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みん会第4回活動報告 徴用工被害者の記憶の場所をめぐるワークショプ

※この記事はブログ「20歳と38度線」からの転載です。

 こんにちは。ひよこです。私が主催する日韓学生会みん会では、ソウルにある植民地の歴史の場所に日韓の若者が一緒に足を運ぶという活動を行なっています。

 5月末に徴用工に関するワークショップを開きました。今回は、その議事録を一部公開しようと思います。ワークショップでは、平和の踏み石(평화디딤돌)という市民団体の方に普段の活動内容の紹介や徴用工被害者の証言について2時間ほどお話いただいた後、みんなで徴用工被害者の方達が眠るソウル市立墓地に行ってきました。

 徴用工問題は、韓国の裁判所の判決が出て最近よくニュースに取り上げられるようになりましたが、韓国の学生も日本人留学生もいまいちよく知らないという方が多いようです。日韓問題を扱っていくみん会の活動の中では、一度徴用工に触れたほうがいいのではないかと思い、今回テーマとして取り上げました。

ソウル市立墓地にて
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日本人Aさん

 以前、平和の踏み石さんの徴用工被害者の証言を聞きに行く活動に参加させてもらいました。その時は「日本の悪口を言われるのかな」って思っていたのですが、実際はそ違いました。その時被害者の方が言われた「当時韓国の方がもっと悪かった」という言葉がすごく印象に残っています。今日、そういう話も出たけども、当時なぜ韓国の状況が悪かったかっていうのは、前回の歴史博物館で学びました。日本の植民地支配があったから朝鮮の人たちが虐げられていて、実際にそこで日本は利益を得ていた。今日話を聞いていて、前回とつながったなと思いました。

 大きな歴史では被害者自体が70万人のなかの数字として見られてしまいます。例えばこのイ・ジョンソクさん(紹介された徴用工被害者)の話とかも70万人分の1人になってしまうじゃないですか。確かに数字では70万分の1だけれども、でもこの人にとっては1分の1であるんですよね。この人にとっては徴用工問題は人生そのものになってしまうんです。あと、徴用工はすごくいい待遇の人もいたしすごい悪かった人もいる。一番最悪なのは、死んだ人たちですよね。でも、死んだ人たちの証言って出てこないじゃないですか。そう考えると、徴用工問題っていうのを全体で見たら、今出ている証言より実態はもっと悪かったんじゃないか、と想像はできるかなと思いました。

 最後に、もう一つ。日本人の中で、なぜ労働の問題が出てこないかということを電車の中で考えていました。当時の問題が今の日本でそれほど問題化されないのは、当時の当たり前だったからという話が今日ありました。でも今から見たらその過酷な労働っていうのは異常じゃないですか。当時の当たり前は今では異常と思うこともありますよね。そうすると、当時の悪かったことを今の価値基準で判断していいのかという問題も出てくるなと考えました。私は、過去の事例をこれからの未来と現在の判断基準として用いるのなら、過去の過ちも今の判断基準で判断して評価を下していったほうが、絶対今後のためになると思います。

平和の踏み石(평화디딤돌)が設置した慰霊の踏み石

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