。
 過ちを排除し、生存可能性を高めること。
・自律的な行動をとること。
 他律的な行動をしていたら、批判的な議論は成立しない。

三次元的世界観

 カール・ライムント・ポパーの多元的世界観、
・物理的世界
・心理的世界
・知性的世界
からなる三次元的世界観にもとづき、本書は「戦略論」を展開しています。

 クラウゼヴィッツの『戦争論』を、乱暴にまとめてしまうと”徹底的に殲滅せよ”ということになる。
 暴力に訴えて、徹底的に叩き潰せば、人間を完全に支配できる、という考えである。
 太平洋戦争のアメリカ軍を分析すると、硫黄島戦や沖縄戦で大量の人員物資を投入して、勝つには勝った―――――しかし、数多くの兵士がPTSDに悩まされている。
 とはいっても、会話や交渉が通じずに、平たい言葉で言えば、「頭を、ガツンとたたかれないと分からない、人間がいる」のも事実なので、一方的な批判もできないことも、残念ながら、人間世界の事実なんだけど。

 それに対して、リデル・ハートの『間接戦略論』は、
・悲惨な結果を残すだけの「勝利」ならば戦争の目的の価値はない。
・「戦後の平和」という構想を欠いた勝つことだけにこだわる戦争指導は、無意味だ。
とし、有利な形での均衡状態に持ち込み、戦争を早期に集結させる、という考えである。
 『孫子』曰く、”上兵は謀を伐つ”―――相手に目標を達成させないようにすることが最高の計略である―――につながる。
 自分が有利な状態になっていればいいわけで、戦争は手段の一つ。
 そして、勝ったところで息も絶え絶え、なんてことにならないようにすることも、重要な戦略なのです。

 さて、経済学の新古典派経済学を乱暴にまとめれば、価格メカニズムのもと、市場は効率的に資源が配分されている、と考えている。
 ということで、独占を禁止、企業間の競争が起きるように規制をかけていたが―――――それが正しかったのか?
 「完全競争状態」とは、個別の企業にとっては、利益が出ないという、最悪の状態になる。
 利益を出すために、コストを削減する、イノベーションを起こす、差別化して独占状態を築く、などなどがあるが、物質的世界にしかアプローチしないのであれば、いずれ限界を迎える。
 
 行動経済学や、取引コスト理論を用いて、人間の行動を分析すると、人間は必ずしも合理的な行動をとっているわけではないことがわかる。
 心理的なバイアスがかかり、知りうる情報にも限界があり、ようするに「限定合理的」な存在なので、非効率な状態で満足してしまうことが多々ある。
 キーボードの「QWERTY配列」が、いくら何でもランダムすぎるので、整理した配列に変えようとしても、今さら変えたくもない。
 僕の話だが、スマホのフリック入力を覚えるのが嫌だったので、スマホも「QWERTY配列」にしている。
 という話をしたら、ポケベル入力のできるアプリを使っている人もいるそうだ。
 何が効率的なのか、人によってずいぶん違うものである。
 ヘッドハンティングされて給料が高くなる、とわかっているんだけど、お世話になった会社を辞めたくはない。
 隣の店の方が安いのは知っているんだけど、行きつけになってるから。
 などなど、人間は完全な情報を得て、合理的な判断を下そうにも、必ずしもそうできない、「限定合理的」な存在なのである。

 なので、物理的世界のアプローチ手法に終始してしまうと、かえって失敗するパターンがある。
 逆に、心理的世界や知性的世界からアプローチしてしまった方が、上手くいく場合もある。
 重要なのは、人間には、物理的世界、心理的世界、知性的世界の3つがあり、その3つの世界に働きかける戦略を考案することなのだ。

批判とは、建設的な議論

「批判をしないで、代案を用意しよう」
と思ってきたのだが、これは「批判」と「非難」を混同していたな、と思い、反省して訂正する。
 批判とは、誤りを発見し、それを排除するように試行錯誤を繰り返す、建設的な議論なのである。
 人間は完全合理的ではなく、限定合理的な存在であること。
 それに、世界は変化する。
 ある時点では「正解」だったとしても、物理的世界、心理的世界、知性的世界が変化して、いつの間にやら「不正解」になってしまうこともある。
 どこまでが正しく、どこまでが誤りなのか、その境界を確定する。
 戦略が、理論的に矛盾していないか、を議論する。
 実行後、経験的に矛盾していないか、を議論する。
 批判的な議論を繰り返し、試行錯誤を重ね、誤りを発見して排除していく。そうやって生存可能性を高め、進化していく。
 それが、限定合理的な人間にできることである。

自律的な行動をとること

 イマヌエル・カントは人間を、
①動物のように刺激反応パターンで行動する他律的存在であり、因果法則に従って機械的な行動である存在
②自由意思に基づいて積極的に行動する自律的な存在でもあり、その結果に責任を負う道徳的な存在
という二元論的人間観をもつ。
 自然界には逆らえない法則があるから、それには従うしかない。
 しかし、他律的な行動しかとれないのなら、動物的な刺激反応と本質的に同じである。
 人間は自らの自由意思に基づいて積極的に行動を打ち立て、それを達成するように行動することができる。
 その行動は、原因が外でなく自分自身、つまり自分の自由意思にあり、それ以外にはないという意味で自由で、自律的な行動だと言う。
 失敗したときに、
「直接上司に命令されたから」
「同僚がみんなやっていたから」
といっていたら、それは他律的な行動でしかない。
 そういった、責任の概念がない人間の組織では、批判的な議論は成立しない。
 そうなっては、誤りを見つけることもできず、世界が変化したことにも気づかず、よって、生存可能性は低くなっていき、滅びる可能性が高くなる。
 生き残るためには、自律的な行動をとるしかないのである。

まとめ

・物理的世界、心理的世界、知性的世界の3つの世界があることを知り、それに働きかける戦略を練ること。
・批判とは、建設的な議論である。
 過ちを排除し、生存可能性を高めること。
・自律的な行動をとること。
 他律的な行動をしていたら、批判的な議論は成立しない。

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