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【読書】『中華料理四千年』

中華料理はダーバーシティ

 中華料理がおいしいのは、世界中の美味しい食材を取り込んできたからだ―――――
―――――と思いこんでいた。
 もちろん、そういう側面は大きい。
 よく考えてみれば、中国は広い。
 現在の中華人民共和国は、EUに匹敵するほど広い。なので、世界中からではなくとも、中国の国内で多様な「食文化」がある。
 中華料理は、単一文化(モノカルチャー)ではなく、多様性の文化(ダイバーシティ)があるのだ。
 大きく分けて、北京料理、上海料理、広東料理、四川料理とあり、それぞれがそれぞれの特徴があり、それが影響し合ったら―――――
―――――それは美味しいものが生まれるはずだ。

 それに加え、食文化は、時代に合わせて変化している。
 譚璐美さんによれば、

食は生きていると、つくづく思う。時代とともに形は変わり、色や味も進化していくのである。

 中国各地で口にする中華料理は、以前と比べて格段に良くなったそうだ。
 味付けは、全体にあっさりした薄味が主流。
 社会の発展。技術の進歩。鮮度を保ち、多種類の食材を供給できるようになる。流通も発展している。
 と、考えたら、「変化した」ではなく、「変化し続けている」のである。
 思い込みは禁物。知識のアップデートは、継続しなければならない。

北京料理

 現在の北京料理は
・さっぱりとした味
・持ち味を生かした作り
・さっくりと軽い歯ざわり
・しっかりとして柔らかい噛み応え
の4つを信条としている。
 脂っこいイメージとは、明らかに異なる。

 ということで、北京ダックのお話。

「中国人はダックの皮も肉も食べますが、日本人は皮だけしか食べませんから」
 そんなことがあるのだろうかと、私は驚いた。

 と、譚さんは、驚いたそうだ。
 そして、実際そうだった。

 アヒルのロースト技術が向上するにつれて、もともと皮しか食べなかったものが、皮以外の部分も食用として研究されるようになり、いくつもの料理が開発された。今ではアヒルの舌。水かき、肝臓、心臓、膀胱など、ほとんどの部位が料理となって食卓に並べられる。

 昔のイメージしかなかった。
 でも、ごめんなさい。ぼくも、水かきは、ちょっと気が引ける。

 話はそれるが、アスパラガスは太いほうがおいしい。
 しかし、太いと火を通すのに時間がかかりそうだ、と悩んでいた。
 そして、「電子レンジで温める」という技を発見して、解決した。
 そんなイメージで、料理技術が向上したのかな、と思うと、いいことなんだけど。 
 ちなみに、最近の北京ダックも、さっぱり味のものが人気を呼んでいるそうだ。
 健康管理やダイエットのために。
 イメージを作り上げて、そのまま、というのはグルメのためには、よろしくない。
 といっても気が引けるものは、あるけれど。

上海料理

 一言で言えば、「ごった煮」である。
 ”もともとの上海料理がたいしたものではなかったからだろう”と言われてしまうとミもフタもない。
 しかし、さまざまな人が混在し、周辺各地の多種多様な料理が流れ込んできた、といわれると、そこでインスピレーションが起きて・・・・・と考えると、楽しそうだ。

 今では、上海の繁華街である南京路へ行けば、北京、広東、四川、揚州、蘇州、杭州、潮州料理から精進料理はもちろんのこと、フランス、イタリア、日本の外国料理まで、ありとあらゆる種類の料理店が軒を連ねて、さまざまな味を堪能することができる。

というから、全種類制覇しようとしたら、相当な時間がかかり、そして、相当なカロリーを摂取することになるだろう。

広東料理

 中華料理は、一般的に、北方料理より、南方料理のほうが、変化に富んでいる。
 孔子の時代の『論語』からだ、と言われると、相当な伝統なのである。
 熱帯育ちのおおらかさから、広く自然界に目を向け、積極的に食材を探す―――――
―――――のはいいのだが、いわゆる「ゲテモノ」は、ぼくは遠慮するけれど。
 現在でも
「広東料理は、飛ぶものは飛行機以外、四つ足は机と椅子以外、すべて食べる」
というそうだが、もともとは南宋の俗諺からきている。
 いずれにせよ、相当な伝統がある。

 ゲテモノの話から外れて、広東人は「死んだ魚は食べない」という。
 広東人のプライドをかけて、新鮮な料理を信条としている。
 これは刺身を食べる日本人も同意だろう。そして、中華料理を刺身として食べるのも、広東だけだそうだ。
 そして、広東では、刺身を粥に入れてかき混ぜ、半生の状態にして食べるそうだ。
 ということで、譚さん自慢の「広東粥」から広東粥エトセトラのお話のくだりを読んでいると―――――美味しそう。
 日本では白米だけを粥にした「白粥」がほとんど。
 ぼくは、めんどくさがり屋なので、炊飯器につっこむだけでできないかなぁ、と探しているんですけれど。
 いくらなんでも、ものぐさ過ぎたか。

 日本ではあまり注目されていない、中華料理の高級食材に、
・干し貝柱(北海道産の大粒のものが最高級品として珍重される)
・どんこ(干ししいたけ)
・フカヒレ
・するめ
があるそうなのだが、「フカヒレ」はまだしも、干ししいたけ? するめ?
 こういう時は、ネットで調べるのが、簡単で便利。
 干ししいたけは、残留農薬量の基準が厳しくなり、中国から日本への輸出量が減ってそうだ。
 また、大分県産の原木栽培のしいたけは、肉厚で風味もよく、無農薬であることから、香港の富裕層に人気があるそうだ。
 こういう時は0を1コ足して販売していただきたいものだ。
 ボッタクリではないですよ。需要と供給のお話ですよ。そして、翻訳しないでね。

四川料理

 四川料理の特色は、唐辛子や胡椒をふんだんに使っていること。
 味付けの特徴は、痺れる、唐辛子の辛さ、塩辛い、酸っぱい、苦い、香ばしい、などなど。
 そのほかにも、サクサクしている、新鮮さ、柔らかい、も重要な要素。
 「煮崩れしていない」という点が大切で、本当の四川料理は、いくら長時間、煮込んだ料理でも、見事に原形を留めているそうだ。
 そして、最大の特徴、

本当の四川料理は、あまりに辛すぎて、他の土地の人にはとても食べられない

 そうなのですが、次は、麻婆豆腐のお話。

麻婆豆腐は辛いのです

 「麻」は、顔にできたアバタの意味。
 「老婆」というのは、「女房、おかみさん、細君」の意味。
 「麻婆豆腐」とは、「アバタ面のおかみさんが作った豆腐料理」である、という復習。
 余談だが、中国語で「婆」「老婆」は若い妻に対しても使う。おばあさんは「老婆婆」と「婆」を二回つける。「娘」は既婚女性や母親になる。

 女心はいくつになっても微妙なものだから、下手に使って相手を怒らせぬよう気をつけよう

というから、語学や異文化との交流は難しい。
 さらに話を脱線させる。ガチガチの社会主義で凝り固まっていた時代のせいかもしれないが、当時の中国で他人をむやみに褒めるのは、その女性を自分のものにしたいと言っているのと同じことだ、と解釈されていたそうだ。
 むやみに、「かわいいね」と言ってはならない―――――異文化との交流は、気をつけなければならない。

 麻婆豆腐に話を戻す。
 譚さんも、本場、四川省の麻婆豆腐は一度しか食べたことがないそうだ。
 口にした瞬間、強烈な衝撃が走った!
 水を飲もうとしたら、四川省の友人に止められた。

今、水を飲んだら、辛さがもっと広まるよ!

 どんな辛さだ!
 北京にある四川料理店でも格段に辛さを抑えているという事実。
 本場の四川料理を日本人の口に合うようにアレンジした陳建民、建一親子の功績(『とうがらしの世界』)。
 一度、食べてみたいが、やはり日本風の麻婆豆腐の方がいいかもしれない。

 またまた話が脱線するが、山椒の辛さも、ナカナカのものである。
 何を食べたか憶えていないのだが、「お好みで山椒を・・・・・」と言われたので、たっぷりかけてしまった。
 山椒の風味が大好きなんですよ。
 ところが、そのあと、舌がマヒした。
 ただの水ですら、なんだか妙な感覚がした。
 山椒にも気をつけよう。
 ウナギのかば焼きについてくる、あのくらいの量がちょうどいい。

イメージが違った

 「北京ダック」「広東粥」「麻婆豆腐」と言った料理から、「婆」の使い方から、むやみに「かわいいね」と言えないとか。
 イメージが違うものが多々あったので、知ったこと、勉強したことのエトセトラを書き留めておく。

 中国人は、一度食べ始めたら、食べ終わるまで、原則として、箸を置かない。
 箸を置くのは、食べ終えたことを意味する。
 すでに置いた箸をもう一度とるのは、意地汚い行為とされる。
 遣唐使が持ち帰ったのが日本人の箸のルーツ。
 しかし、現在の日本人は箸を「横置き」にしているのに、中国人は「縦置き」にしている。
 詳しくは、『中華料理の文化史』をお読みいただきたい。

豆腐

 中国の豆腐は、絹ごしではなく、木綿豆腐や高野豆腐のほうが近い。
 そして、中国の精進料理は、豆腐やその加工品を牛肉や鶏肉に見立てて形を作る、「なまぐさもの」の模造品。
 健康志向とか、ダイエットのためとかもあるけれど。
 豆腐を使ったらあっさり料理、と決めつけないで、肉の代替品として豆腐を使えば、料理のレパートリーが広がる。
 何事も、思い込みは禁物である。

餃子

 中国の餃子は、日本人で言う「水餃子」なのだ。
 なので、中国人の料理人が日本に研修に行き、日本風餃子の作り方を覚えてきて、中国で提供しているそうだ。
 調理法のレパートリーが広がるのが、文化交流なのか、と思うと、グローバル化の恩恵を、享受しているのです。

食べ残す

 中国人は、料理を出すときに、量がたっぷりであることが、最も重要だと考えている節がある。
 そこで、客のマナーとして、出された料理をすべて食べてはならない。食べ残さなくてはならない。
「もう、おなかいっぱいで食べられない」
というそぶりを見せるのが肝心―――――
―――――なんだけど。
 フードロスの問題が叫ばれなくても、もったいない精神を、というか貧乏性なので、きれいに平らげたいと思ってしまう。
 郷に入れば郷に従えというので、中国に行ったら「食べ残す」しかないのだが。
 グローバル化の時代の文化交流は、貧乏性の僕には合わないのかなぁ、と考えてしまった。

*アイキャッチ画像は、Nicky GirlyによるPixabayから。

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